第七話 『緋色の罠』
どうすれば――いいのだろう。
どの道を、わたしは選べばいいのだろう。
どれほど考えても、この胸は答えを紡ぎだすことができない。
いや、違う。
答えなど、もはや決まっているのだ。
わたしには、もはやできはしない。それ以外の道を選ぶことなど。
だから――これは最後の躇(ためら)いなのだ。
心に定められた、ただひとつの道。
それは、罪へと続く道だから。
心に燃える狂おしい想いのみを灯火(ともしび)とした、底知れぬ罪の暗闇へと続く道だから――
シャザムの背中が見えた。
彼はゆっくりと階段を下ってゆく。その階段の続く先にあるのは、闇。光ひとつ見えない無明の空間だ。
――どこにいくの? シャザム。
ハルシアは問いかけた。
けれども彼は応えない。こちらの声が届いていないのか、振り向くことも足を止めることもせずに、ただゆっくりと闇の中へと遠ざかってゆく。
ねえ、シャザム――!
ハルシアは叫んだ。叫びながら後を追った。
闇はねっとりと密度を増し、行く手を遮る。それでもハルシアは必死に駆けた。このまま闇の中に消えてしまったら、もう二度と会うことはできない。そんな気がして。
かろうじて距離を詰め、シャザムのすぐ後ろに追いつく。広いその背中にすがり、ハルシアは今一度彼の――最愛の青年の名を叫んだ。
と――
大きなてのひらが、ハルシアの華奢(きゃしゃ)な両の肩をそっと包むこむ。
気がついたときには、シャザムの顔がすぐ目の前にあった。
声をあげるよりはやく――そっと唇を塞がれる。
いつもの、不器用で荒々しいくちづけとは違う――まるで、何かを確かめるような、優しくそして長い唇の重ね合い。
ハルシアはそっと目を閉じた。
唇だけを感じて、この一刹那、唇だけの存在になりたかった。
――そのまま、どれほどの時間が過ぎたのだろう。
ゆっくりと、シャザムの唇は離れた。ついで、肩に置かれた手が。
瞳を開き――そしてハルシアは息を呑む。
シャザムの姿はどこにもなかった。周りにはただ、あの色濃い闇が立ちこめているばかり。
シャザム。
どこにいったの、シャザム?
闇の中に視線を巡らせ、そしてハルシアは見つけた。階段の遥か下方、こちらに背を向けてゆっくりと降りてゆくシャザムの姿を。
あらん限りの声で、彼の名を呼ぶ。だが、その声はもう届かない。
いっそう密度を増した闇が彼の後ろ姿を霞ませ、呑みこんでゆく。
いやだ。
行っちゃいやだ、シャザム。
激しくかぶりをふって、ハルシアは追いかける。
わたしも、いっしょに――
だが、いくら走っても彼の背中は近づいてこない。
なおもその密度を増し、足元に絡みつく闇。
消えかけたシャザムの背中を追って、階段を下る。地の底まで続くかのように思える長い道を、どこまでもどこまでも――
目を覚ました時、ハルシアは己の頬を伝う涙に気付いた。
夢を見ていた気がする。ひどく悲しい夢を。
どれほど前から泣いていたのだろう。涙は乾きかけ、頬にはひんやりとした涼しさを感じる。
てのひらで瞳を拭(ぬぐ)い寝台から半身を起こした時、ハルシアは部屋を支配する静寂に気付いた。
シャザムが、いない。
つい先程まで、側らで午睡(うたたね)に沈んでいたはずの彼が。
「――シャザムっ」
声をあげながら部屋の中を見渡す。それが無為な行いであることは自分でも解る。この部屋のなかには、隠れて見えないような場所はないのだ。
当然シャザムの姿は見えず――その代わりにハルシアの視線がとらえたのは、木製の卓の上に置かれたひとひらの羊皮紙だった。
拾いあげてみると、そこにはたった一行の走り書きが見て取れる。間違いない、これは――シャザムの文字だ。
――刀を砥ぎに、加治屋に行ってくる。日没までには戻る。
紙片を掴(つか)む指に、思わずきゅっと力がこもった。
確かに、壁に立てかけてあったシャザムの刀は持ちだされている。だが――
あまりにも不自然だ。シャザムが何も言わず、部屋を空けるなんて。
重い不安の闇が、胸の底にじんわりと広がった。そしてその闇に導かれるように先程見た夢がゆっくりと形を為し、よみがえってゆく。
地の底まで続く道を、こちらに背を向けてどこまでも下ってゆくシャザム。
ただひとたびの、長い口づけ。
ハルシアは唇に指をあてた。
違う――あれは――あれだけは夢ではない。
まどろみの中で、シャザムは確かにわたしにそっと口づけた。唇に、柔らかな温もりがまだ残っているようにさえ思える。
シャザムはどこに行ったのだろう。
不安は刻々と膨らんでゆく。ハルシアは激しくかぶりを振ってそれに抗した。シャザムは本当に刀を砥ぎに行っただけかもしれないではないか。一月を超える荒野の旅で砂風にさらされた刃を鍛えなおすために。
――そんな気休めは自分自身でも信じられなかった。
けだるく西陽が射しこむ宿の一室で、ハルシアは立ち尽くす。
高い窓の外から聞こえるのは、かわらぬ街のざわめきだけだ。だがハルシアの胸中には、先日耳にしたばかりの風の唸(うな)りが響きわたっていた。
嵐のように、渦を巻いて荒れ狂う不安。
眩暈(めまい)すら感じるほどの――
だが。
その轟音の向こうから、不意に囁(ささや)くような声が聞こえた。
――今しか、ない。
はっとして、ハルシアは顔をあげる。
脳裏に響いていた風の音がはたと止んだ。
静寂を取り戻した胸の底から、再び声が響く。ほかでもない、自分自身の紡ぐ声が。
そう、今しかないのだ。あれを決行するには、今しか。
シャザムは日没近くまで戻らない。
壁に立てかけられた対の刀に、ハルシアは視線を向けた。唾を飲みくだす音がやけにはっきりと耳に届く。
今しか、ない。
こんな迷いを、張りつめた惑いを断ち切るには。
ハルシアは寝台から立ちあがった。刀のほうに足を踏み出しかけ――かすかに眉を寄せて動きを止める。
ほんとうに、そうするつもりなの?
別の声――されどやはり己自身の声が、胸の中で問うた。
心の逡巡そのままに、ハルシアは自分の手と壁に立てかけた刀とを交互に見やる。
どうすれば――いいのだろう。
どの道を、わたしは選べばいいのだろう。
どれほど考えても、胸は答えを紡ぎだすことができない。
いや、違う。
答えなど、もはや決まっているのだ。
わたしには、もはやできはしない。それ以外の道を選ぶことなど。
だから――これは最後の躇いなのだ。
心に定められた、ただひとつの道。
それは、罪へと続く道だから。
心に燃える狂おしい想いのみを灯火とした、底知れぬ罪の暗闇へと続く道だから――
けれど。
ハルシアは足を踏みだし、刀に手をかけた。ひんやりと冷たいその柄を、てのひらが痛むほどに強く握りしめる。
こうするほかはないのだ。
すべてを終わらせるために。
そして、すべての始まりのために。
「お許しください、兄さま。わたしは――」
呟きかけて、ハルシアはいま一度動きをとめた。対の刀を手にとったまま――微かにうつむき、まぶたを閉じる。あたかも神の前に聖戦を誓う信徒のように。
沈黙はごく短かった。瞳を開くと、彼女は唇から澄んだ声を紡ぎだす。
「わたしは――罪の道を征きます――」
少女の瞳の中で、何かが変わっていた。何かが捨て去られ、何かがみなぎっていた。
短剣を腰の両側に差し、その上から外套(がいとう)を身にまとう。
フードから覗く楚々(そそ)とした顔。微かに陰りをはらんだその面だちに、むろん変わりはない。だが――
いかに形容すれば良いだろうか。
凛とした憂いなどというものがこの世にあるのならば、ハルシアの顔に浮かぶ表情はまさにそれだった。
扉を潜り、彼女は確かな足どりで階段を下る。宿を出るまでの間、誰にも出会うことはなかった。
街を抜ける乾いた砂風が、外套をかすかにはためかせる。ハルシアは歩き始めた。行き交う人々の間をぬって、ゆっくりと、されど確かな足どりで。
――そんな少女の背中を追う、ひとつの視線がある。
薄汚れた布に極端なまでの短躯(たんく)をくるみ、男は足を引きずるように街路を歩んでいた。
通行人たちは彼に一瞬奇異の視線を投げかけ、すぐに目を逸らしてめいめいの方向に歩み去ってゆく。この街では別に珍しいものではない、不具の物乞いだと誰もが見てとるのだ。
ゆえに――気付く者はいない。
彼の足どりが、正確にひとりの少女の後を追っていることを。
粘土ででも造られたかのような、表情の欠落した顔。そのなかで昏(くら)い光を湛えるふたつの眼が、ひとりの少女の背中に注がれていることを。
ハッサン。隻眼の商人イルヴァンの、忠実なる密偵。
彼はただ、少女の後を追う。
バフシャールの黄昏は早い。
風に吹きあげられて地平近くを舞う砂のため、昼を過ぎると空ははや夕暮れの色を浮かべはじめる。
西陽が、都のすべてを淡い紅に染めあげていた。
そう――
これよりこの街の片隅で繰り広げられる、いくつかの運命の終焉を彩(いろど)るように。
刻はただ、黄昏に向けて加速してゆく。
大地に長く伸びる尖塔の影。
朽ち掛けた礼拝堂は、西空を背に凶々(まがまが)しくそびえていた。
街外れゆえ、あたりに人の姿はない。黒い羽を纏(まと)った鳥たちだけがただ塔の上に身体を並べ、甲高い声で啼(な)きながらこちらを見下ろしている。
――墓標だな、まるで。
何とはなしにそう思い――それからシャザムは表情を引き締めて刀の柄を握りなおす。
そう――ここは墓標となるのだ。己の過去を、あの忌まわしい罪を永遠に封じ、葬り去るための。
日の傾きにつれ、礼拝堂の影はゆっくりと彼の方へ伸びてくる。
シャザムは刀を抜くと、唯一の入口である正面の扉に向かって歩きはじめた。足元に立ちのぼる砂煙を、夕暮れの風がさらってゆく。
西日を紅く照り返す抜き身の刃。シャザムは一瞬、それが血に染まっているかのような錯覚をおぼえた。
されど――彼の心に迷いはない。
どれほど、この手が血に染まっていようとも。
どれほど、この手を血に染めることになろうとも。
俺は、ハルシアを手に入れる。どんなときも俺を護ってくれた、最愛の少女との幸福を。
死者たちよ、呪わば呪うがいい。神よ、罰するならば罰するがいい。たとえ罪と偽りの闇に魂の全てを冒されようと、俺は――
シャザムは扉の前にたどり着いた。
この扉の向こうで俺は、数多の屍を築く。イルヴァンという名の隻眼の商人を、そして彼とともに罠を張っているであろう部下たちを、鬼神の剣もて血の海に沈める。
ひとりも逃がしはしない。今度こそ。
その屍の山を越えた先にこそ、俺の、俺たちの幸いは待っている。
左のてのひらを扉にあて、シャザムは瞼を閉じた。
ハルシアを想う。彼女の微笑みを。深く澄んだその瞳を。そして、合わせた唇の温もりを。
宿を発つ前、眠る彼女にそっと唇を重ねた――自分自身にも解せぬ、不可思議な想いにおされて。
長い口づけを終えると、ハルシアはまどろみの底に沈んだまま不安げに眉を寄せた。濡れた唇が紡ぎだす呟きが己の名であることが、シャザムにはわかった。
――すまない。
もう幾度目になるか知れない、胸中の呟き。
――もうすぐ終わる。もうすぐ――
沿う、もうすぐ終わる。終わらせるのだ、この刃をもって。
澄んだ力が全身に満ちる。シャザムは瞳を開いた。
両開きの扉にかけた腕に、静かな力を込める。
錆びついた軋みをあげながら、それでも扉は内側に向けて開いた。あたかもシャザムを誘いこむがごとく。
礼拝堂の中に満ちるのは、静謐(せいひつ)な薄闇。
天窓から落ちた陽射しだけがただ、淡い光の柱をつくりだしている。
扉を潜る前に、シャザムは注意深く内部を見渡した。あの隻眼(せきがん)の商人が動かせる部下は、推し計るに二十人程。そのうちの何人が、この中で待ちうけているのか。
――人の姿は見うけられない。
シャザムは気配を探った。
だが、礼拝堂の中にあるのはただひんやりとした静寂のみ。もとより、広間の奥に祭壇がひとつだけという造りでは隠れる場所などあろうはずもないのだ。
「――――」
注意深く扉を開ききる。
射しこむ陽が入口から祭壇まで、淡い光の道を成した。その上を辿るように、シャザムはゆっくりと中に歩みいる。
周囲を見渡せど、やはり待ち伏せの様子はない。
聞こえるのはただ、己自身の乾いた足音。いやにはっきりと広間に響くその音が、不吉な胸騒ぎをシャザムの胸にもたらした。
イルヴァン。隻眼の商人の狡猾(こうかつ)な笑みが脳裏をよぎる。
――どういう……つもりだ?
あの男は、決して正面から闘いを挑んでくるような人間ではない。何か――何らかの罠が潜んでいるはずだ。この場所に俺を誘い出した、その意図が。
誘い出した?
その呟きを、シャザムは思わず反芻(はんすう)した。
胸中に生じた微かな不安の陰り。それは瞬く間にわきたつ暗雲と化し、すべてを覆い尽くしてゆく。
まさか――
それはあってはならぬ――だが、十分考慮に入れておかねばならぬはずの可能性だった。
シャザムは歩を進める。
正面に見える祭壇。その奥の壁に、何か文字のようなものが書き殴ってあるのが目に入った。
あまりにも軽率だったのだ。
ひとたびあっただけとはいえ、解っていたはずではないか。イルヴァンというあの男の性質は。相手の刃の届かぬ場所から、最も深い痛手を与えんとするそのやり口は。
鼓動(こどう)が高まった。額を玉の汗が滑り目に流れこむ。にじんだ視界で、シャザムは壁の文字を読み取った。
今日、お前は最も大切なものを失うだろう。
凍てつく楔(くさび)が、シャザムの魂に深々と突き刺さる。
愛しい少女の微笑が脳裏に浮かび、すぐにそれは飛び散る鮮血の幻にとって換わられた。
――ハルシア――!
電光にも似たすばやさでシャザムは振り返り、礼拝堂の出口に向けて走り出す。
走り出す――はずだった。
だがその刹那、鋭い衝撃が鳩尾(みぞおち)のすぐ脇に疾った。
開け放たれたままの外への扉。光を切りとるように、ひとつの影が佇んでいる。
シャザムは瞬時にその正体――背の低い痩せた影の正体を悟った。
逆光にも関わらず、何故かはっきりと見てとれるような気がする。眼帯で片目を隠したその顔に浮かぶ、歪んだ歓喜の笑みを。
イルヴァン。片手に小型の弓を携えて。
矢を放った弦の余韻が、静寂の中に細く尾をひいていた。
シャザムは己の胸元に視線を落とした。
そして――見た。衝撃と苦痛に歪んだその瞳で。
鳩尾のすぐ脇に深々と突き立った、一筋の矢。
思い出したように衣から鮮血が滲(にじ)み、激痛と虚脱が全身を襲った。半ば倒れ込む形で、シャザムは床の上に片膝をつく。
「ひゃはっ……はははははははははっ!」
イルヴァンの乾いた狂笑が、礼拝堂の中に響きわたった。
市場通りを抜けると、嘘のように人通りが絶えた。
すれ違う人間の数がまたたくまに減じてゆき――気がつけばハルシアはひとり、廃墟の中を歩んでいた。
かつては都の中心部であったが、五百年ほど前、東方の大帝国の侵攻によって馬蹄(ばてい)に踏みにじられ放棄された街路の跡――なのだそうだ。今はただ、折れた石柱と朽ちかけた壁の狭間を乾いた風が吹きぬけてゆくばかり。
ここを歩くのは二度目だった。一度目は都に着いた夜――偶然市場通りで遭遇したムルドゥ=ハキムの一行を追ってこの廃墟を通った。
あの時は、自分達が尾行する立場だった。
けれども――今はその逆だ。
ハルシアは歩みを止めた。足元に立ちのぼる淡い砂煙が、風にさらわれ流れてゆく。
「……姿を、見せてください」
しばしの沈黙を挟んで、ハルシアは澄んだ声で呼びかけた。決意と、そして憂いに満ちた視線を前方に向けたまま。
応えはない。ハルシアを取り巻くのはただ、廃墟を渉る風の音だけだ。
それでも、彼女はいまいちど口を開いた。
「知っています――宿を出たときから」
静かながらも凛とした声が風に流れ――その風の音の中に、引き摺るような足音が混じった。
ハルシアは背後を振り向く。それに応えるように人影がひとつ、崩れかけた石壁の影から歩みいでた。
――死人を想わせる男だった。
もとよりハルシアの肩ほどまでしかないであろうその短躯を、極端な猫背に丸めている。ぼろ布同然の、すすけた黒の外套――そこから突き出た両腕だけが、奇妙に長く感じられた。
光の無い双眸(そうぼう)をハルシアに向けたまま、男は表情ひとつ変えない。ふたりはしばし沈黙のうちに対峙(たいじ)した。
先に口を開いたのは、男のほうだ。
「何処へ……行くつもりだ……娘」
詰問するというふうでもなく、彼は書かれた文を棒読みするかのような口調で言った。
ハルシアは応えない。
吹きつける風が、編んだ黒髪をゆるやかに撫でてゆく。
男は長く細い右の腕を、すうっ……と衣の中に差し入れた。
「……妙な動きを見せるようであれば……捕らえろと……命じられている」
「――だれに……ですか?」
ハルシアの問いを、今度は男が黙殺する番だった。黙殺というよりは、もとより獲物の言葉など耳に入っていないのやも知れぬ。
右の腕を、彼は衣に入れたときと同じ緩慢(かんまん)な動作で抜き出した。骨の浮いたその手に握られているのは、小振りな一本の短刀。照りつける西陽に、刃は凶々(まがまが)しく照り輝く。
「……行くぞ」
彼がぼそりと呟いた、次の刹那――
その足元で、砂煙が渦を巻いた。
「――――!」
ハルシアは驚愕(きょうがく)に凍りつく。生気を欠いたその風貌からは想像もかなわぬ動きで、男は一瞬にして間合いに飛び込んできたのだ。
膝のあたりを狙って真横に一閃する刃を、彼女は大きく後ろに跳び退いてかわした。ほんのわずかでも遅れれば、肌を斬り裂かれていただろう。
安堵する余裕は無かった。外套を脱ぎ捨て、腰の両側に差した短刀の柄に手をかける。
引きぬく前に二撃目が来た。
右前方から、抉(えぐり)り込むような突き。かろうじて斜め背後に跳躍し、ハルシアは刃から逃れた。
だが、後ろは壁だ。
追いつめられた。こんなに簡単に。
焦燥が生んだわずかな隙も、男は見逃してくれない。
蝗(いなご)を想わせる強靭な跳躍力で、彼はハルシアの懐に飛び込んでくる。むろん、右の腕に必殺の刃を構えたまま。
「――――っ!」
彼女は刀を引き抜く。
ほとんど同じ刹那だった。
ハルシアの肩口を狙う男の刃と、その刃を弾かんとするハルシアの一閃。
――紅に染まる空の下、二つの銀光が交差する。
To be continued……
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