「えいじんぐ〜地域の中で〜 第215号
(2011年10月1日発行)

バックナンバーはこちら
ホームへ

215号の内容

坩堝のような所
様々な気分が交錯する坩堝のような所

きびしい暑さが続いた長い夏が過ぎ、10月になりました。「亜熱帯」とも言えるような東京では、いっきに寒さがやってきそうです。低気圧(台風)に襲われる9月は、季節の変わり目でもあり、調子を崩すメンバーも多かったようですが、この頃は又多くの人たちで賑わうにしおぎ館です。

地域に開かれた店舗、協同の事業、掘り当てた井戸、世界と繋がっている、気分が飛び交い、交錯し、坩堝(るつぼ)のような所

皆、それぞれ此処に来る理由は違うかもしれない。毎日違うかもしれない。ただ、ここにたどり着いたことは事実。ここに来ると、他人との摩擦もあり、「平常」でいられないかも。でも、独り家にいることが「穏やか」なのでもない。「非日常が欲しい」すでに非日常が日常になっている。「あの日以来」

下記に9月19日、反原発6万人集会でのフクシマからの発言を載せました。是非読んで下さい。ここに「全て」が込められていると思います。

フクシマからの発言

9.19反原発集会ハイロアクション福島 武藤類子さんのスピーチから

みなさんこんにちは。福島から参りました。

今日は福島県内から、また、避難先から何台ものバスを連ねて、たくさんの仲間と一緒に参りました。初めて集会やデモに参加する人もたくさんいます。福島で起きた原発事故の悲しみを伝えよう、私たちこそが原発いらないの声をあげようと、声をかけ合い誘い合ってこの集会にやってきました。

はじめに申し上げたい事があります。3.11からの大変な毎日を、命を守るためにあらゆる事に取り組んできたみなさんひとりひとりを、深く尊敬いたします。それから、福島県民に温かい手を差し伸べ、つながり、様々な支援をしてくださった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございます。

そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子ども達、若い人々に、このような現実を造ってしまった世代として、心からあやまりたいと思います。本当にごめんなさい。

皆さん、福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を臨む浜通り。桃、梨、りんごと、果物の宝庫中通り。猪苗代湖と磐梯山のまわりには黄金色の稲穂が垂れる会津平野。そのむこうを深い山々がふちどっています。山は青く、水は清らかな私たちのふるさとです。

3.11原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降り注ぎ、私たちはヒバクシャとなりました。

大混乱の中で、私たちには様々なことが起こりました。

すばやく張り巡らされた安全キャンペーンと不安のはざまで、引き裂かれていく人と歩ととのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人々が悩み悲しんだことでしょう。

毎日、毎日、否応なくせまられる決断。逃げる、逃げない?食べる、食べない?洗濯物を外に干す、干さない?子どもにマスクをさせる、させない?畑を耕す、耕さない?なにかに物申す、だまる?さまざまな苦渋の選択がありました。

そして、今。半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、
*真実はかくされるのだ
*国は国民を守らないのだ
*事故はいまだに終わらないのだ
*福島県民は核の実験材料にされるのだ
*ばくだいな放射性のゴミは残るのだ
*大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ
*私たちは棄てられたのだ
私たちは疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。
でも口をついて出てくる言葉は . . . 「私たちの命を奪うな」です。

福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。
*子どもたちを守ろうと、母親が父親が、おばあちゃんがおじいちゃんが. . .
*自分たちの未来を奪われまいと若い世代が . . .
*大量の被爆にさらされながら、事故処理にたずさわる原発従業者を助けようと、労働者たちが . . .
*土を汚された絶望の中から農民たちが . . .
*放射能によるあらたな差別と分断を生むまいと、障害を持った人々が. . . 
*ひとりひとりの市民が. . .
国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと声をあげています。私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。

私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地にとどまり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支え合って生きていこうと思っています。私たちとつながって下さい。私たちが起こしているアクションに注目して下さい。政府交渉、疎開裁判、避難、保養、除染、測定、原発.放射能についての学び。そして、どこにでも出かけ、福島を語ります。今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。私たちを助けて下さい。どうか福島を忘れないで下さい。

もうひとつ、お話ししたいことがあります。それは私たち自身の生き方、くらし方です。私たちは、なにげなく差し込むコンセントの向こう側の世界を、想像しなければなりません。便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っている事に思いをはせなければなりません。原発はその向こうにあるのです。

人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。

私はこの地球という美しい星と調和したまっとうな生き物として生きたいです。ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。

どうしたら原発と対局にある新しい世界を作っていけるのか。誰にも明確な答えはわかりません。できうることは、誰かが決めた事に従うのではなく、ひとりひとりが本当に本当に本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分が出来ることを決断し、行動することだと思うのです。ひとりひとりにその力があることを思い出しましょう。

私たちは誰でも変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。そして、つながること。原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横に広がり、つながり続けていくことが、私たちの力です。

たった今、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめ合い、お互いのつらさを聞きあいましょう。怒りと涙を許しあいましょう。今つないでいるその手のぬくもりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。

私たちひとりひとりの、背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、網地の利がどんなんい過酷であっても、目をそらさずに支え合い、軽やかにほがらかに生き延びていきましょう。

ページのトップへ