「ニャンパギータ」

作・真城 悠


 ニャンパギータ。
 あんたはこのどこか間抜けな響きの言葉を聞いてどう思ったろうか。
 まあ、話はもう少し前からした方が分かりやすいだろうな。
 俺はしがない私立探偵だ。
 勿論、探偵と言ったってそんなに格好いいものじゃない。お定まりの浮気調査や身辺調査で口を糊している。まあ、そういう意味での人脈はそれなりに広いので一風変わった情報調査なんかも受け付けている。
 俺の事務所にはデカくて目立つ看板なんかありゃしない。見かけもいかがわしい雑居ビルの中の、更に隅っこにそれはある。
 同じビルの中には得体の知れないアジア某国のマッサージサービスだとか裏モノばかり扱っているエロビデオショップ、勿論下り坂と言われて久しいブルセラショップもしぶとく生き残っている。最近は一階だか地下一階だかにアニメだ漫画だといったオタク向けの商品ばかり扱う店がオープンしたらしい。お蔭で青白い顔をした餓鬼や、奇天烈な格好の女共が何かの間違いで事務所の前をうろうろしやがる。
 そんな連中がまともな依頼を持ってくるはずも無い。一度、余りにしつこいんで話だけ聞いてみると、何だかの限定テレカのありかが知りたいと抜かしやがった。俺は教えてやったさ。手前のケツの中に入ってるってな。そいつは二度と来なかった。
 話がそれたが、ともかく俺は“探偵”という看板を掲げて生きている。
 中にはこの小汚い事務所…というより倉庫だな…でよく食えるもんだと余計な心配をしてくれる奇特な兄弟もいるかもしれない。確かに千客万来ってわけにはいかない。せいぜいゴキブリのお仲間に評判らしいってことが分かるくらいか。しかし、それほど法外な要求ばかりしているとも思っちゃいないね。成功報酬の割合を減らしているって説明で多くのお客さんが帰っちまうが、浮気調査に失敗も無いだろう。俺は基本的に人の紹介からしか依頼は受け付けていないんだ。
 電話が商売の半分を占めているこの仕事の俺が人見知りする方だって聞いてあんたはあきれるかい?ならそれに対して答えてやるよ。別に人間は嫌いじゃない。自分も含めてな。ただ馬鹿が嫌いだってだけだ。自分は含めずに。
 ともあれ、お隣のブルセラショップやオタクよろず屋みたいに客は選ばないってわけにはいかねえのさ。


 勿論、その客も紹介でやってきた。
 第一印象をそのまま言えば美人だったね。もし俺がハードボイルド小説を書くとしたらこの人に依頼人になって欲しい、そんな感じだった。
 もう季節も秋から冬に移り変わろうって時期だったのに薄手のワンピースだったのが印象的だね。何しろ今の俺は季節には敏感になってる。その訳はおのずとわかるだろうさ。
「話は聞いてます。まあ、掛けて」
 俺は必ずしも依頼人に敬語尽くめで話し掛けない。相手との距離を一定に保つ、俺なりの秘訣だ。まあ、薦めた椅子がスプリングの飛び出しそうなボロ椅子だったのは秘密だ。
「で?どの様なご用件で?」
「はい…」
 聞いてみれば何ともありきたりの事件だった。いや、「事件」と呼ぶには事件に失礼かも知れない。要は失踪した夫を探して欲しい、という依頼だ。
「心当たりは探されましたか?」
「ええ。全部」
「近頃喧嘩なんかは?」
「いえ…出掛けていった朝も特に…」
 俺の調書は頭の中にある。目の前でいちいちかりかりやられちゃいい気分はしないもんだからな。
「会社のほうは?」
「一緒に会社を出たそうです」
「?」
「ああ、仕事が終わってからです。居酒屋に行ったとか…」
 ほう、そこまではいた訳だ。
「同僚の方に話は伺ったんで?」
「ええ」
「何と言う方です?」
「青山さん」
「青山…何です?」
「青山靖さん。井上靖の「靖」で「やすし」さん」
 やたらに青い名前だな。だからどうだって事は無いが。
「お友達で?」
「同期入社だと言ってました」
「はあ…その旦那さん…」
「弘です。弘法大師の「ひろし」」
「弘さんを最後に見たのはその青山さんお一人なんですか?」
「いえ、5〜6人で飲みに行ってたみたいです」
「その方々のお名前は分かりますか?」
「いえ…青山さんしか…」
 まあ、これは青山とやらに当たればすぐに分かるだろう。
「で、そこから分かれてから行方が知れないと」
「はい」
「何日前です?」
「昨日です」
「昨日?昨日の晩ですか?」
 随分せっかち、…というより潔癖症の奥さんだな。こりゃ旦那もたまるまい。
「奥さん…それは…」
「分かっています!」
「…」
「考え過ぎかも知れませんけど、絶対におかしいんです。あの人が無断で外出するなんてあり得ない!」
 こりゃ意外に早く決着するかも知れないな。


「何ですか?」
 名前の通りだった。
「いえ、昨日のことについて伺いたいと思いましてね」
 俺は単刀直入に聞いた。
「…何の…事です?」
 こいつは出世しないな、と思った。
 その男…青山靖は特に隠すでもなく合同コンパのことをぺらぺらと喋った。
 俺が「ニャンパギータ」の名前を初めて聞いたのはその時だった。


「で?ここに辿り着かれたと?」
 その男は立ち上がって言った。
「ええ」
「どの様な調査を行われたんですか?」
 冷たい感じの男だった。周囲の気温を確実に2〜3度は下げる氷の様な雰囲気。しかし、夏の盛りであっても余り会いたいとは思えなかった。
「別に特別なことはしてませんよ。関係者に片端から会って話を聞いただけです」
 そう、ここは「ニャンパギータ」である。何の店なのか…。青山からつながる人脈を伝ううち、それは店の名前だと分かってきた。
 どうも関係者の証言が必ずしも一致しないのだが、総合するにそれは「居酒屋」という結論が導かれていた。
「で?あなたの印象とは一致していましたか?」
 こちらの心理を読んだ様な事を言う。どうもいけ好かない。
「支配人の事務所しか見ていませんから何とも…」
「…」
 こいつの目的ははっきりしている。どこまでこちらが情報を掴んだのか探ろうとしているのだ。
「ご商売は好調の様ですな」
「お蔭様で」
「何でもお客さんにやらせる「ゲーム」がこちらのお店のウリだとか」
「それはお客さまの口からお聞きになったので?」
「ええ」
 これは嘘だ。俺は証言以上の事は知らない。
「で?青山さんは何と?」
「…」
「どうなさったのです?」
「いえ…余りに突飛な話なんでね」
「ほう、と言いますと?」
「何でもその…あくまで私が聞いた話ですよ」
「まあまあ」
「彼らはパーティゲームをやっていたそうです」
「はい」
「いくつかの「罰ゲーム」が用意されていたらしいんですが…事実ですか?」
「ええ。その様なサービスは用意していますよ」
 俺は数々の証言者が直前まで話しながら頑として口を割ろうとしなかった「事実」について話した。それは話しているこちらも信じられない、馬鹿馬鹿しい話だった。
 その罰ゲームに負けたものは「くじ」を引かされる。その紙には「罰ゲーム」の内容が書いてあるのだが、これがどんな内容であろうと「実際に」その引いた人間の身に降りかかってしまうらしいのだ。そして…
「彼が引いた紙には「猫耳メイドになる」と書かれていたそうです」
 長い沈黙が支配した。
「単刀直入に聞きますが、彼はどこです?」
「そうですか…そこまで知ってしまいましたか…」
「知るも何も…そんなことを言ったらお客さんみんな知っているこtこになるわけでしょ?」
「残念ですが…」
 彼はこちらを見ると、俺の目を見つめて言い放った。
「そこまでご存知でしたら、このまま帰っていただく訳には参りませんな」
「…何を…!?」
 動かなかった。俺の身体は椅子に座ったまま硬直していた。
「申し訳ありませんが、うちで働いていただきます」
「それ…は、どういう…」
 その時だった。俺の…口に出すのもおぞましいが俺の胸に、何やらむずむずする感覚が走ってきた。そして、それは目にも明らかな変化へと移行したのだ。
「…う、うう…う」
 俺の胸が…女のそれのようにむくむくと膨らんできた。
「ふむ…やはり全体としての調和がイマイチですな」
「な、何の…こと…」
「少なくとも上半身から始めるべきですな」
 この時の感覚を何と言っていいのか分からない。しかし、それは確かに「肩幅が狭くなる」という感触でしかあり得なかった。
「あ…なん…だ?」
 衣服がゆるゆるになってゆく。筋肉質だった体がふっくらとしたやわらかなそれになっていく。それに従って乳房も周囲になじむ。
「大きさはまあまあですが、形がなっていませんね。もうちょっと先がツンと上を向いてないと」
「あ…ああ!」
「ふん…まあこんな所でしょう。次はウェストですね」
「あ…」
「私は蜂のようにくびれたウェストが好みなんですよ。次にお尻を大きくして」
「や、やめ…」
「そうそう。こんな感じですね。次に脚を綺麗に…と」
「ひ…あ…」
「そうそう、手を忘れてました」
「こ、これ…は?」
「そして顔の作りをこうして…」
「あ…う、ううう」
「髪を長く伸ばして…と」
「いいい…」
「声も変えて…と」
「何を…っ!!?!」
「これはいいですね。うちで働くに充分な美貌です。ついでですから猫耳も生やしちゃいましょう」
「きゃ…」
「これははまってますね。じゃあついでに尻尾も…」
「い、いや…助け…て」
「まあまあ。遠慮せずに…そうですね。うちのコスチュームは沢山あるんですけど、エプロンドレス…メイド服がいいでしょう。まずはパンティから」
「い?…し、下着…まで…」
「次はブラジャーを」
「あっ…」
「どうです?これなら着替える手間も省けるでしょ?これくらいの趣向を見せてくれないとお客さまは納得していただけないですからね。えーと、ガーターベルトにストッキング…と」
「あ…あああ…」
「そしてその無骨なスーツをエプロンドレスにして…と」
「きゃ…あ…」
「はい。立って…そうそう。でもって仕草を可愛らしく変えて…」
「い、いや…」
「そうそう。髪飾りを付けて…ここは眼鏡も掛けてみるかな」
「あ…ああん…」


 今でもあの夜の事は夢だったんじゃないかと思うことがある。
 が、しかし朝目覚めて、壁に掛けてある制服を見るたび、それが現実であることを思い知らされる。
 俺は店主の計らいで学校に通わされることになった。年頃の娘を学府にもやらずにこき使っていたのでは何かと都合が悪いらしい。
 俺は朝食を済ませるとセーラー服に袖を通した。…ええい、こうして地の分を書いていても信じられない。が、しかし事実なのだ。今の俺は私立探偵でも何でも無い。私立は私立だが、私立の共学校に通う…この言い方は恥ずかしいんだが…女子高生なのだ。
 下腹部が下着1枚で空気にさらされるスカートの感覚にも大分慣れてきた。このプリーツスカートを両手でそっと撫で付けて椅子に座る仕草を見て、元男だと思う人間はそうはいないだろう。店主にこの姿に変えられて依頼、仕草も自然と身についていたのだ。
 かつてうだつのあがらない旦那衆の後を追い回し、報告書に何と書いたものか悩んでいた俺は既に無く、今は次に同級生と行くカラオケの曲選びに頭を悩ませていた。
 いくら強固に「自分は男だ」という意思があるものでも、こうして毎日鏡に向かって髪をとかし、一から女子の制服に身をゆだねる生活を続けていれば自然に「慣れ」てしまうのだ。何時の間にか俺は「服」のバリエーションというか「変化」の選択肢の中に自然と「スカート」を入れている自分に気がついて愕然とした。
 こうして電車に乗っていても、自分が周囲からどう見られているかに自然と感心がいく様になってしまっている俺はもう後には戻れないのかも知れない。今の関心事は制服の冬服に早く変わらないかということである。寒い、ということもあるが…俺の心は…あの可愛らしい制服に袖を通すことを想像するだけで…ときめい…て…しまうのだ。
 俺はスカートから飛び出した尻尾を抱きしめた。






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