前期教育隊

 


はじまり 

その日……一台の地連のジープが家の前に迎えに来た。
やはり、家族の見送りのなか、緊張しつつ乗り込む。
うーん、狭い……(笑)
その後、更に3人ほど拾い、一路駐屯地へ……
着いたらまず身体検査。その後、被服の配布……初日は慌ただしく過ぎていく。
(ちょい記憶が曖昧です……)

さてさて、ここで同期となった33名ですが、結構個性的な人間が揃ってまして……
元トラック運転手の妻子持ち27歳、漢字が書けない再入隊者、なぜか大卒の人などなど。
もっとも、このころ(バブルの最後期)は、志願者不足で誰でも入れた時期なので、他の月では、結構ものすごい人間が居たそうです。
洗濯機を、水を入れずに使おうとする人間とか、う○こをして、拭かない人とか、洗濯をしないで、ロッカーのなかにひたすら溜め込むヤツとか……、そういえば、夜中に営庭(グランド)のど真ん中で、『UFOが来る!』と叫んで、取り押さえられた隊員が居ました。(実話)
でも、雰囲気的には、学校の延長、という感じではありました。まあ、結局は教育ですし、4月下旬という時期で、高卒直行組(自分も含む)が多かったせいもあります。

何はともあれ、謎の自衛隊生活は、かくして始まったのであります。

 

最初の頃

射撃は……まず、空砲で練習しました。
まあ、音に慣れると言うことと、その威力を分からせる、と言うことですが……
でも、初めて見たときはなかなか衝撃的でした。
ハンマーで殴りつけるくらいの衝撃と聞いていましたが、やはり伊達ではないですね。
間近におかれていた空き缶が、ひしゃげて吹っ飛んでいきました。
空砲でも大怪我をする、という班長の言葉が耳に残ってます。

 

広報休暇

広報という名目の、訓練一ヶ月後にある、少々の休暇です。
皆自宅に帰るのですが、……帰ってこないものも若干名いるんですね。
しかも、そういう人に限って再入隊とか。
何のために再入隊をしたのだろう……(謎だ)

 

戦闘訓練

一番最後にやってくる、一番きつい訓練です。
班、及び組ごとに別れ、交互に射撃をしながら前に進みます。
前に出るに連れ、より低い姿勢で匍匐前進します。
もう遮るものがないところまで進み終えると、特科(大砲)の射撃支援を中止させ、最後の着弾の後に、着剣して突撃します。
このとき既に敵が壊滅状態じゃないと、こっちが死にます。(苦笑)

訓練場で泥まみれになりながら、銃を持って突撃するんですが、このときばかりは、銃の重さが
恨めしく思えます。

また、雨の後の戦闘訓練はもう悲惨です。
基本的に、低いところに身を隠すので、伏せるときは水たまりの中に突っ込まないといけないんです。

もっとも、疲れる分、終わった後の開放感は格別ですが……(笑)

 

地連……地方連絡部の略、自衛隊の広報や募集を行っているところ。

前期教育隊…… まず、自衛官としての基本的な訓練を施すところです。ある意味、一番自衛隊らしいかも……教育期間は三ヶ月。その後、各職種に別れ、全国に散っていくのです。(山口では、『いい日旅立ち』のメロディーで旅立っていきます…笑)