「えいじんぐ〜地域の中で〜 第209号
(2011年4月1日発行)

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209号の内容

全てが一変した
東日本大震災・被災地を全力で救援しよう
全ての原発を廃絶せよ
震災解雇を許すな
生き抜くために闘おう

3月11日、あの東日本大震災があって、私たちは何度も何度も話し合いを持った。被災現地の東北、北関東にも仲間がおり、現地の様子を伺うことが出来る。当初、東北道が使えないうちから、新潟経由で物資を運んだ仲間、東北大の学生は学生寮を救援の拠点に、避難所を駆け巡り、先頭に立っていることも報告された。仙台の仲間が言った。「現地の私たちは生きている。生きて闘っている。これから震災による解雇や切り捨てがどんどん起こる。重要なことは、職場・地域に団結を作っていくことだ」「若い人がいるところは助かっているんです」とも言った。民営化=行政の統廃合=地方切り捨ては人と人の関係を破壊し、災害時助け合う体力をそいでしまっていた。その上に、あんなむちゃくちゃなもの=原発が私たちの社会に存在していた。

新しい年度を迎える前に、全てが一変した。いままで隠されてきた、いや真実を見ないようにしてきた巨大な物体が誤魔化しようなく、私たちの前に姿を現したのだ。それは日に日に私たちを殺し続けてきた。そして今回一時に何万人もの人を殺戮した。地震も津波も原発も決して「想定できない」「自然現象」などではない。生き抜くための闘いの中から私たちの団結の力でこの社会の全てを変えていかなくてはいけない。

メンバー主体ってどういうこと?

にしおぎ館は15年前に福祉の家「西荻館」としてスタートしました。その時から弁当配達を続けています。近隣の高齢者向けの弁当配達は、作業所立ち上げ(2001年)と共に、配達をメンバーたちが担うように。又1997年から始めたイブニングケアには20人ほどが参加します(火曜、木曜、土曜)。「採算がとれる」とか「売り上げから食材・経費を引いた残りをメンバーに分配」といっても50食にもならない食数では、とてもそこから利益を出すのは困難です。さて、この弁当配達をどうしようか?続けようか?止めようか?

みんなで話し合い「続けよう」ということになりました。ではどうやって、メンバー主体に。献立ー買い出しー調理ー配達(集金)片付けー計算(仕入れ・売り上げ・在庫・単価計算など等)。この一連の作業は、私たちが食という生活の基本を地域の人たちと共に営んでいくものです。

先日のミーティングで「とにかく1週間毎メニューを考えて、計算も皆でやって、反省もして、一つ一つやっていこう」ということが決まりました。

食事作りの重要な一角を担っているメンバーがいます。彼がつくづく言っていました。「僕はにしおぎ館での食事作りは立派な労働だと思っている。〈あれは社会的な労働ではない〉というような事を言う人もいるが、僕はこの仕事に誇りを持っている」

精神病を抱える仲間たちは、それぞれのペースに沿った働き方が必要で、具合悪く休んでしまうこともあるでしょう。「だからスタッフがいつでも代わって完成させられること」が大事なのではなく、メンバーたちが工夫して、お互いをかばいあって労働をやり通すこと。「あてにできない」のではなく、「あてにして」「信頼して」「お任せする」ことが大事だと私は考えます。

被災地救援運動をにしおぎ館から

東北の仲間と心を一つにし、にしおぎ館から被災地救援運動を開始しましょう

3月20日、イラク開戦8周年・反戦集会は、大地震から10日目。東北大の学生、福島の労働者からの発言に感動。私たちも靴下や下着、食料を差し入れしました。その夜には「生き抜くために闘う」全国闘争本部の結成準備会に参加。「労働者の手から労働者の手に」確実に手渡される物資支援、カンパを組織していこう。何よりも被災現地の仲間が生き抜き、闘えるよう支援しよう、と訴えられました。1週間足らずで、にしおぎ館でも10万円のカンパが集まり、早速本部を通して届けようと思います。(詳しくは別紙のアピールを参照)

*アピールにも書きましたが、私たちにとって、地域助け合いの拠点ー皆で掘り当てた井戸であるにしおぎ館を続けていくことが何より重要なのです。

「原発がどんなものかを知ってほしい」

「原発がどんなものかを知ってほしい」(平井憲夫)

これは原子力発電所の現場で20年間働いていた人が書いたものです。
「私は原発反対運動家ではありません」と始まり、「安全」の問題、「放射能垂れ流しの海」のこと、「いいかげんな原発の耐震設計」など、15年も前のパンフレットで、平井さん自身1997年に癌で亡くなりました。平井さんがいまの大震災と福島原発大事故の事実を知ったら、何と言うでしょう?

「私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、24時間被爆している。・・私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?「原発がそんなに大変なものなsら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。・・・たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」
このパンフレットの最後に紹介されている北海道の中学生の質問です。

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