昔。 ――とはいえ、数百年の昔ではない。 まだほんの数十年。 東京が、『帝都』と呼ばれていた頃のことだ。 『奇術』――或いは『妖術』なる言葉が、人々の口にのぼっていた。 見世物小屋の火吹き男。蛇娘。 曲馬団(サーカス)の道化師の軽業。 口上の商人の売る、得体の知れぬ万能薬。 狭い敷地の中に世界を織り成すパノラマ―― 魔術と呼ぶには、少しばかり世俗に依りすぎている。 けだし科学の範疇(はんちゅう)に入れるには、あまりにも日常を外れている。 そんな挟間の領域に属する技術に、人々が与えた名前。 科学は昼を、そして魔術は夜を司る。 ならば、『奇術』の支配する刻は―― 黄昏。 そうだ。 挟間に存ずる術には、挟間に存ずる時間こそが相応しい。 逢魔ヶ刻(おうまがどき)とも称される、あやかしの時間こそが。 子供達は――そして大人たちも、怯え、そして焦がれた。 昼間見なれた光景のなかに、あたかも別世界への扉が口を開けているかのようなこの時刻を。 時代は移ろい―― 怯えがゆえか、人間は闇を、夜を削っていった。 東京が、夜なき街と呼ばれるまでに。 ゆえに、夜と昼の挟間は消えた。 見世物小屋も、曲馬団も、口上の商人も。 黄昏に棲まう者たちは、逐われるがごとくに街角から去り―― 妖術奇術という言葉も、ただ旧き時代への懐みを呼び覚ます化石として人々の心に残った。 ――かのように見える。 だが、黄昏は本当に消えたのであろうか。 否。 人々が闇を祓(はら)わんと光を灯すならば―― その光はまた、新たな影を造りだす。 街と――人々の心の中に。 光があり、闇があり―― その挟間に、黄昏はいまもひっそりと息づいている。 そして、黄昏を支配するあやかしの術もまた―― さあ。 物語を始めよう。 緋色に色づいた街。 そして、その街に魅入られたものたちの物語を―― 東京、浅草。 新しき刻と旧き刻が 混じりあう街。 物語は、ここから始まる。 |