後期教育隊

 


後期教育隊……

一般に、職種別に訓練される、後半三ヶ月のことです。
今度は人数は少なくなり、訓練もその職種別に特化したものになります。

……でも、普通科は、それほど特別なことはしないんですけどね(汗)

自衛隊日録メニューへ


1:移動

他の隊員が【いい日旅立ち】のメロディーに載って、全国に旅立っていく……

そのなかで、最後まで残ったのは、山口残留組の七名

全員を見送ったあと、整理した荷物を持って100メートル離れた隣の隊舎まで歩く。
……感慨もナニもないような……

後半は、共通教育中隊から、連隊教育隊へ移っての教育となる。

その三ヶ月の中で、幾つか、印象に残った訓練をご紹介します。

2:地雷

印象に残った訓練といえば、地雷の発見、敷設、撤去の訓練だ。

表土を×字、十字、H字型などに切り込みを入れ、地雷分の土を土嚢に取り出し、そこに地雷を入れ、再び表土を元に戻す。

パッと目にはまったく分からない。(当然)

で、地雷を発見する訓練をしたのだが……
さすがに班長らはじつに上手い。
一分もしないうちに、あたりに響き渡る破裂音。
むろん、地雷に引っかかったのだ。もちろん全員死亡。(汗)
(引っかかったヤツは、その場で腕立て伏せ20回)

で、そしてしばらく、今度もまた、乾いた破裂音が響く。
ブービートラップに引っかかったようだ。
ナニげに置かれていたゴルフクラブを拾い上げたらしい。
……また全員死亡。(汗)

……対人地雷の訓練は、三回死んで終わる。

次に対戦車地雷。

これは、ちょっとやそっとで爆発はしない。引き剥がせる表土を見つけながら、ひたすら範囲内を捜索する。
……これにも、班長らがナニか細工をしたらしい。

で、見つかった! との声。
皆で行ってみると、その表土の下には、一枚の紙切れが。それに書かれていたのは……

【腕立て伏せ20回】

……まさに地雷……

そういった紙切れの内容にも恐々としながら、訓練は進んだ。
おおむね、地雷は発見できたのだが、一箇所だけ見つからなかった。
班長によると、なんでも、百円玉を埋めたところがあったそうだ。

未だに思うのだが…… これが、一番面白い訓練だった。

 

3:25km行軍

教育終盤に、行軍という訓練は常に存在する。
前期教育隊の時は、10km行軍だったが、後期では、25km行軍だ。

もちろん、銃に背嚢、防護マスクに鉄っぱち(鉄製ヘルメット)だ。
それに、擬装網まで付けているので、色々引っかかって、まどろっこしい。

夕刻、駐屯地からトラックで、出発地点に向かう。
そこから、駐屯地へ向け、25kmひたすら歩くのだ。

50分歩いて10分休み、それを繰り返しながらどんどん進む。
銃が肩に食い込んで痛く、ヘルメットも頭を圧迫するようで、これも結構痛い。
だが、なにより、熱さと喉の乾きが一番堪える。
基本的に、携行しているのは、一リットル入る水筒がひとつだけ。

あめ玉などは用意しているものの、喉の乾きに、どうしても水分が欲しくなる。
でも、あまり飲み過ぎると、すぐなくなるし、なにより、余計に疲れてしまう。
というわけで、ひたすら我慢我慢。

道路脇に、時折見かける自販機が、酷く恨めしい。
帰ったら、絶対飲んでやる! と、心に固く誓う。

そうこう進んでいるうちに、やがて大休止となる。
一時間の休憩で、ちょっとした食事と、仮眠を取るのだ。
丁度、夜中の12時頃、眠気も空腹もピークだったので、とてもありがたかった。
ただ、……仮眠中に、蚊に刺されまくった。

そして出発、半分を丁度折り返す。
これからが、更にキツい。

眠気、疲労、乾き…… 正直、死ぬほどしんどい。
足の筋肉も、かなり痛くなり、豆も出来てきていた。

それでも、気力を振り絞って歩く。

やがて、空が徐々に明るくなる。……駐屯地も、かなり近づいてきた。
最後の休憩…… 駐屯地近くの訓練場で、服装を整え直し、駐屯地へ向かう。

朝の六時頃……ようやく到着。
何とも言えない開放感。だが、疲労も乾きもピークだった。
そんななか、出迎えてくれた教育隊長が、皆にコーラをおごってくれた。
もちろん、一気に飲み干してしまった。……何とも言えない美味さ。生き返った気がした。

その味は、今でも心に強く残っている。

 


上へ戻る