支援物資 01番   ある乗客の記憶

佐々並駅 1996年4月24日


 ◆          ◆           ◆

「やあ、いらっしゃい」
 列車から降りたばかりのわたしに、初老の駅長が気さくに声をかけてくる。
 わたしはちょこんと頭を下げて切符を提示した。
「お、周遊切符だね。 こっちには観光かい?」
 切符に駅名の入った判子をポンと押して返してくれた。 わたしはうなずくと、往還道の遺構を捜してる旨を告げた。
「うん、それならひとつ先の日南瀬で降りた方が良かったなぁ。 こっからじゃ、ちと遠いぞ」
 あらら…… と落胆。 壁に掛けられた時刻表を見ると、次の列車まで四十分近くある。
 いっそ歩いていくか、それともどこかで時間をつぶすか、唇に指を押し当て思案していると、
「歩いて行こうなどと考えない方がいいぞ。 起伏は激しいし距離もある。 途中でへばって熊に襲われても知らんぞ」
 げ、と一瞬浮かべた表情が可笑しかったのか、駅長は豪快に笑った。
 結局わたしは次の列車を待つことにした。

 いったん駅を出たものの、ここにはホントに何もない。 飴色の瓦を葺いた民家が建ち並んでいるのはいいけど、買い物できるところといえば、駅前の商店と近所の道の駅。
 観光施設でももっと作ればいいのにとブツブツ言いながら、わたしは二十分ほどで駅に帰ってきた。
「早かったね。 ほれ、茶が沸いとるぞ」
 最初からそのつもりだったんだろう、ご丁寧に茶菓子まで用意してあった。
 ガランとした待合室でゆずのお茶菓子をいただいていると、二人分の湯飲みを持って駅長が戻ってくる。 程なく、このあたりの路線にまつわる昔話が始まった。
 大雨が降ればしょっちゅう電車が止まること。 熊にぶつかって電車のブレーキが壊れたこと。 昔は勾配がきつすぎて電車がよく故障したこと。
 思いがけず面白い話が聞けて喜んでたけど、駅長はもっと楽しそうだった。
 ひょっとしたら、話し相手が見つかってご機嫌だったのかもしれない。

 次の列車がやっと到着して、わたしはそれに乗り込んだ。
 発車間際、わたしは駅長に明日の帰り際も寄るねと声を掛けると、彼はちょっと肩をすくめた。
「駅長は今日までなんだ」
 列車が出てしまったので、直接理由は聞けなかった。
 後で東萩駅で訊いたところ、合理化で幾つかの駅が委託化されるのだという。
 佐々並駅もそのひとつ。 明日からは駅前商店で切符を売るのだそうだ。
 わたしは、少し寂しくなった。


 木造平屋、二面二線。 かつて駅員の声がこだました主要駅は、今は静かに乗降客を迎えている。

  ◆          ◆           ◆

そのときの周遊切符

2002/ 7/ 26

<< Topへ戻る