「猫耳は突然に」

作・真城 悠


 

 打ち据えられた。

 目の前が薄暗くゆがむ。

 後で知ったのだが、この時に私は頭皮の部分に7針を縫うけがを負ったらしい。出血もかなりのもので、さすがにあの男もこたえたのか、私を救急病院に担ぎ込んだらしい。

 しかし、それで何ひとつ現実など変わりはしなかった。翌日からまたあの男は私を殴りはじめる。

 いつの間にか私は法律を勉強するようになっていた。

 特に弁護士や検事になろうと思っていたのではない。あの男から逃げるすべを探していたのだ。

 私にはやはり髪で隠れた部分に、手術でも消しきれない大きな傷あとがある。これは中学生の時にあいつに殴られた傷だ。

 あまりのひどい暴力に耐えかね、警察に保護を求めたのだ。

 あの男以外、私には頼るべき親戚も親類もいない。国家権力とやらに頼るしかなかったのだ。

 あの時警察・・・といっても単なる近所の交番だが・・・では私は相手にされなかった。今から考えれば民事不介入の原則で仕方がなかったのだと思う。あるいは、そこの警官が早くうちに帰りたかったのかもしれない。ともあれ私は相手にされなかった。おそらく、相手にされたところで加害者が警官になるというだけの話だろう。あの男が巧妙だったことも誉めてやらなくてはならないだろうか。決して顔などの目立つところには傷を作らない。本人はよく、チンピラ崩れのくせに某大組織の構成員だったことを自慢するが、なるほどこんなところでだけは信じられる。

「いらっしゃいませ」

 私がその店に入ってから、かなりの時間がたっていた。

 てっきり無人だと思っていたので少し驚いたが、声を上げるほどでもない。

 綺麗な人だった。

 きっと日本人なんだろうけど、その美しさはあたしなんかと別次元・・・だったと思う。

 北欧風・・・とでもいうのだろうか、ゆったりとしたロングスカートに暖かそうな生地の服に身を包んでその人は座っていた。

その肌は透き通るように白く、その髪はため息が出るほどまっすぐに光沢を放って流れ落ちていた。まるで神話に出てくるよう妖精みたいな雰囲気を漂わせている。

 でも少しして、その人の・・・こう言うのは失礼だけど・・・ちょっと異様な雰囲気に気がついた。

 目が私を追っていないのだ。

 もとよりこのアンティークショップみたいなところで客を一人ひとりねめつけるはずもないのだが、それにしてもおかしかった。

 反射的にピンときた。この人・・・目が見えないんだ。

 

 

 私は必死に勉強した。それはもう勉強した。

 というのも、私が安心して学府に通えるのは事務教育までなのは火を見るよりも明らかだったからだ。あの男が、例え公立であれ、高校の学費など高校の学費など払ってくれようはずもない。だったら自分でむしりとるしかないんだ。幸い、うちの家庭環境ならば奨学金も受けやすい。

 実際、私の成績はよかった。

 先生たちも将来を嘱望してくれた。中学生なのにである。というのも私は中学の範囲をとっくに学習し終わり、高校の勉強にまで手を染めていたのである。

 

 

 あの男が描いている私の人生のレールなどすでにお見通しだった。

 風俗に就職させ、自分はその金で遊んで暮らすつもりなのだ。

 私は15歳にして法律を学び始めたことを心の底から後悔した。

 14歳までは、日本の法律では人を殺しても殺人罪が適用されないのである。

 しかし今はもうだめだ。

 逆に「尊属殺人」にとられかねない。

 そう、あんな男でも一応は父親なのだから。

 

 

 本当に不思議なお店だった。

 アンティークショップ・・・なんだろうけど、置いてあるものへの統一性がまるでない。

 いや、確かにこのどこかを古ぼけたお店の雰囲気には良くあっているけれども。

 香水・・・かな?

 その小さな瓶を手に取ってみた。値札もなければ名前らしきものも書いていないので何なのか全く分からない。

「知りたい?」

 後ろから声をかけられた。

「え?」

「それが何なのか」

 もちろん、声の主はあの女の人だった。それは疑問の余地はない。何が不思議なのかといえば、どうして私が手に取ったものの見当がついたのか、である。あて10本7日、それとも盲目であるというのは単なる私の思い込みで本当は見えるのか?

 

 

 私には友達がいなかった。

 いや、できてもすぐに自然消滅してしまうのだ。

 彼や彼女たちは直接は言わないが、私は父子家庭なのが原因なのは明らかだ。いや、私生児だからなのかもしれない。

 私が私生児なのかは実は自分でもよくわからない。

 どちらかといえば、あの男と血がつながっていない方がせいせいするが、きっと現実はそう甘くはないだろう。

 ともあれ、親が「あんな娘とと付き合うのはやめなさい」と引き離しているのだ。1度、珍しく友人・・・いや、せいぜい“知人”か・・・の家に招かれたときには陰でヒソヒソ言っているのが聞こえてしまった。やれやれ、である。そういう話は本人に聞こえないようにやるもんだ。おかげで“聞こえていませんでしたよ”という態度を取るのにえらい苦労した。

 

 

 幸い、私は成績がよかった。これといったトラブルも起こさないし、そういう意味で目をつけられることはなかった。だが、そのおかげでいろいろなものを犠牲にはした。よく帰国子女が目立たないように下手に英語をしゃべる練習したり、進学にそれほど興味がない優等生が目立たないようにわざと成績を落としたりするというが、奨学金をなんとしても取らなくてもいけない私にはそれはできなかった。

 

 

「知りたくない?」

「え・・・」

 私は考え込んだ。その女の人が、私に話しかけているのはお薦め商品のセールストークでないのは直感していた。しかしそうでないなら何なのかは分からなかった。

 私はその香水を置いてレジ・・・と呼べればだが・・・に向かって歩いた。

 その時初めて、その女の人は私の方を向いた。足音に反応しているのだろう。そしてにっこりと笑う。

 見るとそのテーブルの脇に、はかった様に可愛い椅子がある。

「どうぞ」

 促されるまま、私は座った。

「何をお求めですか?」

 

 

 それは卒業も近づいたある日のことだった。私はついに奨学金を得る資格をつかんだのだ。

 担任は、まだ少し不安そうだった。理由は言うまでもない。私の同居人の挙動が気がかりなのだ。せっかく受けた奨学金も、あの男がフイにしてしまえばそれは学校を巻き込んだ信用問題に発展する。

 しかし、私はそれを乗り越えてこの資格をつかんのだ。

 私は勝利者だった。少なくともこの時点においては。

 

 

 時計は間もなく正午を指そうとしていた。

 もう4時間目が終わる・・・か。

 私は風邪で学校休んだときのような感慨にふけった。

 そしてこの店員さんに感謝した。なにしろ平日に制服姿でうろついている少女が不審に思われないはずもない。

「いいお店ですね」

 私は言った。

「ありがとう」

 彼女は答える。

「でも・・・」

 その人はまったく口調も表情も変えずに続けた。

「「それでいいの?」

 私はその人の顔を見た。

 

 

 あとはどうやって高校に行くことをあの男に納得させるかどうかだった。しかし、家に帰った私は、そういった悩みがすべて露散していくのを知った。

 あの男は卒業と同時に私をとある風俗店に売りとばしており、既に手付金の1部も受け取っていた。そして私が、これまでの人生をかけてつかみ取った奨学金全額を引き落としてパチンコと競馬につぎ込んでいたのだ。

 それを知った私は狂喜した。

 これでこの腐った人生に何の未練もなくなった。こんな素晴らしいことがあるだろうか。これで、かつてないほどの愉悦とともにあの男を殺すことができる。

 想像するだけで全身が快感に打ち震えた。

 

 

 私はあまり積極的にしゃべらなかった。この人は言ってみればまったくの第三者である。私がどうなろうとこの人には関係ない。

「難しいわね」

「何が?」

「それであなたの目的が達されるとは思えないわ」

 ・・・この人はどこまで分かっているのだろう?

 私は物覚えがいいので、会話のに20〜30分ぐらいなら頭の中でリピートすることが出来る。しかし、そんな分析を行うまでもなくここまでの会話なら「相手に合わせる」ことで続けられる。妙な話だが、私は祈っていた。頼むから失望させないでくれよ、と。

 もうお決まりの人生訓は聞き飽きたのだ。一度、お金をドブに捨てる積りで街頭に座っている占い師に話し掛けてみた事がある。何でも見通せるみたいなことを吹いているからさぞかし期待していたのだが、ヘドが出そうな下らない人生訓を延々聞かされてうんざりしたことがある。挙句に私の態度が悪いみたいなことを言い始めた。

 そういう意味では私は他人に対して優しくないと思う。「こいつは馬鹿だ」と思えば露骨に態度に出る。まあ、「ムラ」の中にいるときには保身の為にそんな愚かなことはしないが、こんな行きずりの相手には容赦しない。

「じゃあ、どうすればいいの?」

 ちょっと釜をかけてみた。ここで何を言うかが見物である。私は従順な少女を常に装っているが、論理的に大人…いや、相手を打ち負かそうとすればそれはもう全く容赦しない。

「これまでのことをよく思い出してみるのね」

 私は少し失望し始めていた。

 雑貨屋でロープやナイフなどを買おうと思っていたが、そういうのを一度にまとめて買うのはいかにも上手くない。

 足がつくから…ではない。自首する積りだったから逮捕は怖くない。不審に思われて事前に阻止される危険性を排除したかったのだ。その点、少し準備不足だったかな、とは思う。「どうやって殺せば最も苦痛が続くか?」という研究は随分やったが、実際に練習する訳にもいかない。確かに用心深すぎるかも知れないが、制服姿の女子中学生が万力だのペンチだのを買いこんでいればかなり目立つのは必至だ。

「これまでのこと?」

「そう。これまでのこと」

 返事としては悪くない。私の口から語られるようならそれをヒントに問答を続けられる。

「特に無いわ」

「思い出す必要も無いってことかしら?」

 私には彼女の意図がわからなかった。私が何らかのよからぬ思いを抱いている…というか、無目的にうろついているわけではないところまでは見ぬかれている。そこまではいいが、やめさせようとしているのか、それとも煽っているのか。

 正直言うと、さっさと切り上げたくも合った。

 私はこのあと街に出て、最後の貯金で服を買い、その足で“武器”を調達してこなくてはならないのだ。たまたま目に入ったこの「ヒュー」という不思議な名前の店に、娑婆の最後の思い出にとばかりに入っただけなのだ。

「私は…」

 彼女は手を上げて静止した。

「私がそれを聞いてしまうと殺人教唆になるわ。違う?」

 確かにその通りだった。相談者に殺人の意思があるのを知って何らかのアドバイスを続ければ場合によっては罪に問われることもある。

 私には幼少の頃より破滅への願望…というより渇望があった。しかしそれは他人を巻き込むところには成立していない。私は安手のドラマに出てくるような軽薄な馬鹿女ではない。

 しかし…“殺人”という言葉を使ったのは彼女のほうだ。私のほうからはそこまで匂わせる言葉は…発していないはずだ。

「大体…」

 笑った…。確かにこの人の口元に凍りつくような冷たい笑みが浮かんだ。

「殺せばあなたは気が済むの?」

 そう言ったときには優しい微笑みに戻っていた。そして香水の様な瓶がその手に握られていた。

 

 

 結局あの男は私を殴った。

 いつもよりも激しかった。この男にも両親の呵責はあるのか、何かの反動で荒れているのは確実だった。何も言わなくても、誰かに責められている様な気がするのだろう。今夜ばかりは商売道具のはずの顔にまで攻撃を加えてくる。下手に抵抗すれば反撃すら出来ないほどに痛めつけられてしまう。

 この夜は全く余裕が無かった。

 この男は本気で私を殺そうとしている…本能がそう告げていた。

 気がつくと私は「ヒュー」で買ってきた小瓶を投げつけていた。

 

 

 彼女には何やら妙な知識があるようだった。

 ヨーロッパでは統一ローマ帝国が崩壊してから数世紀の間、ローマ帝国の防護兵を失った地に蛮族が横行した。やがて市民革命の時代を迎え、各地に都市壁を持った「都市」が出現する。この時代を暗黒時代(ダーク・エイジ)と言う。

 この時代に出現した一風変わった職業に「冒険家」というものがある。

 彼らは特に何かをするという訳ではない。混沌の地である各地を渡り歩き、その冒険箪をパトロンに披露することで口を糊していたらしい。彼らが本当に「冒険」していたかどうかは定かではない。しかし、この頃に培われた野外生活知識は数多い。当時からダガーと呼ばれる「短剣」は万能用具として重宝されていたらしい。

 そしてこの頃に使われた「武器」の一つに「瓶」がある。薬品や油などを入れた割れやすい瓶を相手に投げつけて「武器」としていたのだ。当時のガラス生成技術でそんなに浪費出来たとも思えないのだが、そこは専門家なのだからこちらは黙っていることにした。ガラスと言っても現在のそれとは違う可能性もある。

 なるほど確かに骨董品屋に置いてありそうな小道具だ。決してセールストークだとは思わないがこの話は面白い。そして当時は生きていた「黒魔術」(ブラック・マジック)の秘法が込められている…物もあるらしい。

 

 

 効果は劇的だった。

 私は「可愛いもの」には縁遠かったせいか、これまでは執着してこなかった。勿論、実際には「来れなかった」。しかし、余りの可愛らしさに私は「それ」を抱きしめ、頬擦りした。

 かつて父親だったその「それ」は今や耳から奇妙な耳を生やした華奢な美少女であった。薄汚れたシャツはだぶだぶになり、そのスレンダーな肢体を際立たせる。

 どうやら彼女は口が聞けないらしかった。不安そうな表情を続けるそれは、私の絶えて久しい母性本能をいたく刺激し、私の身は湧き上がる保護欲で満たされた。

 可愛い妹が出来た私は、やはり嬉しかった。そして彼女の表情は、あの男の魂がこの「妹」に宿っているのが感じられた。その表情が怯えたそれになるほど、私の胸は愉悦で満たされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

 ちょっと久しぶりになってしまいました。「ギャラリー」用の作品です。こんにちは。真城です。

 こんなに時間が掛かった理由は幾つもあるんですが、この作品が殆ど「Via Voice」で書かれていることもその理由の一つですね。この辺の愚痴(笑)については私のページの「日記」を参照、ということで。

 それにしてもかなりダークな味付けの本作。私に才能が無いんでしょうね、とにかくイラストに近づけるのにえらい苦労しました。結局またもや「他人性転換者」となってしまいました。八重洲さん命名の「悪人もの」のなるんでしょうね。「ロッカールームのエトランゼ」に続いての女性主人公一人称形式です。本当はあの後も延々続ける予定があったのですが、ドツボにはまるのでばっさりと打ち切り。

 さて、お気付きの方もいらっしゃるでしょうが、私の初の「ギャラリー」投稿作「月下転生」に登場した「ヒュー」の再登場となっています。実はあのお店は私が今年の八月にネットに小説を発表し始める前からの私の持ちキャラみたいなもんです。高校時代に書いた小説にも既に出ています。まあ、わざわざ名前を付けてシリーズ化するようなものじゃないですね。これからも「隠れキャラ」的な登場の仕方をするでしょう。

 とりあえず今日はこれまで。また次回にお会いしましょう。(1999.11.11)

 

 

 


【GALLERY管理人より】
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