「俺は巫女じゃない」
 
 
作・水谷秋夫
 

 
 男の頭の中で、荘厳な声が響いた。
 いや、その声は社殿の奥から聞こえてくるようでもあった。
「お主に天罰を与える。これからの生涯、巫女として我に仕えるがよい」
 男は恐怖に駆られて、神社から逃げ出した。
 
 境内を出て、転がり落ちるように石段を駆け降りる。
 石段の下には鳥居がある。そして町へと続く道路に繋がっている。
 長い長い石段は降りるたびに次第に苔むしてくる。しかし、駆け降りたその先に鳥居はなかった。
 土の地面……。
 目の前にある建物――、それは神社の社殿ではないか。
 男が降りた階段は、いつの間にか、社殿の裏から裏山へと向かう石段に変わっていた。
「うわああっ」
 声にならぬ悲鳴を上げながら、男は今降りてきた石段を逆に駆け上る。
 裏山へ向かう石段は、途中で山道に変わり、一山越えて隣町に続く筈だった。
 しかし、石段を登りきったその先にあったのは山道ではない。神社の社殿が目の前にある。
 裏山に上った筈だったのに、彼が上ってきたのは鳥居から境内へと続く石段になっていた。
 何度繰り返しても同じだった。神社の正面から階段を降りれば神社の裏手に出る。神社の裏手から階段を上れば神社の正面に戻ってしまう。他に境内からの出口はない。
「もはや、お主は逃れられぬ」
 また、荘厳な声が頭蓋内で響き渡った。
 男は蒼ざめた。
 その男の耳に、今度は違う声が聞こえてきた。
 何人か、石段を談笑しながら上り、境内に入ってきた人々がいる。
 老人達だ。
 その爺さん婆さん達は、男を見て、それぞれに微笑んで話しかけてきた。
「おお、この神社にも久々に巫女さんが来ましたか」
「かわいい巫女さんじゃの」
「もっと髪は長いほうがよかろう」
「ほほほ。お爺さん、まだなりたてなのにそんな注文はおよしなさい」
「いやいや、言ってみるものじゃ。伸びてきた。伸びてきた」
「緋袴がよう似合っとる。初々しいのぉ」
 こいつらは何を言ってるんだ、と思いながら男は自分の姿を見た。
 驚いた。
 着ているものが変わっている。緋袴に白衣。その内側には半襦袢。足には足袋と草履。頭が重い。髪が腰まで伸びている。
「そうじゃ、うちの息子が厄年なんじゃ。お祓いをしてもらわんと」
「うちの孫は七つになる。お祝いをせねばな」
「せっかく巫女さんが来たのじゃし」
「ほうじゃ、ほうじゃ。巫女さんには舞を奉納してもらわんと」
 さっきまで何も持っていなかったのに、知らぬ間に男の左手には鈴、右手には榊の枝木が握られていた。白衣の上には千早と呼ばれる薄い上着を羽織っている。どれも巫女が舞に用いるものだ。
「お……俺は巫女じゃない」
 男は鈴と枝木を放り投げた。
「こらこら、そんな乱暴な」
「俺は巫女じゃない」
 千早を破り捨て、緋袴を下げ、白衣を脱ぎ捨てた。あとは半襦袢だけ。
「そう神様に逆らうものではない」
「そうじゃ、天罰があるぞ」
「天罰がなんだ。俺は巫女なんかじゃない」
「それなら、その格好はなんじゃ」
 男は自分の服装を見た。白衣に緋袴。脱ぎ捨てた筈の巫女の衣装を、また身に纏っている。
「そ……、そんな馬鹿な」
 何度脱ぎ捨てても、何度破り裂いても、男は再び白衣に緋袴の巫女に戻ってしまう。
「俺は……、俺は……、巫女じゃない。巫女じゃないんだ!」
 
 
 
「これが例の患者かね。神社の石段の下で倒れていたという」
「ええ。こちらに運ばれると意識を取り戻して。それからが暴れて大変でした。押さえようとして殴られた先生もいるし。それに変なんです。天罰がなんだ。俺は巫女じゃない、って何度も繰り返し言って、着ているものを脱ごうとするんです。脱ぐだけじゃなくて、引きちぎろうとして。すごい力でした」
「こうして寝ていると、とてもそうは見えないね。穏やかな顔だ」
「ええ。今は鎮静剤が効いていますから」
 話していたのは医師と看護婦。ここは救急病院の個室。二人は昨日担ぎ込まれた身元不明の患者を眺めていたのだが、そこまで話すと病室を出て歩き出した。
「神社に天罰……、お賽銭でもくすねたのかな」
「それに、なんで巫女さんなんでしょう?」
 医師は考え込んだ。
「その前にだ。そもそも女の人は、俺、なんて言葉は使わないじゃないか」
 
 そう、患者は髪を腰まで伸ばした美しい女性。
 俺は巫女じゃない……。医師は首を捻るばかりだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

あとがき
 
 水谷です。
 みっしんぐさんの「天罰覿面」は人気作品で、すでにストーリーも多数あります。ここで自分は傾向の違うホラー作品を書いてみよう、と思い立ちました。
 でも全然恐くないですね。ホラー作家の道は遠いです。


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