〜第十九幕〜 決意






「――――」
 つばさはしばらくの間、目の前の人影に呆けたようなまなざしを向けていた。驚いた――というよりは、どういう風に口を開いていいものやら分からなかったのだ。
 顔をあわせるのはこれで三度目ということになるだろうか。いつも唐突だ、彼が自分の目の前に現れるときは。
「……赤城くん?」
 つばさがかけた声に、人影は――赤城 仁矢は応える気配を見せなかった。あいもかわらぬ不機嫌そうな表情を浮かべ、黙ったままつばさを眺めやるばかりだ。
 ざざぁっ……と樹々の葉を波立たせて、夕風が辺りを吹き過ぎた。さらわれそうになった野球帽を片手で目深に被り直すと、仁矢はベンチのすぐ前まで足を進める。
「やっぱり赤城くんかぁ。ここのところ、なんだかよく会うね」
 顔をあげ――けれどもなんとなく視線は合わせられないまま、つばさは力なく笑った。
「……座るぜ、ここ」
 いくぶん硬さを感じさせる声で、仁矢がはじめて口を開く。
「え? ……う、うん」
 戸惑いがちにつばさが頷くより早く、彼はベンチに腰を落としていた。つばさの横、ふたり分ほどの間を空けて。
 錆びた歯車が噛み合いもしないまま回っているようなやりとりだったが、つばさにはどうしようもない。二人の間には再び沈黙が生じ――風が樹々の葉を撫でる音が、やけにはっきりと耳に入った。
「えっと――その――」
 つばさは横目で、ちらりと仁矢のほうをうかがう。彼は何か難しいことでも考え込んだ様子で、沈む夕陽に険しいまなざしを向けているばかりだ。
「さっきはごめんね。なんか、ひどいこと言っちゃって」
 ぺこりと頭を下げて――つばさはそのまま俯いてしまう。
 顔をあげられない。なぜだかはわからないけれど、仁矢と正面から視線を合わせるのがひどく辛かった。
「……どうかしちゃってたんだ、あたし。あんなことになったの、仁矢くんとか、茜桟敷のひとたちのせいじゃぜんぜんないのにね」
 まるで、仁矢や上級生二人が千絵ちゃんをあんな目に遭わせたみたいな言い方をして。最低だ、あたしってば。
 そう、千絵ちゃんがあんなことになってしまったのは、彼らのせいなんかじゃなくって――
「いいのかよ、そんなんで」
「……え?」
 唐突な仁矢の声に思考を遮られて、つばさは顔をあげた。
「俺はまた、顔を合わせたとたんにもう一回怒鳴られるもんだとばかり思ってたぜ」
 淡々と呟く仁矢の声に、嫌味の色はない。
「やだなあ。しないよー、そんなこと」
 たはは、と空笑いを浮かべて、つばさは手を振った。
「……あたしの、せいだもん、ぜんぶ」
 溜息のような声が、ひとりでに唇から洩れ出でる。
 仁矢がわずかに眉を顰め、険しい表情をつくるのが見えた。つばさは顔を逸らして、自分のスニーカーのつま先にまなざしを落とす。
「あたしがこんな『力』なんて持ってなかったら、あのおじいさんに狙われることなんてなかったんだし――千絵ちゃんだってあんなことにはならなかったもん。仁矢くんたちなんて、ぜんぜん悪くないよ。いけないのは、あたし――」
 あたしのせいなのだ。お母さんとおばあちゃんが、幸せな暮らしを手放さなくてはならなかったのも。何も知らない千絵ちゃんが、命の危険にさらされているのも。
「ほんと、思う。いなかったほうが、よかったんだよね。あたし――
 ごめんね、仁矢くんたちにも迷惑かけちゃって」
「……馬鹿か、お前」
「――え?」
 低く尖った仁矢の声に、つばさはぴくりと肩を竦ませた。
 思わず巡らせた視線の先には、これまでと変わらぬ仁矢の顔がある。硬く口元を結んだ、不機嫌な表情。
 だが、違う。鋭いそのまなざしの奥に宿る光が。
 これは――怒り?
 なんで赤城くん、怒っているんだろう。訳のわからないまま、つばさは仁矢の顔を見つめる。
 ゆうに十秒ほどの沈黙ののち、仁矢は落ちゆく夕陽にまなざしを戻して口を開いた。
「そうやって自分が悪かったって言ってりゃ、お前の友達は目ぇ覚ますとでも思ってんのかよ」
「――――」
 重い、声だった。重くて鋭い、錆びついたナイフのような呟き。その刃はつばさの中にゆっくりと、しかし確かに突き立っていた。
 夕風がまた、静かに樹々の葉を揺らす。
 何か答えなきゃいけない。そう思いながら、言葉がうまく喉元に上がってこない。仁矢の顔を見つめたまま――つばさはぱくぱくと口だけを動かした。
 溜息がひとつ、仁矢の唇からこぼれる。立ちあがると、彼はつばさに背を向けたままゆっくりと歩き始めた。
「ま、待ってよ赤城くんっ!」
 つばさは懸命に、なんとか声を絞り出す。なにがなんでも仁矢を引きとめなくてはいけないような、このまま背を向けられてはいけないような、そんな気がした。
 足を止める仁矢。だがつばさには、続ける言葉がない。
「あ――赤城くん、どうしてここに来たの?」
 咄嗟に、そんな問いが口をついて出た。
「……茜音のやつに言われたんだ。お前を茜桟敷まで連れてこいってな」
「茜音さんに?」
 つばさの声に、仁矢は頷きはしなかった。こちらに背中を向けたまま、いらだたしげにちいさく舌打ちをしただけだ。
「『力』さえもってりゃ誰でもいいと思っていやがるからな、あいつは」
 独り言のような仁矢の呟きに、つばさは思わずぴくりと肩を震わせる。
 胸の奥が、冷たく竦んだ。言外に、彼は告げているのだ。お前なんかを茜桟敷に連れていっても意味がない。お前は要らない、と。
「――お前、もう家に帰れ」
 動けないつばさに、仁矢は言葉を重ねる。
 悪意はなく淡々と――だからこそ、心に楔を打ち込まれるような、そんな声だった。俯いたまま、つばさは両の拳をきゅっと握り締める。
「お前の友達は、俺らが助ける。ふざけたあのじじいは、俺が潰す。必ずだ。
 お前は家に帰って、鍵かけて部屋ん中にこもってろ」
 断ち切るような声でそれだけ言うと、仁矢はゆっくりと歩き始めた。二歩、三歩、足音が遠ざかっていく。
 目をあげると、いまにも沈む夕陽に溶け消えんとしている仁矢の後ろ姿が見えた。静かな、けれども鋭い力を帯びた――これから自分がなすべきことを、確かに知っている少年の背中。
 刹那――自分の中でぶわっ……と何かが膨れあがるのを、つばさは感じた。辛うじて保っていた胸の中の箍を、いともたやすく弾き飛ばして。
 そう、仁矢の言うことは正しい。
 茜桟敷のメンバーと違って、自分には千絵を助ける力はない。どうしたらいいのかもわからない。うろちょろと外を出歩いていれば、あの老人のいい標的になって彼らの足を引っ張るのが関の山だろう。
 わかってる。そんなことはわかってる。
 こうしてくよくよ落ち込んでいるだけならば、家に帰って部屋に閉じこもるべきなのだ。
 わかってる。わかってる、けれど――
 その瞬間、どうして自分がそんな行動をとったのか、つばさ自身にもうまく説明はできない。
「赤木くんの――馬鹿ぁっ!」
 夕暮れの公園に響く自分の声を耳にするのと同時に、つばさは――つばさの腕は、スニーカーの片方を仁矢の背に投げつけていたのだ。
 砂埃をあげてぽてん、ぽてん、とバウンドすると、紺色の靴は仁矢の足元のあたりに転がる。
 振り返った仁矢は別に驚くでもなく、ほんの少しばかり訝しげに眉を顰めただけだ。
 こともなげばその動作が、つばさの癇癪の炎にさらなる油を注ぐ。理由もなく腹立たしかった。淡々と、冷静な態度を保っている彼が。
 ほとんど飛びかからんばかりの勢いで、つばさは仁矢に向かって地面を蹴る。
 だが、靴を片方履いていないせいで足がもつれた。盛大に、と言っていいくらい思いきり、つばさは仁矢の足元に突っ伏してしまう。
「――うぷ」
「……何やってんだ、お前」
「うううっ、うるさいっ!!」
 勢いよく立ち上がると、つばさは呆れたように呟く仁矢の胸元をぽかぽかと叩いた。
「あ――赤城くんなんかにはわかんないよっ! わかるもんかっ!」
 自分が何を言っているのか、それこそつばさ本人にもわかりはしない。喉の奥がひくついて、それ以上はもう言葉にならなかった。
「う――あ――ううっ――」
 仁矢は、答えない。ただ黙って、つばさの理不尽な癇癪を受けているだけだ。
 ぽすん、と、つばさの拳は仁矢の胸板に止まった。
 なにをやっているんだろう、あたし。泣きじゃくって。昨日はじめて会ったばかりの相手に、こんな自分でもわけのわからない怒りをぶっつけて。
 五年の間ずうっとがまんしてきたことが、どうしてがまんできないんだろう。
 やつあたりだ。どこか頭の片隅で、つばさにはわかっていた。
 多分これは嫉妬なのだ。自分の持つ『力』を使う術を、きちんと心得ている――自分の歩む方向を、きちんと見定めている仁矢への。
「……ああ、わかんねえよ」
 溜息混じりの声が、ふと耳に届く。泣きはらしたままの顔をあげると、仁矢のまなざしが正面からつばさをとらえていた。
「言いたいんならはっきり言えよ。何をどうしたいんだ? お前」
「――――」
 彼の問いに口を開きかけ、しかしつばさには答える言葉がなかった。わからない。本当にわからないのだ。自分が何をしたいのかも、何をすればいいのかも。
 しばしの沈黙のあとで、仁矢は呆れたように溜息をついた。
「お前、自分の友達に目え覚まして欲しいとか思わねえのか?」
「お――思うよっ! 思うにきまってるじゃんかっ!」
 反射的にあげたつばさの大声にも、しかし仁矢は表情ひとつ動かすことはない。
「……だったら、何こんなとこでうじうじしてやがるんだ? んな奴の気持ちが、それこそ俺にわかるわけがねえだろうが」
「だ――だって――」
 再び声に詰まって、つばさは一瞬だけ目を伏せた。
「あ……あたしじゃ、何もできないもんっ。どうやったら千絵ちゃんを助けられるのかだってぜんぜんわかんないし、赤城くんたちとちがって――」
 そこまで言ったところで、はたと言葉を止める。
 ふと、思ったのだ。
 もしも仁矢なら、目の前に立っているこの少年が今のつばさと同じ立場に立たされたならば。何の手がかりも、方法も、誰の協力もなくとも、ただ独りで力尽きるまで道を探し続けるのだろう、と。
「何もできねえなんてのはな――」
 仁矢が口を開く。真正面からつばさを睨み据えながら。
「全部終わっちまって、取り返しがつかなくなってから言うことだぜ」
 口調そのものは、あくまでも淡々としたものだ。淡々としたものなのに――まるで厳しい声で怒鳴りつけられたかのように、つばさには思えた。
 苦しげな声だった。喉の奥のそのまた奥から絞り出された、そんな声だった。
 言葉を返すこともできずに、つばさは立ちすくむ。
 不意に、仁矢の顔にわれに返ったような――しまった、といわんばかりの表情がよぎった。
 苛立たしげな舌打ちとともにかぶりを振ると、仁矢は転がったスニーカーに手を伸ばし、無造作につばさの足元へと放った。それ以上は口を開こうともせずに、彼はつばさに背を向けて歩き始める。
 その肩に――つばさは手をかけていた。
「――待って」
「……何だ」
 訝しげに眉をしかめて、仁矢が振り向く。
「まだ何か用があんのかよ」
「あたしも……行く」
「あ?」

「あたしも、行く。連れてって。茜桟敷に」

 静かな声が、考えるよりも早く口をついて出た。
 そうだ。
 あたしにはやっぱり、どうしたらいいのかなんてわからない。でも――
「……人の話、聞いてたのかよお前。家で鍵かけて閉じこもってろっつったろうが」
「聞いてたよ」
 かぶりを振る仁矢に、つばさはニッと微笑をつくってみせた。
「聞いてたから、ついてく気になったんじゃんか」
 千絵ちゃんをあんな目に合わせた原因はあたしにある。それは確かだ。けれど――いや、だからこそ。
 落ち込んでいたって許されるものではないはずだった。やりかたなんかわからなくったって、千絵ちゃんを助けるための道を探さなければならないはずだった。
 仁矢の言う通り――まだ、何もかも終わってしまったわけではないのだから。
「……馬鹿言ってねえで、手ぇ離せよ」
「やだよ。赤城くんがダメって言っても、こうなったら勝手についてくもん」
 険のある仁矢の声に、しかしつばさは即座に言葉を返す。先程からずっと麻痺していた舌が、ようやく動きを取り戻したような気がした。
「茜音さんに、あたしを連れてきてって言われたんでしょ? 赤城くん。あたしも行くって言ってるんだから、連れてってくれなきゃダメじゃんか」
「――――っ」
 後悔にたえないといった様子で、仁矢が噛みしめた歯の間から息を洩らした――ちょうど、その刹那だった。
「諦めたまえ。君の負けだよ、仁矢」
 涼しげに澄んだその声が、唐突に頭の上から降ってきたのは。
「「――――!!」」
 つばさと仁矢――ふたつのまなざしが一瞬凍りつき、そして声の出所へと向けられる。
 いつの間にそこにいたのだろう。いや、その前にどうやってあんなところに登ったのだろう。
 黄昏の公園を、ぼんやりと照らす街灯。その笠のうえに腰を下ろし、広場を見下ろす華奢な人影がひとつ。
「いや――ある意味では君の勝ちとも言えるかな」
 そう言って茜音は、秀麗な顔に愉快そうな微笑をひらめかせた。


「……見てやがったのか、てめえ」
 エアポケットのようなその沈黙を最初に破ったのは、仁矢の呟きだった。空気を震わすような低い声を、茜音はしかし涼やかな笑みをもって受け流す。
「当たり前だ。見物するつもりがなければ、君のような不器用な人間を誰がこんな役目に選ぶものか」
 そう言って彼女は、つばさたちの前に降り立った。土埃も足音もたちはしない、ひとひらの羽毛が舞い降りるような着地だった。
「まあ、君にしては予想以上の上出来だよ。結果的につばさ君を説得できたわけだからね」
「説得?」
 さも心外だというふうに、仁矢は肩を竦める。
「何見てたんだお前? さっきも言ったろうが。俺は反対だぜ。こいつを茜桟敷に呼ぶなんてのは」
「ふ――」
「……何がおかしい」
 膨れあがる仁矢の怒気も、どうやら不可思議なこの少女には通じないらしい。彼女は優雅な仕草で前髪をかきあげると、不敵な笑みとともに仁矢を見上げた。
「何から何までが十分に可笑しいさ。さっきから聞いていれば――君はつばさ君に動いてほしいのかほしくないのか、どっちなんだい?
 君の言葉はひとつひとつは筋が通っているが、通して聞くと支離滅裂のいい見本だよ、仁矢」
「――――」
 肩を強張らせ、しかし仁矢は言葉に詰まる。その様子を満足げに一瞥すると、茜音は呆然としているつばさにまなざしを向けた。
「一昼夜のごぶさただね、駒形つばさ君。もっとも、君にとってはずいぶんと久方ぶりに感じるかもしれないが」
「え――あ、はい――」
 茜音と仁矢の顔をおっかなびっくりに見比べながら、つばさは答える。仁矢は苛立たしげに黙り込んだままなのだが、茜音はもはや彼にひとかけらの注意も払うつもりはないようだった。
「あの時とは、いささか状況が違うかな。茜桟敷がいかなる集団で何と戦っているのか――昨日君自身が発した問いには、事実がある程度の答えをくれたはずだ。あまり幸運な形でとは言えないがね」
 流れる水にも似た滑らかな口調で、男装の少女は言葉を続ける。
正面からつばさを見据えるその瞳は、ふとすると呑みこまれてしまいそうに深い。
「そしてなにより昨日と異なるところは――君がすでに傍観者ではなく、事件の当事者だということだ。そうだね?」
 茜音の言葉に、つばさはこくりと頷いた。
 脳裏にあの、黒衣の怪老人の姿がよぎる。あの老人が自分を狙っていること――自分が事件の渦の中心に立っていることは、いまや拒みたくとも拒めない事実だった。
「当事者である以上、君は自ら選ばねばならない。この事件に対して、どういう姿勢をとるのかを」
 言葉とともに、茜音の瞳がすうっ……と鋭く細められる。つばさの目の前に、彼女は二本の指を立ててみせた。
「選択肢は二つある。
 ひとつは、事件に背を向けて逃げるという道。このまま僕ら茜桟敷と関わるのは避けて、おとなしく家に閉じこもっていればいい。
 そしてもうひとつは、事件の核に向けて進む道だ。僕らと行動をともにして《蛇使い》を追い、あの老人を捕らえるのに力を貸してもらうことになる。
 どちらを選ぶかは君次第だよ。もっとも、仁矢との話を立ち聞きさせてもらったところでは、君はすでに答えを固めているようだがね」
「――――」
 つばさはしばし、唇を噤んだ。
 迷ったせいではない。答えはもう、つばさの中ではっきりと形を結んでいる。ただ――
 かたわらの仁矢に、ちらりを視線を走らせてみる。彼を抜きにして茜音との間だけで話を進めていってしまうのが、なんとも心苦しかったのだ。
 だが仁矢は険悪なまなざしを茜音に向けたまま、微塵ほども口を開く気配を見せはしない。
「あ……茜音さんは――」
 それ以上沈黙を長引かせることはできずに、つばさは切りだした。
「茜音さんは……千絵ちゃんを助けることができるの?」
 静かながら炯烈な光を宿した彼女の瞳を、負けないくらいまっすぐに見つめかえす。これほど真剣にひとにものを訊ねるのは、生まれて初めてかもしれなかった。
「……いささか難しい質問だ」
 つばさの態度に応えてのことか、茜音の顔から笑みが消えた。
「僕も神様じゃないから、これから転がすダイスの目を保証することはできないね。
だが、これは確かだ。僕ら茜桟敷以外の人間には、そもそもダイスを振ることさえできはしない。君の友達を助けられるのは、あの老人と同じ世界に身を置く人間――すなわち、僕らだけだ」
「あ――あたしにも、手伝うこととかって、できるのかな」
 切羽詰まった声で言ってから、つばさは思わずごくりと唾を飲みこむ。しばしの間をおいて、茜音はおもむろに口を開いた。
「君次第だ、と言っておこう。
 ……今の返事は、行動をともにすることへの了承と解釈していいのかな?」
「え、えっと――はいっ」
 つばさは頷いた。
 返事の声が心もとなげになってしまったのは、かたわらの仁矢の様子が気にかかったからだ。
 彼の言葉がなければ、自分は茜桟敷に赴こうなどとは思わなかっただろう。けれどもその彼は――つばさが行動をともにすることを歓迎しているようにはとても見えなかった。
「というわけで、仮契約は成立だ。協力を感謝するよ、仁矢」
 その仁矢に、茜音がしれっとした言葉とともに微笑を投げかける。
 むろん返事がかえされるはずもない。仁矢はもはや、掘りだされた不発弾にも似た物騒な沈黙を崩そうとはしなかった。
「あ……赤城くん?」
「君が気にすることはないさ、つばさ君。臍を曲げているだけだからね」
 そう言ってから、茜音は大仰な溜息をついてみせた。
「困ったものだね、仁矢。何がそんなに不満なんだい?
 君の熱意ある説得が効を奏して、つばさ君は悲劇から免れることができるんだ。少なくとも、『背を向けているうちに何もかもが終わってしまう』という最悪の事態からはね。喜ぶべきことじゃないか。
 ……それとも何かな、仁矢。つばさ君にも、自分のときと同じ轍を踏ませたかったのかい?」
「――――!」
 刹那――つばさは思わず肩を竦める。
 空気の質が、変わったのだ。まるで、目に見えない無数の刃が一瞬で宙を満たしたかのように。
仁矢の周りに殺気が張り詰めるぎぃんっ! という音さえ、つばさにはその時、確かに聞こえた気がした。
 ――自分のときと同じ轍を――
 茜音が放った言葉の意味を、つばさは解することができない。だが、その一言が仁矢の胸の奥にある触ってはいけない何かに、深々と爪をたてたことだけは確かだった。
「……やれやれ」
 殺意のこめられた――そう言ってもいいであろう仁矢の視線を冷笑をもって受け流すと、茜音はくるりとふたりに背を向けた。
「いつまでもここで話していても仕方がない。ついてきたまえ、つばさ君」

第二十幕『未知への扉』に続く




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