「何で俺が…」

作・真城 悠


 何で…何でなんだ。どうして俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ…。

 悪夢は覚めなかった。

 

「こんな事をして只で済むと思ってるの?」

 気丈な声だった。

「さあね。しかし…」

 その男、福田は煙草に火を付けた。

「ただ何もしないよりはマシだな」

 セーラー服に身を包んだ美少女、富茅森(ふかやもり)佐織は、そんなけだるい仕草の福田を、汚いものでも見るような、憎しみを込めた表情でねめつける。

「何か食べるかい?お嬢ちゃん」

「…」

「こんな俺たちの飯じゃ食えねえってか?」

「ええ」

「そうはいかねえよ」

「どうしてよ。どうせ殺す気でしょ?」

「馬鹿言っちゃいけない。そんなことをしても何の得もないって」

「…」

「頼むから何か食べてくれよ。何でも食わせてさえいれば「軟禁」で済むらしいからね。流石に「監禁」はまずい」

「刑法も読まずに誘拐企てたの?信じらんない」

「計画立案は俺じゃない…このルームサービスのカツカレー頼むからな」

「大盛りでね」

「何?」

「ここのカレーはご飯に対してルーが少なすぎるの」

「…へえ、単なる深窓の令嬢って訳じゃなさそうだ」

「食べ慣れてるのよ。貴方と違ってね」

 その刹那、福田は佐織のセーラー服の胸ぐらを掴んで絞り上げる。

「…!」

「…調子に乗るなよお嬢ちゃん…」

 佐織の顔は恐怖に歪みかけていたが、精神力で懸命にそれを押しとどめているのが感じられた。充血した目で、それでも福田から目をそらさなかった。

 先に視線を逸らしたのは福田だった。

 

「もしもし?」

「ああ、俺だ」

「首尾は順調?」

「…まあ、大丈夫だ」

「乱暴なことしてないでしょうね」

「大丈夫だって!」

「ふん、まあいいわ。叔父貴夫婦も動き始めたらしいからね。ここが正念場なんだから気張ってよね」

「言われなくてもやるよ…で、うまく行ったら遺産は山分けって話、忘れてねえだろうな」

「馬鹿!大事なことをペラペラ喋るんじゃないよ!」

「だってこの携帯ってデジタル信号なんじゃ…」

「部屋に盗聴器があるかも知れないっつってんだ!もういい、とにかく今夜中にはそっち行くからね!しっかり見張っとくんだよ!他の連中に比べりゃ孫娘を押さえた時点で一歩リードなんだからしっかりやってよね」

「あ、ああ」

 

「お前ってさあ」

 ハンドルを切りながら、福田が口を開いた。

「本当に大人しいよな」

「…どういう意味?」

 あくまで冷静に答える佐織。

「いや、俺って誘拐の経験は無いんだけどよ」

 信号に止まる車。

「よくあるじゃねえか。「暴れたから殺した」とかさ。テレビでやってるじゃん」

「…そうね」

 動き出す車。

「殺しちゃしょうがねえよなあ。ガキだってんならともかく」

「あたしも馬鹿だと思うわ」

 さらりと言う佐織にほんの一瞬戸惑う福田。佐織は淀みなく続ける。

「人質が」

 一瞬の沈黙。

「何?」

「あたしって、誘拐したことあるもん」

 急ブレーキが踏まれる。声を上げる暇もなく前方に投げ出されそうになる佐織。

「…っぶねえなクソ!」

 福田の声は静かな怒りを湛えていた。

 暫しの減速の後、再び安定した速度を取り戻す車。

 ゆっくりと座り直し、乱れた髪をなでつけている佐織。

「おい、大丈夫か?」

 佐織、答えずスカートの乱れを直している。

「後ろでもシートベルトはしといた方がいいぞ」

 答えない。しばし沈黙。

「で?何だって?」

「何でも無いわ」

「誰をいつ誘拐したんだ」

「…ラジオ付けないの?」

「聞いてるのは俺だ」

 隣を走る車を見る佐織。暗い車内の様子は伺い知れない。

「嘘」

「何?」

「想像したことがあるってだけよ」

「…誘拐をか」

「そうよ」

「その誘拐は成功したのかい?」

「うんにゃ」

 腕を組む佐織。

「失敗」

「どうしてだい?聞きたいねえ」

「そんなこと聞いてどうするの?」

「参考にするよ」

 冷ややかな佐織の視線がバックミラーに一瞬映える。

「今後の」

 また外を見る佐織。

「別に…。でも暴れる人質の気持ちって分かるわ」

「…ふん」

「でもそれ以上に犯人の気持ちも分かるし」

「ほう」

「犯人だって追いつめられてるんだし、穏便に済むもんなら済ませたいのにどうして暴れるかなあ。まさしく「自分で自分の首を絞める」ってやつ」

「見てきた様だな」

「想像だけどね」

「変な娘だ」

「お互い様よ」

「おのさあ、昨日から「誘拐」「誘拐」言うけど、別にそうじゃねえぞ」

「ふーん。そ」

「何だかんだ言っても俺たちゃいとこ同士なんだぜ。仲良くしようぜ」

「叔母さんにそう言えって言われてきたの?」

「そんなこたねえよ」

「やっぱり黒幕はあの人なんだ」

「あ!…」

 いかにも「しまった」という顔をする福田。

「いいよ別に。あたしはチクったりしないから」

「…まあ、何だ。俺らもお前に恨みがある訳じゃねえんだ。それは分かるよな?」

「恨みも無いし、関心も無い、と。でもお金が入らなきゃ困る訳でしょ?」

「…まあな」

「随分危ない橋渡るよねえ下手すりゃ一銭も貰えないばかりか刑事訴追だよ」

「うちは思いっきり外戚だからな。それこそ関係者を皆殺しにしたって普通にゃ相続に預かれねえよ」

 道が空いてきたのか、スピードを上げる車。

「何となく分かってきた。…非公式にお小遣いが欲しいんでしょ」

「…そうなのか?」

「おたく、どこまで知ってるの?」

「いや、余り知らん」

 やれやれ、とばかりに首をふる佐織。

 

「結局、どういう話になってんの?」

「お前があのホテルの部屋にいたところまでは知らん。それはお袋の仕事だ」

「ふんふん」

 ファミレスのメニューを広げている佐織。

「はっきり言うとうちには借金がある。それの決済が、…俺はそこまでは聞いてないんだが、少なくともこの一週間以内位にまでは迫ってたんだ」

 佐織はだぶだぶの上着を羽織っていた。深夜のファミレスに制服はまずい、との彼女の進言から福田のものを借りているのだ。スカートは仕方なくそのままである。

 佐織は髪を掻き上げながら言った。

「確かにここんとこ叔母さんはうちによくお金を借りに来てたわ」

「おととい…だったかな。お袋が「一気に形勢逆転出来る秘策がある」って俺に話を持ちかけてきた。俺も大学を中退したばかりで暇を持て余してたからな。それにお前のじいさんか、その人が今にも死にそうだ、ってな話は俺の耳にも入ってた。まあ、そこから先はお前も知ってる通りだ」

「…あたしにとってあんたは言ってみれば「敵」なんだけど、とりあえず頼るしか無いからね、情報を交換しましょう」

「情報ったって、俺が知ってるのはこの程度だぜ」

「…覚えてる?ここにたどり着くまでに検問ってあったっけ?」

「…?いや、…無かったと思うが…」

「無かったよね。割と主要幹線道路を通ってたと思うけども。これは変だわ」

「何かあったのか?」

「あたしが行方不明じゃない」

「…そっか」

「考えられる可能性は幾つかあるけども、一番有力なのは叔母さんがあたしの身柄を保護してるのをおじいさまに逐一報告してるってこと」

「…つまりどういうことだ?」

「遠回しな保身ね。あたしというカードが無くなったら脅迫している側が危険じゃない。多分叔母さんは独自に弁護士を雇って一気に本丸を落としに掛かってるのね」

「そんなことしてたのか…」

「おじいさまの影響力を考えれば警察を動かすくらいはするわ。これはあたしの推理だけれども、これって叔母さんひとりの仕事じゃないわね」

「どうしてそう思う?」

「詳しい説明は省くけど、現在一番相続出来る可能性の高い直径卑属があたしなのね。まあ、それにも増して遺言状の記述が優先するんだけど。とにかく、おじいさまがあたしに全額相続させたがってるのは言ってみれば公然の秘密であるこの状況…お金が欲しくてたまらない人にとっては夜もおちおち眠れないでしょうね」

「それで?」

 店員がやってくるので、コーヒーを二人分頼む佐織。

 考え込むように外をみている佐織。

「それで?それでどうなんだよ?」

「…大金の動く話じゃない。はっきり言えばあんまり筋のよくない方々も関わってきてるらしかったし」

「暴力団ってことか」

「現在の用語だと「組織暴力」だね。いいけど。だからあたしの回りにはボディガードが常に張り付く生活だったのよ」

「大変だな…」

「まあね」

 コーヒーが運ばれてくる。

「それと…何だ。お袋と誰かがつるんでるって話になるんだ?」

「いまいち分かってないよねえ。どうして登校、下校から保護されてるあたしを連れ出せたと思ってるのよ」

「あ!…」

「こんなことが出来るのはうちの人間だけでしょ。警備会社にしてみれば依頼人の家族からの要請を無視するって訳にもいかないし」

「…」

 考え込んでいる福田。

「ちなみにさっきの携帯では何を話してたの?」

「…ん?いや、大したことは話してない。二時までに指定された家にお前を運べって言われただけだ」

「誰に?」

「そりゃお袋に」

「…その電話ってさ、何か変な様子とか無かった?」

「何だよそれ」

「誰かに脅迫されて、無理矢理言わされてた、みたいな」

「馬鹿な…待てよ」

 福田を見ている佐織。

「気のせいかも知れんが…確かにやたらに話を長引かせようとはしてたよな…」

「はっきり言うわ。行かない方がいい」

「何?」

「目的地に付いたらあたしたちは消されるかもしれない」

「…何だよそれ?」

「あんたのお袋さんは決して馬鹿じゃないわ。思ったよりも計画的だし、でもね、こんな夜中に何よりも大切なあたしを運ぶ体制が甘すぎるのよ」

「ふん」

「あんたがた家族は計画から切り離された可能性がある。って言うかほぼ確実ね」

「「計画」って何だよ?お前を殺すってことか?」

「自分たちが遺産を入手するための計画よ」

「ちょっと待て。それはお前を殺せば成立するのか?」

「全然」

「じゃあ何で」

「全ては遺言状次第よ。多分あたしが事故死したり、ましてや殺されたりした場合には財産は誰の手にも渡らない様になってると思う」

「…そうか、それを書き換えて…」

「そう。そうなれば直径卑属だろうと関係ないでしょ」

「…でもさあ、それっておかしくねえか?」

「どうしてよ?」

「だって、何だかの法律で決まってる優先順位を無視して出来るんだろ?その「遺言状」次第じゃあ」

「うん」

「だったらお前が生きて様と関係無いじゃん」

 考え込む佐織。

「多分別の理由であたしには生きていて欲しくないんじゃない?」

「…ふん。どっちにしろ分かったような分からない様な話だ。俺は約束の場所に行くぜ。もうそろそろ出ないと間に合わない」

 立ち上がろうとする福田の手を取って制止する佐織。

「雇われてみない?」

「…言ってる意味が分からないな」

「…車に行こうか」

 

「難しいとは思うけど、パチンコ屋の住み込みってやりかたもあるし」

「何の話だよ」

「依頼してるのよ!分からないの!?」

 突然激しく声を出す佐織に驚く福田。

「全然話が見えねえよ」

「本当に聞いて無いみたいだから言うけど、あたしは別の意味で叔母さんの提案に乗ったの」

「…」

「あれ以上あの家にいたら絶対に殺されると思ったから」

「…何?じゃあ何か?お前自主的に…」

「そうよ。もうお金も下ろしてある」

 スカートのポケットからコインロッカーの鍵を取り出す佐織。

「…」

「逃亡生活でカードは使えないでしょ」

「俺にはその話の方が現実的じゃないね」

「…」

「それこそ親族間の軋轢で警察まで巻き込んだこの混乱が本当だとしても、そんなに長いこと行方不明になってりゃ問題になるさ」

「その時はあたしの事故死をでっちあげるだけだわ」

「お前がそんな簡単な事が分からん訳じゃあるまい。それが成立するのは、本物のお前の死体を確認した時のことじゃねえのか」

 車を発進させる福田。

「止めて!」

「止めねえよ」

「あの家に帰りたくないの!」

 車を止める福田。

 しばし沈黙。

 携帯が鳴り始める。

 佐織はもう恐怖を隠そうとしなかった。勿論、彼女がこれまでそうしてきたように取り乱したりはしなかったが、その瞳の反射は狼狽を映していた。

「はい。もしもし。うん。ああ。分かってるよ!…え?何だって?…おい!どうした!」

 唐突にまたダイヤルする福田。何度もやるが繋がらない。

「どうしたの?」

「わからねえ!でも「逃げろ!」って」

「…!出して!」

「何?」

「早く!あれ見てよ!」

 屈強な男がすぐ隣に止まった車からどやどやと出てくる。

 反射的にエンジンを起動させる福田。ドアをロックする佐織。次の瞬間、その男の拳によって、窓ガラスが叩き割られる。

「きゃあ!」

 車を動かす福田。反対側のドアが開かれる。その瞬間走り出す車。

 男はドアにしがみつく様な格好になる。そこに佐織の蹴りが入る。

「くっそお!」

「もっと飛ばしてえ!」

 あと一息で男が車内に乗り込もうかとした瞬間、車が激しくカーブし、男を振り落とす。

 ろくに左右も確かめずにファミレスの駐車場から飛び出していく車。

 振り落とされた男が、何事もなかったかの様に立ち上がり、携帯電話を取り出す。

 その横で黒づくめの車が轟音を轟かせて後を追う。

 

 シャワーから出てくる佐織。

 派手な内装のベッドには既に風呂上がりの福田が座っている。

「勿体なかったなあ」

 長い髪を拭いている佐織。

「ナンバーの知れた車を後生大事にしてどーすんのよ」

「これからどうすんだよ」

「さあね」

 頭を抱える福田。

「八方塞がりじゃねえかよ…」

「そうでも無いわよ」

「気休めを言うなよ」

「…どちらかに付けば…とにかくおじいさまが生きてさえいればあたしは大丈夫だし」

「そうなのか?」

「まあね」

「可愛がられてやがるんだな」

「色んな意味でね」

 しばし沈黙。シャンプーの香ばしい香りが福田の鼻孔をくすぐる。

「…さっきお前言ってたな」

「何か言ったっけ」

「「帰りたくない」とか何とか」

「…そんなことも言ったかな」

「じいさんに可愛がられてても居心地の悪いこともあるのかい」

「…親子丼って好き?」

「はい?」

「何でもない」

「何だよ…今の質問は何なんだよ」

 じっと福田の目を見つめる佐織。

 口を開こうとした福田の口を佐織の柔らかい唇が塞ぐ。

 そのままベッドに押し倒されてしまう福田。

 巻き付けただけのバスタオルが落ちる。

 

 ラジオのチャンネルを合わせる福田。

 あちこちのニュースを探すが、それらしいものは見つからない。仕方なく、当たり障りのないトーク番組にチャンネルを合わせる。

 佐織にあたりをきょろきょろするな、と言われているがそんな急に逃亡生活に順応なんか出来やしない。全く、あの娘はよく分からない。即金で中古車を、まるでハンバーガー買うみたいに買いやがった。

 ブティックの方を見る福田。

 佐織はあれから一言も口をきかなかった。

 こうしていても彼女の顔が脳裏から離れない。

 頭をぶるん!と降る福田。

 いかんいかん、何を考えているんだ。あいつは従姉妹じゃないか。

 …待てよ。確か従姉妹ってのは三親等離れてるから結婚も出来るんだよな。

 助手席のドアが開く。反射的に振り返る福田。

 つばの広い白い帽子にワンピース、サングラスというスタイルの佐織が入ってくる。少し濃ゆめのメイクに、イヤリングが似合っている。

「おまたせ」

「…」

「?どうしたの?」

「…いや、随分変わったなと思って」

「そりゃ変装してるんだから変わらなきゃね」

「ま、そりゃそうだな」

「おたくの服も買ってきたから着替えて」

「は?」

「たりまえでしょーが」

「し、しかし…」

「女装しろってんじゃ無いんだからグダグダ言わない!」

 パン!という乾いた音がする。同時にフロントガラスに亀裂が走る。

「きゃあ!」

「何だ!?」

 間髪入れずに二発目。それは福田の耳元をかすめた。

「あの車だよ!」

 確かに前方に停まっている車がある。福田は必至に身体を低くしてエンジンを掛ける。

 そこに三発目。こんどはガラスでは無い。車体のどこかに当たったらしい。

「動けよ!くそがあ!」

 必死の操作が、幸か不幸か車を急発進させる。

 その瞬間、四発目がフロントガラスを炸裂させた。

「うわっ!」

「きゃあ!」

 猛スピードで迷走した車は、電信柱に吸い込まれていった。

 長く、長く、時間がゆっくりと流れているように感じられた。ハンドルが効かなかった。福田はもう、どうやっても衝突は回避出来ない、と感じた。

 身体が勝手に動いていた。

 佐織の身体に覆い被さった。

 次の瞬間、叩きつけられるような衝撃と共に目の前が真っ白になった。

 

「ん…」

 身体が痛い。あちこちが痛い。それにしてもこの、自分の上にのしかかっているこの物体は何なんだ?

 福田は、それを押しのけようとした。

 妙な感触だった。

 その物体が、ではない。その…何と形容していいのか分からないが、自分が妙だった。自分自身の皮膚感覚が奇妙だったのだ。

 この耳元でチリチリいっているものは何だ?まるで…福田は両脚をこすり合わせた。

 何だこりゃ。

 どうして自分はスカートなんか履いてるんだ?

 焦げ臭い臭いが充満する車内で、福田は自分の上にのしかかっているものの正体を見た。

 信じられなかった。そして、その血塗れの「福田」の目には生気は宿っていなかった。

 

 何で、何でなんだ。どうして俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ。

 悪夢は覚めなかった。

 あの「事故」の直後に今の自分、「佐織」は元のお屋敷に収用された。

 この一連の事件は、福田親子のみに罪が被せられ、「佐織」の日常には何も無かったかのように扱われることになった。勿論、その「犯人」と精神が入れ替わっている事を除けば、だが。

 怪我は大したことは無かったものの、あれこれと理由を付けて入院させられた。犯人「福田」は手術の甲斐なく意識は戻らなかった。

 意識は戻らなかった。が、死んではいない。

 植物人間、である。

 彼女の精神がそこに入っているのかどうかは分からない。もう死んでいるのかも知れない。しかし、そこに一抹の希望がある限り決して諦めない。諦められる筈がない。

 言うまでもなく全ての黒幕であり、実行犯である「福田」を高額の医療費を払って植物状態のまま生かして置くことに反対意見が噴出した。

 俺は死にものぐるいで懇願した。

 「おじいさま」は確かに優しかった。この「孫娘」の頼みである。しかしそれには多大な代償が必要だった。「俺」はその老人の求めるままに応じなければならなかった。彼女が家に帰りたがらなかったその理由を、身をもって思い知らされることになったのだ。毎日、毎日。昨日も、今日も、明日も…

 今、目の前には彼女の着ていたセーラー服が掛かっている。

 今日から復学しなくてはならない。

 いつまでこんな生活を続けなければならないのだろう。「俺」の身体が意識を取り戻す日は来るのだろうか。もしかしたら一生このまま「女」として生きていかなければならないのかも知れない…。

 何で俺が…

 自問した。「自答」は言葉では出来なかった。代わりにスカートに脚を通した。