「それからのふたり」
 
 
作・水谷秋夫
 

 
 隆夫と由岐は川べりに立ったまま、川面のほうを見ていた。しかし、川を見ていたわけではない。お互いに隣りの相手を意識して、視線は宙を泳いでいた。
「遅かったな。そっちは今日、どうだった」
「今日も問題なし。うまいこといったわ」
 先に話しかけたのが由岐。それに答えたのが隆夫。ただしそれは外見上のことだ。
「それにしても女ってのはうるさいな。これから隆夫君に会うのぉ? とか、幸恵に言われてよ。自分の体に会いに行くのに何が悪いんだ、って言いそうになった」
「でも、実際にそう言うわけにはいかないでしょ。男の子もうるさいわよ。河田君に、彼女がいる奴はいいなあ、ってからかわれて」
 そう、何が原因かは未だにわからないのだが、この川べりで二人はお互いの体と心が入れ替わってしまったのだ。それから二ヶ月間、隆夫は由岐として、由岐は隆夫として暮らしている。その互いの生活に破綻がないように、毎日放課後二人は川岸で情報交換をしていた。狭い町である。二人が毎日会っているのはすぐにばれた。いちいち否定するのも面倒なので、友達には二人は恋人同士だと説明している。
「こっちは放課後に河田君とオセロやったんだけど」
「それで遅れたのか」
「男の人ってどうして、こう、負けるのを嫌がるんだろう。俺が勝つまで帰さん、って本気で言うの」
「それで手加減したのか」
「まさか。五十九対三。完勝」
 そう、負けん気が強いのは男どもより由岐のほうだ。二人は幼なじみだった。隆夫も気が強い性格なのだが、どちらかというと由岐に押されることが多い。
「ところでさ、うまいこといったわ……、なんて人前で言ってないだろうな」
「隆夫こそ、俺、なんて言ってないでしょうね」
「言ってないけどよ。まあ、いまどき女が男言葉使っても結構ご愛敬だけど、男が女言葉使ったらどう見たっておかまだからな」
「あたしのご愛敬なんて聞きたくないわね。うちのお母さん、言葉づかいにうるさいんだから」
「ああ、それはよく知ってる。先週うっかり、母さん、腹減った、メシまだ? って言ったらそこに正座しなさい、って言われて絞られたよ。由岐。おまえ、家では猫かぶってるだろ。外弁慶だったんだな」
「悪かったわね、まったく……。あたしだって、最近ようやく、俺、って言えるようになったのよ。最初はずいぶん抵抗あったけど」
「それにしちゃ、ここに来ると前の話し方に戻るんだな。俺の顔が俺の声で、あたし、とか、なったのよ、なんて言い方してるの聞くと、自分がおかまになったようで気味が悪いね」
「それはお互い様よ。だって、隆夫と会ってるときだけなんだから。あたしが本当のあたしに戻れるのは」
 それは隆夫も同じだった。由岐に会っているこの時間だけ、自分は隆夫に戻れるのだ。それ以外の、人の目に触れる時間は由岐であるように演技を続けなければならない。もっとも二ヶ月も経つと、由岐として振る舞うのにも慣れてきて、どこまでが演技なんだか、自分でもわからなくなってきているのだが。
「ところでさ」
「なによ」
「俺達さ、入れ替わってちまって、体はもちろん親も友達も立場も服装もなにもかも全部変わったよな」
「そうね」
「でもよ。由岐の態度だけは、全然変わらねえんだな」
「どういうこと?」
「なんで俺の顔見て話さないんだよ」
 由岐は自分の元の顔と体を見ようともせず、川のほうばかりを見つめていた。
「あたしの馬鹿面なんか見たくないからよ」
「なにが馬鹿面だって。自分の顔じゃねえか」
「馬鹿面よ。隆夫さぁ、入れ替わった直後にあんた何したか覚えてる? ぽかんと口開けて、なんだいったい、とか言いながら左手で胸揉んで、右手はポケットの中に突っ込んで、スカートの中を探ってたでしょ」
「お前だって、口をぽけっと開けながら、胸押して、ないない平らだ、とか言ってたじゃねえかよ」
「男の胸触ってどこが悪いのよ。あんたがやったことはいやらしいって言ってるの。スケベ丸出しで」
「自分の体、確かめてんのは同じじゃねえか」
「隆夫があたしの手であたしの胸揉んで……、ああ、思い出したくもないわ」
「……こっち向いたじゃん」
 興奮した由岐は、いつの間にかかつての自分の顔をじっと見つめていた。思わず赤面し、視線を川面に移す由岐。
「見てるもん」
「え?」
「毎日、見てるもん。隆夫の顔。ずっと前から」
「どういうこと」
「この二ヶ月は、毎朝、鏡で隆夫の顔見てるんだ。あたしが笑うと、隆夫も笑うし、あたしが落ち込んでると隆夫も落ち込むんだもん。だから、なるたけ元気な顔しようと思ってる」
「……」
「入れ替わって、ようやく隆夫の顔がちゃんと見られるようになったんだから」
「なんでだよ」
 由岐はまた横を向き、自分の顔を正面から見つめ直した。
「好きな男の子の顔、正面からなんて見られないってば」
「好きなって……、へ?」
 由岐の突然の告白にポカンとする隆夫。
「だから、隆夫は馬鹿だって言ってるの。鈍感! あたしが斜め後ろの席からいつも隆夫のほうを見ていたのなんか、全然気付いていないでしょ」
「……」
「ずっと好きだったんだから」
「お前、だって、俺に、悪態ばっかり」
「素直じゃないもん。あたし」
 また、由岐は隆夫から目を逸らした。
「なんだ……、両想いだったんじゃねえか」
「へ?」
「ずっと嫌われてるんだとばかり思ってた。そうか」
「え?」
「俺も好きだったよ。由岐のことずっと」
 今度は由岐が驚く番だった。大きく隆夫の目を見開かせた由岐。しかし、その顔(実際は隆夫の顔)はみるみる怒り顔に変貌した。
「嘘だっ!」
「嘘じゃないって」
「嘘。河田君、言ってたもん。なんでお前、大人しい女が好きだって言ってたのに、由岐ちゃんと付き合ってるんだって」
「ああ……っと、前に河田に、そう言ったことがあったな」
「だったらあたしを好きなわけないじゃない」
「本当に好きな女がばれるの嫌だったからな。逆のことを言ったんだよ」
「なに下手な言い訳してんのよ」
「いま嘘言って、なんの得があるんだよ。ガキの頃から、俺には女って言ったら由岐しか考えられないの。由岐しか眼中にない」
「信じられない」
「入れ替わって嬉しかったこともあってな。うわあ、由岐の体だ。由岐の胸だって、もう風呂に入るたんびにときめいてるぜ。俺は」
「ふん」
「お前が俺の顔、見もしないで悪態ばかりつくから、とても好きだなんて言えなかったんだよ」
「言わなきゃ駄目よ。なんで言わないのよっ」
「なんでって」
「古今東西、愛の告白は男から言うもんなのよ」
「無茶言うなよ」
「嫌われてると思ったって言わなきゃいけないのっ」
「なんで」
「女の子は男の子に好きだって言って欲しいの。自分が言いたいんじゃないの。言って欲しいの! あたし、だから何年も前から、隆夫と入れ替われたらいいのにって思ってたくらいなんだから。あたしが男の子だったら、絶対、何があったって女の子に先に好きだって言ってあげるのに。隆夫だって二ヶ月も女の子やってたんだったら女の気持ちも、わかるでしょ。だから、あたしが今言ってあげたのよ」
「おい」
「なによ」
「なんで怒ってんだよ」
「怒るわよ。だってあたし、ずっと悩んでたんだから。毎晩、眠れないくらい、悩んでたんだから。入れ替わってからなんか、隆夫の顔、鏡で見て何度も好きって言ってたんだから。隆夫、そんなのなにも知らないで。なにも……」
「だからってよ」
「なによ」
「変だぞ」
「どうせあたしは変よ」
「なんで罵りあわなきゃいけないんだよ」
「腹が立ってるからよ」
「俺、腹、立ってないぞ」
「なんでよ」
「好きな相手に好きだって言われて腹が立つ奴がいるかよ。由岐は俺に好きだと言われてどう思うんだよ」
「どうって」
「由岐、好きだよ」
「……」
「自分の顔で言われたら嫌か?」
「……」
「好きだよ」
「……」
「好きだ」
「嫌……じゃ、ない」
「お互い好きだと言い合って、罵りあうの、おかしくないか」
「……それも、……そうね」
 二人は見つめ合い、笑い合った。
「よし、これからは本物の恋人同士だ」
「そうね。そうなるわね」
「それじゃあ、っと」
 女の細い腕が男の太い首に巻き付いた。
「記念にキスしよ。目、閉じて」
「ちょっと、待ってよ」
「嫌か?」
「そうじゃなくて。目を閉じるのは女のほうよ。隆夫が今は女じゃない」
「さっき由岐、本当の自分に戻ってるって言ったろ? だったら俺は男だって」
「ちょっと待って」
「待たない」
「そんな、心の準備が……、あっ」
 気圧されたように由岐は後ずさり、それでも目を閉じてかつての自分の唇を受け止めた。
「ん……」
「……」
「ん?」
「あら?」
「あれ?」
 見つめ合う二人。
「隆夫、の顔」
「由岐、だよな」
「戻った?」
「戻ってる」
「なんで? キスして戻るなんて」
「もう一回してみよう」
「え? ちょっとちょっと……、ん」
「ん……。もう入れ替わらないな」
「そうね」
「戻った」
「うん」
「なんでだ」
「あたしが入れ替わりたい、なんて前に思ってたから、今まで入れ替わってたのかな」
「素直になれってことじゃないか。俺達が好き合ってるのにずっとすれ違ってたから、神様がいたずらしたんだよ。きっと」
「そっか」
「由岐の顔だ。さっきまで俺の顔だったのにな」
「残念?」
「ちょっとね。由岐は?」
「ふふ。鏡で隆夫を見られなくなったのは残念。でも、本物が目の前にいるし」
「ああ、俺の胸、もう由岐の胸じゃないんだな。揉んでも柔らかくない」
「どこまでもやらしいわね」
「怒るなよ」
「もう怒ってないわ」
 二人はそれからもしばらくの間、ついさっきまで自分のものだったお互いの顔を見つめていた。
「帰るか」
「そうね」
「自分の家に。二ヶ月ぶりだ」
「道、間違えないようにしないと」
「それにさ。これからは俺、うっかりあたしって言わないようにしないとな」
「あたしも俺って言わないようにしないと。せっかく慣れたんだけど」
 
 それから二人は遠慮がちに、でもしっかりと手を繋いで歩き出した。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 水谷です。
 一度はラブコメに挑戦してみたかったので、自分の恋心を伝えられない素直じゃない二人、という定番に従って書いてみました。


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