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お望みのままに……
作:八重洲二世
シンジがその古いランプを目に留めたのは、ほんの小さな偶然からだった。
取り壊し中の町工場の跡地に、それは落ちていた。いや落ちていたというより、半ばほど地中に埋まっていた。ランプだなどと分かるような状態ではなく、泥と埃をかぶって薄汚れた金属の塊という以上のものではなかった。
繰り返しになるが、シンジがそれを見つけて手に取ったのはたわいもない小さな偶然のなせるわざだった。
昼下がりのこんな時間に町中をぶらぶらしてたのは予備校の午後のコマを自主休講したからで、同じく自主休講組の仲間と近所のゲームセンターに足を運ぶ途中だったのである。
足下で土に埋もれて鈍く光った「何か」に一番最初に気付いたのがシンジだった。
それは、まるで気を引こうとでもするように二、三度ちらちらと陽光を反射してみせた。
何が落ちているのだろうと気になり、シンジは屈んで、足下の土を払った。
「どうした。靴紐ほどけたか?」
シンジの行動に気づいて、同じ高校出身で予備校仲間のレンが声をかけてきた。
「いや、何かが落ちていて……」
そばに落ちていた木片で土を掘り起こして、ようやく埋まっていた代物の全体が露わになった。
「なんだそりゃ?」
「なんだろうな」
シンジが拾い上げたそれは、両手に乗るほどの大きさで、鈍い銀色の光沢を放つ金属の容器だった。
「あれか? レストランでカレー入れるやつか?」
「これ、昔風のランプのような……」
「なんでそんなもん拾うかね。捨てておけよ」
「でもこれ、ずいぶん古そうだぜ。骨董屋に売ったら金にならないかな?」
「ハァ? ただのガラクタだろ。んな小汚いもんが売れるかって」
「そうかなぁ。ちょっと磨けば案外綺麗になったりして」
はぁ〜っと息を吹きかけるとシンジはちり紙でランプの表面をこすった。
「おーい!」
レンが振り返ったときである。
ランプの口からもうもうと煙が吐き出された。
「うわっ!? シンジ、なにやらかした!」
「オレはなにもしてないよ!」
大量の煙で視界が真っ白にぬりつぶされてしまった。
シンジは咳き込みながら必死で腕を振って煙りを払った。
ようやく煙が薄れてきたとき、シンジたちの前には小柄な少女が立っていた。
エキゾチックな民族衣装に身を包んだ浅黒い肌の少女だ。ほんの一瞬前までシンジとレンしかいなかったはずのこの工場跡地に、忽然と異国の少女が「出現」していた。
「私の名はジンニーヤ。なんなりとお命じください、御主人様」
澄んだ落ち着いた声でそういうと、少女はシンジに向かって深々と頭を下げた。
シンジとレンは思わず顔を見合わせた。
何か、常識で考えられないようなことが起きていることは確かだった。
おずおずとシンジは尋ねた。
「き、君はいったい、何者なんだ?」
「ですから、ジンニーヤですわ」
少女は、完璧な日本語で答える。
「それって、もしかしてアラビアンナイトとかに出てくる……ランプの魔神ってことなんじゃ?」
おそるおそるといった口調でレンが口を出す。
「そ、そうなの?」
「はい、御主人様」
少女はコクリと肯いた。
「御主人様ってオレのこと?」
「はい。私をこのランプから出してくれた方が御主人様です。さあ御主人様、ご命令を。三つまでどんな命令にでも従いましょう」
シンジはごくりと息をのんだ。
これはまさしく物語に出てくる「三つの願いを叶えてくれる魔神」そのものである。
「命令ってのは、どんな命令でもいいの?」
「はい。ただし、私の魔力の及ぶこととそうでないことがあります。たとえば、御主人様を不老不死にする、などという命令はたとえ命じられても実行できません」
「じゃあ、これはあくまでたとえばの話だけど、オレを億万長者にしてくれ、なんて命令は?」
「この国の貨幣で何百、何千億という財産を御主人様のものとすることはたやすいことです」
「じゃあ、命令権を三回以上に増やすとか、そういうのは?」
「それは不可能です。私たちジンを存在させている力の根幹に関わることなので……」
「いや、いいんだ。ちょっと聞いてみただけだから」
「人の生命に関わること、私自身を含めて超自然の存在に関わること、時の流れに逆らうこと、これらを含む願い事は私の魔力の及ばないことです。魔法の存在が広く人々に明らかになってしまうような結果を伴うご命令も実行できません。また、あまりに漠然とした命令だと、必ずしも御主人様の思う通りの結果にならないこともあるでしょう」
「ふむ……」
シンジはどうしたものかと考え込んだ。そこへ割り込むようにして口を挟んできたのがレンだった。
「シンジの前にオレの願いも叶えてくれるよな! オレの一つ目の願いは、来年の受験がうまくいくことだ」
少女……ジンニーヤは冷たい目でレンを見た。
「私が命令をきくのはあくまで私をランプから出してくれた御主人様のみ」
「じゃあ、シンジが願い事をかなえたあと、改めてオレが主人になればいいのか?」
「それができるのならば。ただし、御主人様に仕えた後、人の時間でいう百年ほどの間、私もランプも人の世から消えてしまうでしょうけど」
「百年って……」
がくりとレンは肩を落とした。
それを見かねてお人好しのシンジがフォローを入れる。
「三つ目の願い事は、オレがレンの希望を代理で叶えてやるよ」
「マジか? お前っていいやつだな!」
「とりあえず一個目の願いは、オレたち二人が志望校に合格することでいいかな」
「ん、おいおい。なんか小さくないか、魔法で叶える願いにしては」
レンにそう言われると、シンジもなんだか望みが小さいような気がしてきて、考えこんでしまう。
「そうか、うーん……あ、ちょっと待っててくれ」
シンジの言葉に、ジンニーヤは恭しく肯いた。
「はい、お待ちします、御主人様」
「…………あ! まさか、いまので一つ目の願いになった!?」
真っ青になりながらシンジは尋ねた。
「いいえ、御安心を。そのような御主人様にとって不利益になるような揚げ足取りはいたしませんから」
「そうか、よかった!」
ほっと胸をなで下ろすと、シンジは三つの願いについてあれこれ考えを巡らせた。
シンジが悩んでるあいだ、ジンニーヤは腰の高さに魔法の煙を出してその上に行儀良く足を揃えて座った。
十分ほど経った頃、シンジは「よし」と口に出してつぶやいた。
「一つ目の願いが決まった!」
「なんなりとお命じくださいませ」
「ええと……住み込みメイドさん付きの豪邸をオレのものにしてくれ!」
願いを口にしてから、反応をうかがうようにシンジはジンニーヤの顔をのぞき込んだ。
「お望みのままに……」
ジンニーヤは深々とこうべを垂れたかと思うと、その姿がフッとかき消えた。
「消えた……?」
シンジとレンがあわてて周囲を見ても、どこにもジンニーヤの姿はなかった。
ランプの蓋をあけて中を覗いても、ただのがらんどうに過ぎなかった。
「ちょうどいま、命令を実行中なんじゃないか」
と、レン。
「そういうことか……」
「しかし、メイドさん付きの豪邸とは、趣味と実益を兼ねたおまえらしい願いだな、シンジ。呆れるの通り越して感心するよ」
「さっき彼女がいろいろ願い事には制限があるようなこといってただろ。要は、高額宝くじにでも当たったと思えばいいんだよ。世界征服とか非現実的なこと願うより、身の丈にあった願いのほうが確実だと思って」
「確かにな……第一、世界征服できたとしても、直後に暗殺とかされそうだしな」
「そうそう……ん?」
そのとき、二人の周囲の景色がぐらりと揺らいだかと思うと、一瞬の浮遊感覚が二人を襲った。
「な、なんだ!?」
すとんと再び足が地面に着く。
いつのまにかシンジとレンは屋内に移動していた。高価そうな調度品の並ぶリビングに二人は土足で立っていた。そして、ジンニーヤが頭上からふわりと二人の前に降り立った。
「お待たせいたしました御主人様。まずは屋敷をご用立ていたしました。この国の法令上の土地屋敷所有者の名義ももすべて御主人様のものとなっております」
「す……すげえ……」
シンジは天井のきらびやかなシャンデリアに目を見張った。
「なあ、固定資産税とかは大丈夫なのか? 屋敷の光熱費だけでも、とんでもない額になるだろう。シンジ、お前そのへんのこと考えてたか?」
「あ!」
レンの冷静な指摘に、シンジははっとしてジンニーヤを振り返った。
「御心配なく」
ジンニーヤは言った。
「この屋敷の前の所有者だった老富豪が、蓄えの半分ほどを御主人様のために寄付しています。お疑いなら後ほど、ギンコウコウザを御確認くださいませ」
「ハ……ハハハ……ということはオレ、一生、生活の心配しなくていいわけね?」
「その通りです」
「すげえ……」
それ以外に言葉が見つからないまま、シンジは手近にあった豪勢なソファに腰をおろした。
次の願いを考えようとするのだが、あまりの状況の急転に、なかなか頭が働かない。
レンも同じくソファにすとんと腰を落とした。
「オレもたまに遊びにきていいか、この家……」
「ていうか、部屋の一つや二つ勝手に使ってもらってもいいぐらいだよ」
どこか夢見心地な口調でシンジは言った。
まだどこか呆然としているシンジとレンの前にジンニーヤが歩み寄った。彼女は、シンジではなくレンのほうを向いていた。
「あとは御主人様に仕えるメイドが必要ですね」
ジンニーヤのすらりとした手がさっとレンの全身を撫でるように動いた。
「え……?」
ぽかんと口を開けてレンはそれを見ていた。
が、次の瞬間、レンは悲鳴に近い声をあげた。
「うああっ……なんだ、この感じ!?」
レンは寒気にでも襲われたかのようにぷるっと体を震わせた。
すると、レンの頭髪が明るい栗色に変わり、滝のようにざっと背中まで落ちた。
同時にレンの顔にも変化が起きていた。
顔の輪郭がやわらかで繊細なものになり、肌は白くきめこまかなものになった。唇は艶を増し、鼻は小さくとがったものへと変わっていった。瞳はかすかに売るんだようになり、眉は細くなってかわりに睫毛がわずかに伸びた。
「なんだ、何が、一体!?」
混乱して喚くレンの声は、途中で鈴を振るような高音域の声調へと変わっていった。
自分自身の声に驚いて息をのむレン。
そうしているあいだにも、さらに畳み掛けるように変化は起きた。
全身の骨格が瞬きほどの間に劇的に変った。
肩幅がぐんと狭まり、手足は細く頼りなくなった。
骨格だけでく肉付きも変わり、骨や筋の隆起がふわりとした肉に覆われて、全身がなめらかな曲線に包まれた印象になった。
その時点で、シンジの目には変化は明らかだった。
レンは、いやレンだった人物は、いまや少女の姿になっていた。それも、見たこともないほどの理想的な美少女だ。
シンジの考えが見えているかのようにジンニーヤが肯く。
「御主人様の頭の中にあった『メイド』の理想像をもとにしています」
レンの胸が形良くふくらんでいくと同時に、着ていたTシャツがボロボロと崩れていき、かわりに新たな衣服が少女の裸身を包んでいった。
「まさか……オレがメイドに……」
レンだった少女が自分の胸の隆起を手で押さえて震える声でつぶやいたときには、もはや外見の変化は終息していた。
誰が見てもまごうことなき、紺のエプロンドレスを着たメイドの少女が、腰を抜かしたようにシンジの隣でソファにへたりこんでいた。
「う、嘘だろ……ない! なくなってるぅ!」
メイドの少女はスカートの上から股間のあたりを触って悲痛な声で叫んだ。
「なんでこんなことを……!」
シンジは説明を求めてジンニーヤの顔を仰いだ。
ジンニーヤは悪びれもせずに答えた。
「メイドを無から産み出すのは生命の禁忌に触れますので、あの者を御主人様のメイドに造り替えることにいたしました」
「そんなこと頼んでないぞ……なんてことしてくれたんだ」
「御安心を。メイドとしての知識や技能は完全なものにしましたので」
「そうじゃなくって……!」
ジンニーヤはぴしりと指を鳴らした。
「シンジぃ……」
助けを求めるようにレンがシンジの名を呼んだ。
どう言葉をかけたものかとシンジが逡巡していると、不意にレンがすっくと立ち上がった。そして両手をエプロンの前で揃え、シンジに向かって頭を下げた。
「どうぞ、なんなりとお命じくださいシンジ様」
「レン?」
シンジとメイド少女は同時に「え?」という顔をした。
「あたし、いまなんて……え、『あたし』?」
レンだったメイド少女はごく自然に「あたし」という言葉を使ってしまった自分自身に戸惑っているようだった。
「まさか……」
シンジは試しに、メイド少女に向かって言った。
「レン。何か、冷たい飲み物をもってきてくれ」
「はい、シンジ様」
それまで戸惑った様子だった少女は一転して淀みのない返事をし、行儀良くぺこりと頭を下げると、早足で部屋を出ていった。しばらくして戻ってきた少女は、トレイにアイスティーを載せて運んできた。
「どうぞシンジ様」
ことりとガラスのテーブルの上にアイスティーのグラスを置く。
メイド少女はトレイを抱えたまま伏し目がちに、次のシンジの言いつけを待っているようだった。
本来ならレンがどんなに頑張ってもこんなにメイドになりきれるわけがない。そもそも屋敷の台所の場所さえ知らなかっただろうに。
やっぱり、とシンジは思った。
ジンニーヤの魔法で姿だけでなく、行動や性格までメイドそのものにされてしまったらしい。
「すまないレン……こんなことになるなんて思わなかったんだ」
「あたしの名前はシンジ様がお好きに決めてください。それにシンジ様にお仕えすることがあたしの喜びですから、なんなんりとお言いつけくださいませ。シンジ様のメイドになれて本当に幸せですわ」
「うわあああ……」
シンジは本気で頭を抱えた。
「そのメイドはもちろん、御主人様には絶対服従いたします。決して反抗したり逃げたりすることはありませんので、お好きに使ってやってください」
「元が自分の友人だったと知ってて、好きに使えるわけないだろう!」
「お命じくだされば、その部分の御主人様の記憶を抹消してさしあげることも可能ですが」
「それじゃ根本的な解決になってないだろ。この願い事はなかったことにしてくれ!」
ジンニーヤはシンジの言葉が不可解だというように首を傾げた。
「一度実行されたご命令を取り消すことはできません。次のご命令をお使いになるのなら別ですが」
シンジが悩んでいると、メイドの少女が消え入りそうな声で訴えた。
「あたしじゃご不満ですか? 一生懸命頑張りますから、どうかお側に置いてください〜」
とりすがるようにして、そう訴えられ、一瞬シンジは彼女が元々はレンであることを忘れかけた。思わず「よしよし、わかったよ」と言ってしまいそうだった。
「レ、レンが本心からそんなこと言うはずないだろ」
「でも今のあたしにとっては、シンジ様に御奉仕することが最大の幸せなんです」
「どんな命令でも聞くの?」
「はい、どんなことでも」
「じゃあ、命令。元のレンのとおりに物事を考えて喋ってくれ」
「は……はい」
メイド少女はぱちぱちと瞬きをしたかと思うと、一変した言葉遣いで喋りだした。
「ふぅ、助かったぜ。なんでオレがシンジに御奉仕しなくちゃいけないんだ」
そう言いながらもメイド少女のレンは、トレイを抱えたポーズのままその場に立ったままでいる。
「シンジ、さっさと楽にするように言ってくれよ。自分の意思じゃ好きにできないんだ」「悪い。トレイはそこらにおいて、楽な姿勢になってくれ」
シンジがそう「命令」すると、レンはやれやれというようにシンジの横に並んで座った。メイドにあるまじき行儀の悪い大股開きでソファにもたれるレン。
「オレも喉が乾いてたんだ、そのアイスティー飲んでいいか?」
シンジが肯くと、レンはさっとグラスをとってごくごくとアイスティーを飲み干した。
グラスの水滴がたれてメイドの制服の胸元を濡らした。その胸元を見るまいとしても、つい目がいってしまうシンジだった。
「い、一応確認しとくけど、レン、男に戻りたいよな?」
「当たり前だろうが。親友をこんな目に遭わせといてフォローもなしだったら恨むぜ、シンジ」
「あははは、そりゃそうだ。次の願いでなんとかするよ」
「マジで頼むぜ。おまえだって、元男のメイドなんて使いたくないだろ」
「あ、ああ……」
そんなこともない、という言葉をあわててシンジは飲み込んだ。
さきほどメイドとしての態度と口調で「お側に置いてください」と懇願されたとき、けっこうグラッときてしまったシンジであった。外見にしてもシンジの好みの容姿なので、つい勿体ない、と思ってしまう。
「シンジぃ、はやく男に戻してくれよ」
無意識なのだろうが甘えるような上目遣いでレンが訴えてくる。
「もちろん戻すけどさ、そのまえに記念写真くらいとらせてくれよ」
「え? あ、はい……」
シンジはメイド少女の肩を抱き寄せた。
「うう……」
レンは不満そうに鼻を鳴らしたが、特に抵抗はしない。というより従順なメイドとしての本質が邪魔をして、抵抗したくてもできないでいる。
シンジはカメラ機能付きの携帯を左手で構えて、自分とメイド少女のツーショットを撮影した。
「もういいだろ……おまえ、人が抵抗できないのいいことに……」
蚊の鳴くような声で抗議するレン。
「まあまあ。折角のチャンスなんだから、最後にもうちょっとだけ名残を惜しませてくれよ」
「はい…………って、くそう。覚えてろよォ、シンジぃ」
シンジたちのやりとりをジンニーヤは煙のクッションの上に腰掛けてぷかぷか空中に浮きながら、大人しく見守っている。
不意に、レンの肩に回していたシンジの手がやわらかいものに触れた。
「あうっ」
レンがびくっと反応する。
なにかのはずみで、胸のふくらみに指先がかすったのだった。
「や、やわらか……」
「ばかっ、恥ずかしいこというな!」
おとなしく肩を抱かれたまま、顔を真っ赤にしてレンは叫ぶ。
「どうせ今だけなんだから、ちょっとだけ触るくらいいいだろ、な、な」
「う……はい」
レンは悔しそうに肯く。
ちらりと罪悪感を覚えるシンジだったが、好奇心には勝てず、おずおずとメイド少女のバストを下から持ち上げるようにした。弾力のある半球が、シンジの手の中でわずかに形をかえた。
「すげえ……本物みたいだ。ってか、本物なのか」
「くっ!」
なにかを我慢するようにレンは顔を真っ赤にしたまま俯き加減になった。
「も……もういいだろ」
「あ、うん。悪い、調子に乗りすぎた」
レンが本気で涙目になってるのに気付いて、シンジはあわてて手をひっこめた。
シンジはその場を取り繕うように咳払いをすると、ジンニーヤのほうに向き直った。レンは逃げるようにソファの端へと移動して、様子をうかがっている。
「おほん。そういうわけで……ジンニーヤ。レンを男に変えてやってくれ」
ジンニーヤは煙のクッションから降りてきて、シンジの前に恭しく跪いた。
「それが二つ目の御命令でしょうか?」
「そうだ」
「お望みのままに」
そう言うと、ジンニーヤはレンに向かって踊るような仕草で手をひと振りした。
ぱちぱちと瞬きするレン。
だが、一向に姿が変わる様子はない。
「では、最後の御命令をどうぞ」
もう一度跪いてジンニーヤは言った。
「ちょっと待って。二つ目の願いがまだ叶ってないじゃないか」
「そんなことはありませんよ。お疑いでしたら……ほら、このように」
言うがはやいかジンニーヤはメイド少女のままのレンに歩み寄ると、レンの手を引いてソファから立たせた。そして、なんのためらいもなくレンのスカートをめくりあげた。
「!?」
目を白黒させたのはレンもシンジも同様だった。
さらにジンニーヤが、メイド少女のパンツをつまんで引っ張ると、彼女の股間の部分がもろにシンジの目にさらされた。反射的に目をそらせようとしたシンジだったが、そのまえにとあるモノに気付いた。
「納得いただけましたか?」
にっこりと微笑むジンニーヤ。
メイド少女の股間には、小指の先ほどの小ぶりなサイズだが、見慣れた器官が付いていたのである。
「メイドとしての機能になるべく影響が出ないような形でこの者の性を男に変えました。御主人様がお気に入りのようでしたので、この者の乳房はそのままにしておきました」
「な、なんてこった……」
シンジは額に手を当てた。
当のレンは血の気の引いた顔で口をぱくぱくさせている。
「ジンニーヤ! いまのなしだ。レンを元の姿に戻してやってくれ!」
「それが三つ目の、最後の御命令でしょうか?」
「う……」
シンジは唇を巻でしまう。一度実行された命令の取り消しはできないのである。
「シ・ン・ジィ〜」
恨みがましそうにレンが睨む。その声はあいかわらず可愛らしい少女の声だ。本当に、最低限のとこだけ男にしただけなんだな、と妙なところでシンジは感心してしまう。もっとも、そんなことに感心してる場合でないのはシンジも承知している。
次の願いでなんとか事態を収拾しないといけないのだ。
下手にまた今度のような願いの「誤解」があると、次は取り返しがつかなくなる。
覚悟を決めると、シンジはジンニーヤを呼んだ。
「最後の願いなんだけど、いままで二つの願いをなかったことに……」
「待った!」
「え?」
意外にもシンジの言葉を遮ったのは、レンだった。
「三つ目の願いはオレの願いを代行してくれる約束だろう?」
レンがのしかかるようにして、シンジに顔をを近づけてきた。息が耳にあたってシンジは思わずドキリとしてしまう。レンの外見や声がメイド少女そのままなだけに、シンジとしては複雑な気分である。
「だからレンを元に戻そうと……」
「三つも願いを使っておいて、なにもかも元通りになりました、じゃ、あんまりだろうが」
「うーん、確かに……」
「民話とかでよくあるよな。三つの願いで最後に結局、元の木阿弥になるってパターン。ガキの頃、ああいうの読むたびにもっと頭使えよって思ってたんだ」
「……何かいい考えでも?」
「ああ。だから、最後の願いはオレに使わせてくれ」
「……わかったよ。くれぐれも慎重にな」
「まかせとけ!」
シンジは改めてジンニーヤを手招きすると、こう告げた。
「最後の願いなんだけど、レンのいうことを聞いてその通りにしてやってくれ」
「かしこまりました、御主人様」
シンジに頭を下げてから、ジンニーヤはレンのほうを向いた。
じっと姿勢を正してジンニーヤはレンの言葉を待っている。
レンはさすがに緊張した面もちだったが、やがてゆっくりと口を開いた。
「オレとシンジの立場を、入れ替えてくれ」
わずかな静寂を挟んで、ジンニーヤは恭しく頭を下げた。レンに向かって。
「お望みのままに」
「ちょっ……」
思わぬ成り行きにシンジが口を挟もうとしたときには、すでに変化が始まっていた。
レンのメイド服がこざっぱりとしたカジュアルなワイシャツとジーンズ姿にかわり、体型もそれに合わせて急速に男らしくなった。肩幅がぐんと広がり、バストが引っ込んでかわりに胸板にとってかわられた。
自分の体つきを確かめて、レンは満足そうに笑みを浮かべた。
「なっ……なっ……」
レンの変化に気を取られていたシンジは、レンが自分を見る目つきではじめて自分自身の変容を悟った。
いつのまにかシンジは先ほどまでレンが着ていたのと同じエプロンドレスを着ていた。意識するほどに全身の神経が違和感を訴えてくる。体の重さが、肌の感触が、目線の高さが、すべてが狂っていた。
もはや何が起きているかは明らかだった。
身をよじってその場から逃れようとしたとき、最後の仕上げのように胸がふくらみはじめた。思春期の少女が数年をかけて体験するようなバストの成長が一瞬にして訪れた。甘酸っぱく疼くよう名感覚に思わずシンジは胸を押さえて呻いていた。
「あう……ああっ……」
少しかすれたような甘くハスキーな声が自分自身のものだと思い知らされる。
見えない鎖にでも巻かれたみたいに、なぜだか逃げることはできなかった。レンが近づいてきても、わずかに身をよじるぐらいしかできない。
「どれどれ……おお、ちゃんと女の子してるじゃないか」
メイド服のスカートの裾を強引に持ち上げてレンがいう。
吃驚したのと恥ずかしいのとでシンジは顔を真っ赤にしたが、なぜか罵倒の言葉が口まででかかって、そこで止まってしまった。
それどころか意に反して、シンジはふらふらと立ち上がっていた。伏し目がちに両手を揃えてレンの正面に立ってしまう。
どうしても逆らえない「強制力」としかいいようのない力に促されるままに、シンジはいった。
「レン様、どうぞなんなりとお言いつけくださいまし」
情けないやら恥ずかしいやら腹立たしいやらで、いますぐにでもレンを殴り飛ばして暴れたいと思っているのに、そんな感情の一片たりと表に出すことができない。
「お気に召していただけたでしょうか?」
というジンニーヤに、レンはメイド少女となったシンジの頭を撫でながら一言「最高だよ」と答えた。
「これにて私の務めは果たしました」
ジンニーヤは銀のランプを拾うと小脇に抱えた。
「ああ、ごくろうさん」
と、レンは手を振る。相変わらずもう片方の手では逆らえないシンジの頭を軽く撫でながら。
「それでは現世での暮らし、存分に楽しんでくださいませ」
「そうさせてもらうよ」
「言い忘れてましたが、レン様。現世での寿命が尽きた後は、新たなジンとしてランプの中で二千年ほど働いてもらうことになりますので、そのことは御了承を。ジンやジンニーヤと取引をした人間の定めですので」
「はい?」
「ほんの二千年ですよ、レン様。フフフ」
「二千年……って……」
レンの顔がこわばりじっとりと汗が浮かんだ。
「ちょっと待てー! 君が取引した相手はオレでなくてシンジのほうだろう!?」
「お忘れですか、レン様。レン様はそこのメイドの娘……かつてはシンジ様だった者と『立場を入れ替えた』でしょう? 当然、ジンとなって二千年をお過ごしになるのもレン様ということになります」
「そん……な……」
「では、ご機嫌よう、レン様」
がくりと頭を垂れるレンの前で、煙に包まれてジンニーヤの姿は消えていった。
古びたランプも、もはやどこを探しても見つからなかった。
「ま……元気を出しましょう。レン様」
どっと疲れた様子のレンに、複雑な気分でシンジは声をかけたのだった。
(おわり)
〜後日談〜
「つうわけで、転入手続きとってきてやったぞ、シンジ、じゃなかった、ツカサ」
レンはテーブルの上に無造作に書類と、私立高校のパンフレットを投げ出した。
「う……オレ、マジで女子高生として学校通うのか?」
「昼間、家でブラブラしてるの暇だって言ってたの、おまえだろうが」
「うーうー、そりゃそうだけどよう」
どこか割り切れないといった様子でシンジは鼻を鳴らした。
そういった仕草が無意識に女の子っぽくなっている。レンとシンジが主人とメイドとしてこの屋敷に住むようになって半年ほどが経っていた。ちなみにレンは観念して、せいぜい現世で金儲けをして人生を楽しむと宣言し、資産を元手に事業を始めて成功を収めていた。有り余る金で普通のメイドをはじめて使用人たちを何人も雇ったので、メイドとしてのシンジの仕事はもはやないに等しくなっていた。
「そしてこれが、制服だ」
どさっとレンの置いた大きな紙袋の中に、ブレザーやブラウス、スカートが入っていた。さらには体育用のシャツやブルマも入ってる。
「げ。いまどきブルマなのかよ!」
自分が制服やブルマを着ることを想像して、シンジは妙にくすぐったいような、居心地の悪さを感じた。レンに自由意思での言動を許してもらって以来、ずっと衣服はユニセックスなTシャツと短パンで済ませてきたシンジである。
「フフ。オレの金と権力でチョイチョイとな……」
ネクタイをゆるめ、ニヤリとするレン。
「あーっ。道理で転入手続きがあっさり進むと思ったら……おまえ、学校ごと買収したんだな」
「そういうこと」
「やることが強引なんだよ」
「そんなことより、試しにちょっとシャツとブルマ着てみろよ」
「おまえの前でか? 冗談!」
「ええい、これは御主人様としての命令だ。ブルマ姿でオレと記念写真撮る、オーケー?」
「う……はいレン様…………って、汚ねえ! 奥の手つかいやがって!」
口では抗議しながら、命令には逆らえずシンジは着替えをはじめた。
「文句ゆうな! オレなんか死んだら二千年間強制労働させられるんだぞ。生きてる間にたっぷり楽しんでおかないと元がとれんわ。現世利益じゃ、ワハハハ。シンジ、ソックスはちゃんとルーズにしろよ!」
「う……はい(おやじか!)」
自分のブルマ姿を鏡で確認する暇もなく、シンジはレンに抱き寄せられてカメラの前に立たされた。
教訓。友人は選ぼう。
そんな苦い後悔を味わいながら、レンズに向かってピースサインを出すシンジだった。
カシャッ!
(後日談おわり)
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