| Original Story of VIFAM | |
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幻の艦
『畝傍』(畝傍艦)
巡洋艦/フランス、ル・アーブル造船所製 ………… 1884年5月 起工 1886年4月 進水 同年10月 日本へ向けて回航 同年12月 シンガポール出航後、消息を絶つ 1887年10月 亡失と認定、除籍 ………… 回航員 日本側:飯牟礼俊住海軍大尉他8名/フランス側:76名 遺体・遺留品等の発見、現在に至るも一切なし ………… 意識が戻ったシド・ミューラァ少佐が最初に考えたのは、俺は死んだのか? ということだった。 それほどまでに、彼が感じた感覚は非現実的だった。蒸し暑く、身体全体が奇妙な具合にゆっくりと上下している。おだやかで規則的なくせに変に振り回されるようなその揺れに加え、妙な刺激臭が鼻をついて、彼は気分が悪くなりかけた。何だここは、と驚いて目を開く。 どうやら、独房にミューラァ少佐は寝かされているようだった。狭苦しい室内全体が、気の滅入るようなみすぼらしい無彩色で塗装されている。物入れや机など、最低限の家具は据え付けられていたが、こちらもことごとく暗い色合いで塗られていて、一体何でできているのか見当もつかなかった。照明はといえば天井に取り付けられた球形の装置だけで、しかも、情けないぐらいに暗い。 とりあえず、ククトの施設ではないな、と、室内を眺めながらミューラァ少佐は思った。とすると、地球人の捕虜になったか、さて困った、と考え、そんな風に考えた自分にふと馬鹿馬鹿しくなって苦笑する。 どうせ自分は祖国から捨てられた身なのだ。今更地球人に捕らえられたといって、何を困ることがある。かえって清々するぐらいではないか。 目を閉じ、歯を食いしばって惨めさと揺れからくる気分の悪さを追い払おうとした時、何かがこすれるような音が耳に届いた。はっとして目を開くと、閉じていたドアが開き、ふたりばかりの地球人が入ってくる所だった。 ……いや、これは地球人なのか? ふたりのうち、ひとりはミューラァ少佐も見慣れた地球人の姿をしていた。ひげ面でお世辞にも身だしなみが良いとはいえず、教養もなさそうだが、彼が戦ってきた地球人の同類であることは間違いない。 だが、もうひとりは……ミューラァ少佐はとまどいながらその男を見やった。黒い髪、黒い目、青年であろうと思われるのにいやに小柄で子供じみた体格、表情に乏しいのっぺりした印象の顔つき……その特異な外見は、どう見ても同じ地球人とは思えなかった。おかしな形の帽子を始め、上から下まで白1色で揃え、この暑いのに袖も襟元もきっちりと閉めた服は、何かの制服と思われたが、このような制服など地球人のどのデータベースでも見たことがない。 しかも、どうやらかたわらの地球人より、この男のほうが明らかに地位は上のようだった。まっすぐに背筋をのばして立ったその姿からは、小さい身体であるのになにがしかの権威すら感じられる。 と、見られていることに気付いた男の顔が動き、落ち着いた微笑を浮かべた。そしてやや聞き取りにくい地球語で「目が覚めましたか」と問いかけてくる。 「私の英語が分かりますか?」 「……分かる」 一瞬、分からないふりをしようかとも思ったが、どうせ無駄だと思い直してミューラァ少佐は素直に答えた。逆に相手の機先を制するように問い返す。 「ここはどこだ? 地球軍の捕虜収容所か?」 「捕虜?」 男は不思議そうな顔になった。 「今は戦時ではありませんし、我々は貴方を救助しただけです。そんな、捕虜などとんでもない」 「……戦時ではない?」 唖然としてミューラァ少佐は繰り返した。 「待て、それでは戦争はどうなったのだ? 地球とククトの戦争は? 一体俺は今どこにいるんだ?」 「……?」 男は困惑した顔になると、かたわらの地球人を振り返り、ミューラァ少佐には理解できない言葉で何か言った。地球人が野太い声で答えると彼は首をかしげ、再び少佐に向き直る。 「貴方の言っていることが良く分かりませんが……ここは大日本帝国海軍の巡洋艦『畝傍』の船室です。私は回航員の責任者飯牟礼大尉と言います」 「海軍? ウネビ?」 「ええ、貴方は今朝早く、上甲板に倒れているのをこのフランス人水夫が発見したんですよ。恐らく、乗ってらした船が難破したか、波にさらわれたかでもして、夜の間に運良くこの艦に打ち上げられたのだと思いますが……もしかして覚えていませんか」 「…………」 もう何がなんだかさっぱり分からない。ミューラァ少佐は絶句し、イムレ大尉と名乗る男の気遣わしげな顔を呆然と見つめた。急に気分が悪くなったのは、彼に気を取られてしばし忘れた室内の蒸し暑さと際限なく続く奇妙な揺れ、鼻をつく臭いが急に意識されたからかもしれない。 「大丈夫ですか? どこか痛みますか?」 「……いや」 こみあげてくる吐き気を断固としてミューラァ少佐は押し隠した。彼のやせ我慢にどうやらイムレ大尉は気付いたようで、ますます心配そうな顔になる。 「具合が悪ければ遠慮なくおっしゃってください。回航中で軍医もおりませんからあまり充分な手当はできませんが、できるだけのことはします」 「……少しひとりにしてくれ」 気を遣ってくれる相手に対してずいぶんと失礼な言い草だったが、実際の所、それだけ言うのがミューラァ少佐は精一杯だった。イムレ大尉は気分を害した風もなく「分かりました」とうなずき、思いついたように付け加える。 「トイレは部屋を出て右側です。全て使えるようにしてありますので」 「……分かった」 ……イムレ大尉と連れが出て行った後、もうしばらくだけミューラァ少佐は我慢した。そして、ふたりが完全に遠ざかったと見るや全速力で部屋から飛び出し、トイレに駆け込んで思いきりよく吐いたのだった。 どうやら自分は、異世界の地球とでもいう所に入り込んでしまったらしい、ということが分かったのは、その後のイムレ大尉の話を聞いてからだった。 このきまじめな小さな軍人は、全く話の通じないミューラァ少佐の状態を、遭難のために記憶を失ったか、精神にダメージを受けたものと解釈したらしい。まるで子供でも相手にするように懇切丁寧に説明されて彼は少なからず気分を害したが、実際何も分からないのは確かだし、相手も悪気がある訳ではないのだからと我慢して拝聴していた。 それでも、イムレ大尉のおかげで、自分が置かれている状況についてはほぼ把握できた。 ここにいる人々は、ククトの存在を全く知らなかった。いや、ククトどころか、彼らは宇宙の基本的な概念さえ理解していなかった。大気圏内の移動にしても、航空機などというものは影も形もなく、この『ウネビ』のような原始的な水上艦でえっちらおっちら行き来するのがやっとだった。 そんな風だから、人間は大陸や地域ごとにほぼ完全に隔絶された状態で生活しており、それに伴って、ククトでは消失して久しい生物学的な分化が色濃く残っていた。最初にミューラァ少佐がイムレ大尉を地球人と見なしえなかったのも、彼が地域分化によって、一般的な地球人とはかけ離れた特異な外見を持っていたからに他ならない。 そして、ニッポンというのが、イムレ大尉が属する地域分化集団の名称らしかった。彼の集団は水上艦の建造技術を持っていないため、その技術を持った別の地域集団「フランス」に『ウネビ』の建造を依頼し、できあがったものを受け取って故郷まで航行させている途中なのだという。その最中に彼らが「拾った」のが、ミューラァ少佐という訳だった。 全く奇妙な世界だ、とミューラァ少佐は思った。 いわゆる異次元というか平行世界というか、自分が住む世界の外に別の世界がある、というような話は、ククトでもいくつかが知られている。航宙艦乗りの伝説には、超光速航行に入った後、二度と姿を現わさなかった艦というのもある。もしかすると自分もその類の目にあったのか、とも思うが、彼が乗っていたのは機動兵器であり、超光速航行が可能な航宙艦ではない。 ……まあ要するに、軍のみならず、世界からさえも俺ははじきだされてしまったということか。 揺られるベッドに横たわりながら、薄暗い照明を眺めて自嘲気味にミューラァ少佐は考える。だが不思議なことに、どれほど内心を探っても、以前のような怒りはもう湧いてこなかった。あまりに異常な経験をしたために神経が麻痺してしまったか、それとも、生まれ育った世界と完全に断たれてしまったことで、逆に気持ちがふっきれたか、どちらなのだろう、と彼は思う。 いずれにしろ、元いた世界にミューラァ少佐が戻れる可能性は限りなく低い。過去がどうあろうと、それはそれとして、ここでの生活に適応していくしかないのだろうと、まどろみかけた意識の中で彼は考えた。幸いにというか何というか、指揮官のイムレ大尉は非常に好意的である。彼のような男に拾われたのは、もしかすると運が良かったのかもしれない。 ……ふと目を開いた彼は、ほろ苦く笑った。 あれだけの目に遭わされたというのに、まだ他人を信用しようとするのか。しかもイムレ大尉は地球人だ。穏やかな態度の裏でどういう思惑を抱いているか分かったものではない。一見親切だからと信用してまた裏切られたらたまったものではない……。 口惜しさとも悲しみともつかない感情に、胸の奥がちくりと痛んだ。深い溜息をついたミューラァ少佐は、思いを頭から振り払うようにして眠りについた。 ミューラァ少佐が『ウネビ』に現れてから、数日が過ぎた。 もともとそれほどひどい状態ではなかったこともあり、すぐに彼は歩き回れるようになった。最初のうちは、とにかく異様な揺れと暑さ、部屋の臭い(壁や天井に使われた塗料のにおいだと、イムレ大尉は教えてくれた)からくる気分の悪さでしばしば吐いていたのだが、そのうち身体のほうが慣れてしまったらしく、気付いた時には何ともなくなっていた。水上艦など乗ったことどころか見たこともなかったのに、人間の順応力とはたいしたものだ、とミューラァ少佐はひとりで感心した。 イムレ大尉は何かと彼のことを気にかけ、多忙の合間合間に顔を出しては、この世界の情報を聞かせたり、世話を焼いたりしてくれた。だが、日常の細々したこととなるとさすがに扱いかねたらしく、そのうちひとりのニッポンの兵士を世話役としてつけてくれた。 「……失礼します。食事はもうお済みでしょうか」 ……ドアを軽く叩く音と共に、呼びかける声が聞こえた。そういえばそんな時間だったか、と時計を見たミューラァ少佐は適当に返事をする。するとドアが開き、ワゴンを押した世話係の兵士が入ってきた。 イチムラだかイチューラだか、まぎらわしい名前のこの兵士は、例によって小柄でまだほんの少年のように見える。が、落ち着いた雰囲気や無駄のない動きは兵歴の長さを感じさせた。地球語──今更この言葉を使うのも変だが──が苦手なのか生来が無口なのか、あまり話をすることはなかったが、並はずれた察しの良さでなにくれとなく面倒を見てくれる。なにしろ異邦人のミューラァ少佐にとっては、ひげそり道具ひとつとっても教えてもらわなければ使えないような有様だったから、彼の助けは掛け値なしにありがたかった。 いつもなら無駄口もきかず、黙々と食器の片付けにかかる彼だったが、この時は少し様子が違っていた。ワゴンの上から何やら包みを取るとミューラァ少佐のそばに近寄り、ぎごちなく差し出したのである。 「……着替えをお持ちしました」 「着替え?」 ミューラァ少佐は目を見張った。 身ひとつでこの世界に現れたミューラァ少佐は、当然着替えなど持ち合わせていない。乗組員の物で代用しようにも、ニッポンの地球人の服は小さすぎたし、サイズの合いそうなフランスの地球人は、彼に服を貸すのを断固として拒否した。どうやら彼らは貴方のことを不吉だと恐れているようです、と、イムレ大尉は笑って言ったものである。 「不吉? なぜ」 「どこから現れたか分からないし、それにその髪の毛の色はどう見てもまともじゃないそうですよ。悪魔か魔物が、この艦を沈めに海からやってきたとでも考えているようです」 「…………」 虚をつかれた思いで、ミューラァ少佐は自分の頭に手をやった。イムレ大尉たちが平気な顔をしているから意識にのぼったことすらなかったが、確かに、地球人ではこの髪色はありえない。 「……大尉は同じようには考えないのか」 「貴方が他の西欧人とどう違うのか、私には良く分かりませんね」 やや疑念をにじませた彼の問いに、あっさりと大尉は答えた。 「我が国が国際社会に門戸を開いたのは、たかだか20年ほど前でしかありません。ですから、まだ知らないことも、学ばなくてはならないこともたくさんあるのです……もっとも、不幸な遭難者を不吉だと忌み嫌うような迷信は、学ぶべきではないと思いますが」 明快極まるその言葉に、彼は半ば納得し、半ば苦笑した。 ……ともあれ、そんな風だったから、ミューラァ少佐にとって着る物の問題はかなり深刻だった。とりあえず、これなら着れないこともないでしょうと、イムレ大尉がユカタとかいうフリーサイズの部屋着を貸してくれたのだが、それだって丈や袖の長さはニッポン仕様である。身にまとった姿は、真面目な大尉が思わず吹き出し、慌てて謝罪するほど珍妙なものになった。背に腹は替えられないといっても、これでは恥ずかしくて部屋から出ることもできない。 「着替えって、俺に合うのが見つかりでもしたのか」 ミューラァ少佐が問うと、イチムラはいいえ、と答えた。 「自分が作りました」 「作った?」 差し出された包みを開けてみると、粗末だがしっかりとした作りの服が、上下揃えて畳んであった。広げてみると、丁度イチムラ自身が着ている作業服と同じような形で、驚いたことにサイズはほぼ合っている。 「似た体格のフランス人から採寸しました。シーツを使ったので多少肌触りが良くないかもしれませんが、何度か洗濯すれば馴染むと思います」 淡々と説明する彼に、ミューラァ少佐は目を向けた。 「……君が作ったのか? これを?」 「はい、自分のうちは洋裁店ですから」 返事の意味は分からなかったが、彼の器用さにミューラァ少佐は舌を巻き、同時に妙な面映ゆさを感じてとまどった。突然、噛みつくような口調でこう問いかけたのは、ひょっとすると照れ隠しであったかもしれない。 「なぜここまでするんだ?」 「は?」 「イムレ大尉もそうだが、君たちの扱いときたら、まるで客でももてなしてるようだぞ。敵か味方かも分からん身元不明の人間に、なぜここまでやろうとするんだ」 全く分からん、と吐き出すように言うミューラァ少佐を前に、イチムラの顔色がさっと変わった。驚いたような、困ったような顔になるとそのまま立ちつくす。 「……申し訳ありません」 しばらくたって、彼はうなだれた。 「飯牟礼大尉から、丁重に面倒を見て差し上げるよう言われていましたし……遭難して大層つらい思いをなさったのですから、せめてここでは少しでも気持ちよく過ごしていただけるようにと思ったのですが……差し出がましいことをしてしまいました」 皮肉か? と一瞬むっとしたミューラァ少佐だったが、彼の表情が本当にしょげているのを見て呆気にとられた。どうやらイチムラは、本心からミューラァ少佐のためを思って服を作り、本心から、いらぬお節介をしたと恥じているらしい。 好意を疑われたと怒るならまだ分かるが……一体どういう思考回路をしているんだ、この男は。 ……なんだか居心地が悪くなった彼は、イチムラから目をそらした。こういう時、相手が部下ならとり繕いようもあるが、他人となるとどうしたらいいか分からない。そもそも、こういうシチュエーションがミューラァ少佐は苦手だった。 これではまるで、俺がこいつをいじめたみたいじゃないか……。 「……悪かったな」 とうとう、仏頂面で言ったミューラァ少佐は、服を取り上げた。 「有難く使わせてもらう。着るのを手伝ってくれ」 「……はい!」 それまでの消沈ぶりもどこへやら、イチムラはぱっと顔を輝かせ、いそいそとミューラァ少佐に近寄った。 ……きっと、この男は底なしに単純なんだな、とミューラァ少佐は思った。言われた言葉は言葉どおりに受け取ることしかできず、反応もストレートに、しかも全力で返すことしか知らないのだろう。 だが、それはそれで悪い気はしなかった。むしろ、これまで何かというと建前と本音の大きな差に泣かされてきた身としては、ありがたいと言っていいぐらいだった。 ……ただ、口には気をつけないとならないだろうな。またぞろこんな風に謝られたらたまらん。 てきぱきと着替えをさせてくれるイチムラを横目にしながら、ミューラァ少佐はひそかにそう自分を戒めた。 ……久しぶりに見る青空は、はっとするほどまぶしかった。 薄暗い艦内に慣れていた目が一瞬眩んで、ミューラァ少佐はよろめいた。その身体をかたわらのイムレ大尉がとっさに支える。 「大丈夫ですか?」 「……ああ」 「いつもはこれ程揺れないのですが……どうも近くに嵐が発生したらしくて、少々海が荒れ気味です。気をつけてください」 「わかった」 湿気の強い風が顔に吹きつけ、独特のにおいを運んでくる。決して快くはないが、部屋の鼻を刺すような揮発臭よりは遙かにましだった。目を開けると、細かい波しぶきの上がる船縁と、張り出した数々の構造物、そして、速い速度で雲が流れるククトより青味の濃い空が見えた。 「こちらです」 イムレ大尉が艦前方を示し、歩き出した。揺れに足を取られないよう注意深くミューラァ少佐は後に続く。 服をもらってから、彼は気晴らしに艦内をぶらついて過ごしていた。仮にも『ウネビ』は軍艦のようだったから、咎められるかと思ったのだが、咎めるどころか、数少ないニッポンの人間たちは喜んで自分の持ち場を彼に見せ、これでもかというぐらいに説明してくれた。機関室で働いていた男など、説明だけでは飽きたらず、夕食後にミューラァ少佐を自分の部屋に連れ込んで酒瓶まで持ち出した。世話係のイチムラが気付いて助けに来てくれなかったら、朝まで酒につきあわされていたかもしれない。 そんなニッポンの人間たちとは対照的に、フランスの人間たちは頑として彼に近付こうとしなかった。通路で出くわすと慌てて逃げだし、逃げられなければびくついた顔で目をそらし、大きな体を縮めて彼が去るのを待った。その態度は不愉快の一言につきたが、少なくとも、ニッポンの側の妙な人なつこさよりは理解できるものだったから、無視することで彼はこれに対抗した。 そんなこんなで比較的自由、というか野放し状態のミューラァ少佐だったが、外に出ることだけは許されなかった。いちど出ようとしたのだが、イムレ大尉に見つかり、危ないからひとりで出ないでくださいといつになく強い口調で注意されたのである。危ないというのは口実で、何か機密でもあるのだろうとミューラァ少佐は踏んだのだが、何のことはない、実は慣れない者にとっては本当に危険なのだと、この日実際に出てみて彼は納得した。 これほど揺れる艦を作ったというのに、製作者たちは、乗員の安全について配慮を全くしていなかった。狭い場所にさらにごてごてと作られた構造物は、緩衝材など何もなく、ごつごつした金属や、尖った角がむき出しのままになっている。頭上にしろ壁にしろ床にしろ突起物だらけで、頭の上を気にしていると足元の出っ張りにつまづくし、足元に注意すると今度は何かのワイヤーに横っ面を張られそうになる。実戦となれば400名からの人間が乗り組むという話だったが、こんな風でどうやって効率的に戦闘をこなすのか、ミューラァ少佐には想像もつかない。 「それは、訓練次第でいかようにもなります」 ……相変わらず単純明快なイムレ大尉の答えだった。それはそうかもしれないが、と思いながらも、ミューラァ少佐は反論する。 「だが、訓練に加えて問題部分の改良も行えば、より能率が上がるのではないか? いずれにしろ、訓練だけでは限界があるだろう。無理を強いればそれだけ、どこかに破綻が来る可能性も高い」 「そうですね、いずれ我が国で独自に軍艦の設計、建造が行えるようになった暁には、そういった部分も慎重に考慮されると思います」 我が国で、という部分に心なしか力をこめたその言い方に、ミューラァ少佐は自分が失言をしたことを悟った。イムレ大尉が属する地域集団は、水上艦を建造するノウハウを持たない。つまり、どんなに問題があっても、渡されたものを文句も言わず使うしかないのである。訓練次第で、というのも、実は、直したくても直せない構造的な不備を、人間の側の努力で補って運用しようという、つらい選択ではないのか。 謝罪したほうがいいだろうか、と逡巡しているうちに、イムレ大尉は立ち止まり、「ここから艦橋にのぼります」と上を指した。つられて見上げたミューラァ少佐は今度こそ目を疑った。 艦橋といえば艦の中枢のひとつであり、駆動炉と並んで最も厳重に防御されているべき場所である。だがイムレ大尉が指差す先の「艦橋」は、どう見てもただの吹きさらしの展望台にしか見えなかった。いくら何でも、ここで指揮を執るのは無理がありすぎる。 「…………」 絶句してしまったミューラァ少佐を尻目に、イムレ大尉は身軽に階段を駆け上ると、下に向かって手招きした。気の進まないことこの上なかったが、ミューラァ少佐も仕方なく後を追って階段を上がり、大尉に並ぶ。こうやって見ると確かに装置らしきものがいくつか据え付けてあって、何らかの機能を果たす場所だと思われるが、だからといってこの場所の印象が変わる訳ではない。 「いい眺めでしょう!」 吹き付ける風にかき消されまいとするように、イムレ大尉が大声で言った。 確かに、とんでもない眺めだった。 気味の悪い灰色の海が白い波をたて、うねりながら見渡す限り水平線まで続いている。頭上には、青空を背景に幾筋ものこれまた灰色の雲が、ものすごい早さで流れていく。眼下に目を転じれば、やってくる波を乗り越え乗り越え、流線型の『ウネビ』の艦首が上下しながら進んでいく。ひとつ波がぶつかる度に艦はぐいと上に持ち上がり、ぱあっと細かい水しぶきが上がったかと思うと、虹を映しながら船縁に添って散っていく。見れば、入ってくる波をしのぎきれないのか、艦首に近い前のほうの床は水浸しになっていた。そんな中で、ふたりばかりの男が何か作業をしているが、当然ながら彼らもびしょ濡れである。 実を言えば、ミューラァ少佐が海を見るのはこれが初めてではない。惑星ククトで勤務していた頃は、海を越えて移動することは珍しくもなかったし、機動兵器を使った対戦演習の時などは、敵の探知を避けるために海面すれすれを飛行したことすらある(おかげで機体が塩分だらけになり、整備に散々文句を言われたものだった)。 だが、それとこれとでは話が全く違う。こんな貧弱な乗り物で海の真っ只中に乗り入れ、波に振り回されながらしゃにむに突っ切っていくような真似は、とてもではないがまともな神経でできる所業ではない。 全く、地球人という奴は。 呆れるしかないミューラァ少佐をよそに、イムレ大尉は楽しそうだった。「ここからなら、艦の上が見渡せますよ」と言って、次々と艦上の施設を指差していく。艦橋にあるのは操舵用の舵輪、伝声管、羅針盤、そして下には主砲、両脇には探照灯、カッター、あの下には速射砲……ミューラァ少佐は声も出ずに大尉が示す先を眺めていたが、彼の説明が切れた時を狙ってようやく口をはさんだ。 「こんな所で指揮するのは、むしろ危険なのではないか?」 「もちろん、平時には下の製図室を兼ねた操舵室を使いますし、戦闘の際の指揮は装甲された戦闘艦橋で行うことになると思います。実際、ここを使うのは、よほど条件がいい時のみでしょう」 あっさり返されて彼は拍子抜けし、同時に少々むっとした。ならなんでこんな所に連れてきた、と、これだけ驚かされた気恥ずかしさも手伝って言い返そうとしたが、一瞬早くイムレ大尉が再び口を開く。 「ですが……私としては、たとえ戦闘中であっても指揮はここで執りたいですね。ここからなら、敵も味方も一目瞭然です。戦闘艦橋に入ってしまうと、どうしても状況が見えにくくなりますから」 「そんなものは……」 探知すれば、と言おうとして、ミューラァ少佐はふと口を閉じた。そういった設備を『ウネビ』は一切備えていないことを思い出したである。ククトの歴史で言えば3000年ほど前にあたろうかというこの世界では、ようやく電力が化石燃料と交代しはじめたばかりだった。ここでは何をやるにも、人の手、人の目を使うしかないし、その限界もおのずから推して知るべしである。 野蛮と言ったらいいのか、悲壮なと言うべきか、それとも、勇気あふれると言ったらいいのか……。 語る言葉を持たないまま、ミューラァ少佐は白波を蹴立ててうねりを越える『ウネビ』の艦首を眺めた。 「……きっと、貴方は軍人なのでしょうね」 唐突に言われて、彼は驚いた。何を今更、と言おうとして、そういえばここの人間たちは自分を記憶喪失か何かだと思いこんでいるのだということに気付く。 「……なぜそう思う?」 「身のこなしや考え方がそんな風に見えます。もっとも、フネのことをあまりご存じないようだから、海軍ではなさそうですが」 屈託なくイムレ大尉は笑った。 「日本についたら、すぐに各国領事館を通じて身元の照会をします。そうすれば貴方が誰なのか分かりますし、お国にも帰れるでしょう。心配いりませんよ」 「……もし分からなかったら?」 実際、どこをどう探してもミューラァ少佐のデータなどある訳はない。やや皮肉めいた問いかけに、だがイムレ大尉は何でもないように応じた。 「その時は、我が国が責任を持って貴方の面倒を見ます」 「大尉の故郷が?」 「はい。こうやって救助した以上、我が国には貴方に責任を持つ義務がありますから。それに……」 「?」 「今回は我々が貴方を助けましたが、逆に我が国の者が遭難して貴方のお国に救助される可能性だってある訳でしょう? 困ったときはお互い様ですよ」 「……成程」 つまり、恩を売るという訳か、とミューラァ少佐は苦笑した。身も蓋もない言い方だが、不思議と不愉快さは感じない。むしろ、率直に考えを明かすイムレ大尉の態度に好感を覚えた。彼のような人間がいるのなら、ニッポンという場所もそれほど悪くないかもしれない、などとふと思う。 と、ひとりのフランス水夫が階段を上って来たかと思うと、イムレ大尉に何やら話しかけた。大尉も彼らの言葉で答えると、ミューラァ少佐に顔を向ける。 「すみませんが、少々用事ができました。代わりに市村を寄越しますから、良ければ貴方はここで景色を楽しんでいてください」 「……いや、俺も降りる」 こんな所にひとりで残されてはたまったものではない。慌てて彼は答えると、今度は先に立って階段を下りていった。 その夜。 何か異様なものを感じてミューラァ少佐は目を覚ました。もう朝なのかと思って窓を見るが、外はまだ真っ暗である。なぜ自分が目を覚ましたのか分からないまま、彼は半ば身を起こしてじっと天井を見つめた。 艦がおかしい。 いつものゆったりした上下動が、突き上げられ、落とされるような大きな振幅に変わっていた。加えて、これまで感じたことのなかった左右へと傾くような揺れが加わっている。ぎしり、ぎしりと音を立てながら起こるその不気味な揺れには、何か彼の神経を刺激するものがあった。危険を感じる機動兵器乗りの勘と言っていいかもしれない。 とにかく起きよう、と毛布をはねのけた時、早い調子でドアが叩かれた。彼が返事をするかしないかのうちに、ドアが開いてイチムラが飛び込んでくる。 「飯牟礼大尉がお呼びです。至急戦闘艦橋においでください」 何かただごとではない響きが、その声にはあった。ミューラァ少佐は物も言わずに床に降り立つと着替えを始める。すでにひとりで脱ぎ着できるようになっていたが、それですらもどかしいのか、命じられもしないのにイチムラは彼に近付くと手を貸し始めた。 ……着替えを終えたミューラァ少佐は、イチムラに導かれて通路へと出た。歩いてみると、艦の揺れの異様さがますます体感される。慣れたはずの艦内なのに、何度か彼はバランスを崩し、その度にイチムラに支えられた。 「今日はまたずいぶんと揺れるな」 「嵐が来ていますから」 「嵐?」 「はい、詳しくは飯牟礼大尉にお聞き下さい」 昼間は開いていた外への出口が、今は分厚いハッチで閉じられていた。見るからに頑丈な鋼鉄のハッチに、ミューラァ少佐は何か不吉なものを感じて眉をひそめる。だがイチムラは意に介する風もなく「少しお待ち下さい」と言うと階段を上がってハッチに取りついた。待つほどもなくハッチは開き、落下してきた水をミューラァ少佐はまともに浴びる。 「……!」 文句を言おうとした時には、イチムラの姿はすでに外の闇に消えていた。だがすぐさま中をのぞきこみ「こちらへ」と言う。その間にも水は絶え間なく降り注ぎ、濡れるのを気にしてミューラァ少佐はためらった。が、「早く!」とほとんど叱咤するように言われ、意を決して階段を駆け上る。 とたんに、水と風が彼を襲った。 これは雨か! とミューラァ少佐は思った。なるほど、真っ黒な空からひっきりなしに水が降り注いでいる。だが、ククトで見知った雨とは、水の量といい強さといい桁違いだった。さらに猛烈な風が一緒になって顔と言わず頭と言わず叩き付け、立っているのも難しい。 ミューラァ少佐が外に出ると、すぐさまイチムラはハッチを閉めた。そして先に立って戦闘艦橋に向かおうとしたが、ミューラァ少佐が動くこともできないでいるのを見ると駆け戻った。そしてほとんど彼を抱きかかえるようにして再び歩き始める。 戦闘艦橋は、昼間登った艦橋の下にあるはずだった。だが、あの時はさほどでもなかった道のりが、今はとてつもなく遠い。イチムラが時折何か言うが、轟々たる風に遮られて聞こえず、返事をしようにも叩き付ける雨に口を開くこともできない。ミューラァ少佐が艦の動揺に、あるいは荒れ狂う風雨に翻弄されてよろめく度にイチムラが足を踏ん張って支えるが、体格差がありすぎて支えきれず、一度ならずもろともに濡れた床に転倒した。 一体どうやって戦闘艦橋までたどりついたのか、全く覚えていなかった。気がついた時には、ミューラァ少佐は咳込み、息を切らしながら、真っ暗な構造物の中に座り込んでいた。自分の心臓の鼓動だけが妙に大きく聞こえ、寒くはないはずなのに全身の震えが止まらない。 と、何かが唇に押し当てられた。 「……飲んでください、気付けです」 言われるままに口を開けると、かなり強い酒が流れ込んできた。不意をつかれてミューラァ少佐はむせかえり、それでもいくらか飲み込むと、胃の中がじわりと熱くなる。 次第に闇に目が慣れると、酒を飲ませていたのはイチムラだというのが分かった。こちらもずぶ濡れになり息を弾ませてはいるものの、さほど消耗した様子はない。それどころか、ミューラァ少佐が身動きして立ち上がろうとすると、さっと手をのばして手助けする余裕すらあった。 どうもこの連中は、自分たちとは根本的に鍛え方が違うようだ、とミューラァ少佐は内心で感嘆した。混血とはいえ身体的には決して他人に劣らない……むしろ頑健であるとひそかに自負していた彼だったが、この小柄な人々の前では、足手まといの子供になったような気にさえなる。 と、吹きすさぶ風の音を圧してイムレ大尉の声が聞こえた。分厚い戦闘艦橋の壁に片手をつきながらも、揺れに合わせて器用にバランスを取り、操舵装置や見張りにつくフランスの人間たちの声に応じて次々指示を下している。すでに長時間そうやっているらしく、その全身はミューラァ少佐ら同様びしょ濡れでよれよれになっていたが、ぴんとのばした背筋のせいか張りつめた表情のせいか、軍人らしさは少しも損なわれていなかった。 立ち上がったミューラァ少佐の動きに、イムレ大尉は気付いたらしかった。ほんのわずか首をめぐらせると、「起こしてしまって申し訳ありません」と言う。 「船室よりここのほうが安全と思ったので、お呼びしました」 「……一体何が起こってるんだ」 どこが安全だ、と問いつめたい気持ちになりながらも、その気力もなくミューラァ少佐は問い返した。イムレ大尉が答えようとした時、またしても水夫の声が響き、すかさず彼はそちらへ向くと厳しい調子で命令する。 「……嵐です」 そのままの姿勢で、淡々とイムレ大尉は言った。 「しかも相当の大物ですね。もう1日ほど気圧計が下がりっぱなしです。このまま行けば我が海軍の記録更新ですよ」 「…………」 いやに冗談めかした言い方が、ミューラァ少佐には気に入らなかった。ごく短いつきあいだが、この大尉が場所柄もわきまえず冗談を言うような人間ではないことは、すでに分かっている。 そんな彼の視線を避けるように、イムレ大尉はわずかに場所を移動した。ミューラァ少佐を支えるイチムラに「救命具は持ってきたか?」と尋ねる。 「はい。そこに置いてあります」 彼が指差す先に、赤と白で塗られた輪のような物が見えた。イムレ大尉はうなずくと、イチムラの手から酒の小瓶を取り上げる。 「持ち場に戻れ。呼ぶまで待機」 「はっ」 イチムラは大尉とミューラァ少佐に敬礼をしたかと思うと、一動作で戦闘艦橋の外に飛び出して行った。はっとしたミューラァ少佐は風雨も構わず外を覗くが、すでに彼の姿は横殴りの雨と闇に隠されて見えなくなっていた。と、ぐらりと艦が大きく傾き、危うくミューラァ少佐は転げ落ちそうになる。間一髪で伸びてきたイムレ大尉の手が、彼の腕を掴んで艦橋内に引きずりこんだ。 「外に出ないでください。それから、これを」 小瓶を押しつけられて、ミューラァ少佐は面食らった。 「……これは」 「我々は勤務中ですので貴方に預けます……何かの役に立つと思います」 やはりこの男は何か隠してるな、とミューラァ少佐は思った。ここ数日、抱くことを忘れていた他者への疑念が再び芽生えるのを感じ、彼は歯を食いしばる。いささか乱暴に瓶をひったくってポケットにねじこむと、不審げな大尉を尻目に、艦橋の隅に陣取った。一瞬、何か言いたそうな顔をしたイムレ大尉だったが、丁度水夫から声が飛ぶと、さっと振り返って指揮に戻る。 夜が明け始めたのか、外がわずかに明るくなってきていた。ぼんやりとだが、周囲の風景が見えるのに気付いて、ミューラァ少佐は戦闘艦橋の出入り口から用心深く外を覗く。そして肝を潰した。 海も、空も、全てが荒れ狂っている。 黒い波が『ウネビ』を飲み込むかのように押し寄せ、バーンという音と共に艦首にぶつかってくる。その度に大量の水が艦上になだれこんでは、河のように流れ下っていく。『ウネビ』の前の部分はしばしば水の中に没し、艦全体がぐらりと揺れてそのまま沈むのではないかとひやひやさせた。各所に張られたワイヤーはひっきりなしに風切り音を立て続け、細い棒や手すりは波や風の圧力で今にももぎ取られそうになっている。実際、何ヶ所かすでに器材や部品が失われたとおぼしき場所もあった。 そして、それら全ての光景が、激しい横殴りの雨の向こうに時折霞んでしまうのだった。 今にも気が変になりそうな気がして、ミューラァ少佐は思わず目をそむけた。絶望的な気分でイムレ大尉を見やり、そこで大尉と目が合う。 「……万一の時には、貴方には退艦していただきます」 彼の気持ちを知ってか知らずか、ひどく落ち着いた調子で──激しくなる風の音のためにかなり声を張り上げなくてはならなかったが──イムレ大尉は言った。その声音に、ミューラァ少佐ははっとする。 「大尉……」 「我々は、何があろうとも『畝傍』を祖国へ持って帰らなくてはなりません。しかし、貴方はそうではない。機会は私が指示しますから、それに従って脱出してください」 「しかし……」 それほど『ウネビ』は危険な状態なのか、とミューラァ少佐は暗澹とした。しかも、脱出したところで、あの海の有様では生き延びられる可能性は皆無だ。そう返そうとしたところで、イムレ大尉がすっとそばへ寄ってきて彼を見上げる。その黒い瞳には、ミューラァ少佐がはっとするほどの強い光があった。 「そしてもし万一、我々が帰らなかったら……貴方が命永らえていつか我が国を訪れることがあったら……貴方の口から、我々のことを伝えてほしいのです」 「…………」 ……とことんやる気なのだな、この男は。とミューラァ少佐は思い。我知らず姿勢を正した。今のイムレ大尉の頭にあるのは、軍人として、任務を達成できるかできないかということだけなのだろう。たとえこの嵐の中、『ウネビ』と共に沈もうとも、彼は最後までその任務を捨てる気はないに違いない。だから、「客人」である自分にあえて脱出を示唆するのだ。 だったら、それを尊重するのが、同じ軍人としての礼儀だろう。 「分かった。できる限り努力しよう」 「お願いします」 イムレ大尉の目の光が和らぎ、笑顔を作った。そして照れ隠しのように「もっとも、生きるも死ぬも五分五分ですがね」と付け加える。 「そう考える根拠があるのか」 「自然の有り様は、人知の及ぶ所ではありませんから」 「……そういうものかね」 場違いなほどまじめくさったイムレ大尉の台詞に、思わずミューラァ少佐は苦笑する。 ……事態が激変したのは、その直後だった。 フランス水夫の絶叫に、イムレ大尉がはっとして振り返った。その口から今までになく切羽詰まった命令が飛ぶ。間髪を入れず操縦装置を握っていた水夫が反応したが、その瞬間、巨大な波がどぉんと音を立てて『ウネビ』の横腹へぶつかってきた。悲鳴じみたきしみをたてながら、『ウネビ』は斜めにかしぎ、あがくようにして姿勢を立て直そうとする。 そこへもう1回波が襲いかかり、さらに『ウネビ』の横面を張り飛ばした。再び『ウネビ』は大きく傾き、一瞬、静止すると、力尽きたようにそのまま横倒しになっていく。 わき起こる叫びと怒号の中、とっさにのばした片手が空をつかみ、ミューラァ少佐はそのまま「下」へすべり落ちかける。と、その腕をひっつかんだのはイムレ大尉だった。この小さな身体の一体どこにそんな力があるのか、大尉は彼を引きずるようにしてすでに壁に近くなった床を駆け上がり、あっという間に戦闘艦橋の外へ突き飛ばした。 「!」 叫ぼうとしたミューラァ少佐だったが、その瞬間に波にさらわれた。塩辛い海水を思いっきり飲んで息がつまる。振り回した指先に何かが触り、無我夢中で引きずり寄せるとそのまま抱え込んだ。その浮力に引かれるようにしてようやく空気中に頭が出る。 ひとしきりむせかえり、咳込んでから、ミューラァ少佐はようやく目を開けた。しがみついている物に視線を落とすと、それは赤と白の救命具だった。艦が揺れた拍子に飛び出したのか、イムレ大尉が彼めがけて放り投げたものか……。 ……『ウネビ』はどこだ!? 額に手をかざして叩き付けてくる雨から目をかばいながら、すっかり明るくなった嵐の海を、ミューラァ少佐は必死で見回した。だが巨大な波のせいで視界が遮られ、それらしき艦影はどこにも見あたらない。まさか置いてきぼりにされたのか……と背筋に冷たいものが走ったが、いくら何でも、あれだけの大きさの物がこんなに早く視界から去る訳がないと思い直す。 と、波の間に何かが見えた。 ミューラァ少佐ははっとし、そちらに向かって目をこらした。その時、ひときわ大きなうねりが彼の下に入り込み、身体を上へと持ち上げる。これ幸いと彼は身を乗り出すようにしてそちらを凝視し……思わずうめき声をもらした。 ミューラァ少佐の目に映ったのは、今しも海中に没しようとするとする巨大な金属の物体だった。艦首のほうはすでに沈んで姿が見えなくなっているが、やや斜めに持ち上がった艦尾がわずかに海面に突き出ている。死にひきずりこまれつつある者たちの最後の抵抗のように、空中に突き出たスクリューが、波に洗われながらまだ回り続けている。 ……ようやくそこまで見て取った時には、ミューラァ少佐の身体は再び波の谷に引き下ろされていた。だが、それだけ見れば充分だった。 イムレ大尉はこれを予期して、自分を艦橋へ呼んだのかと、半ば呆然としながら彼は思った。もし船室にいれば、巻き添えをくって一緒に沈んでいたところである。恐らく、大尉はこの嵐の中、『ウネビ』がこういう形で最期を遂げるであろうことを予測し、少しでも脱出しやすい戦闘艦橋に来させたに違いない。 そして、イムレ大尉自身は……。 「……くそっ!」 不意にやり場のない怒りにかられて、ミューラァ少佐はこぶしを海面に叩き付ける。はずみでバランスが崩れて波に呑まれたが、すぐに頭を出すと、いまだ止む気配もない嵐をにらみ上げた。 「俺は許さないぞ! こんなこと、絶対に許さないからな!」 そんな彼をあざ笑うかのように、轟々と風雨は渦巻き、彼を包んでいった。 気がついた時には、彼は元の世界に戻っていた。 あの後、嵐の中で漂流するうちに、次第に意識もとぎれがちになっていった。最後にぼんやり覚えているのは、消耗していく体力を気にしながら、救命具を波に奪われまいと死に物狂いでしがみついている所だった。とうとう手を離して海に沈んだような気もするし、なんとか嵐はしのいだものの、飢えと渇きに力尽きた気もする。 元の世界で彼を救助した者たちは、その状況の不自然さに一様に首をかしげた。中にはあからさまに疑惑の目で見る者もあったが、ミューラァ少佐は一切沈黙を守り通した。言っても信じてもらえるとは思えなかったし、自分自身、体験したことが現実なのかどうか自信がなくなってきたからである。 だが、世話係だったイチムラが作ってくれた服は、今でもミューラァ少佐の手元に残っている。そして、イムレ大尉が残した言葉も、彼ははっきりと思い出すことができる。 ──貴方が命永らえ、いつか我が国を訪れることがあったら、貴方の口から、我々のことを伝えてほしいのです。 ……それを永久に果たせなくなったことを思うたび、彼は悲しみにも似た気持ちを抱くのである。 *この物語は史実をもとにしたフィクションです。 登場人物等は物語用に脚色したものであり、実際のものとは異なっています。 明治海軍とミューラァの萌えコラボ〜と思ったら、恥ずかしくて外に出せなくなった一品。 『畝傍』の内部構造に関しては、資料がないので『三笠』を参考にしてあります。 | |