DUST TO DUST!
作:八重洲二世
── 1999年 ドイツ南東部の都市・レーゲンスブルク ──
「おおお……ローズマリーィィィィ……」
恍惚とした、それでいて弱々しくかすれた男の声。
その場には、男と少女がいた。
男は跪き、聖母でも見るような眼差しを少女に向けていた。
少女が男の手を取る。
男の顔に至福の表情が広がった。だが、それも半ばで凍りつく。
見る間に、男の皮膚がつやを失っていく。
皮膚だけではない。男の体は急速に老いさらばえていった。
全身が枯れ木のようになり、カサカサになった皮膚が張り付くだけの姿になったとき、男は床に沈んでいった。
人の倒れる重い音は響かず、ただかすかにカサッという音がしただけだった。
少女は、顔色一つ変えず、それを見やった。
「あんたの生気はマズイのよ」
澄んだ、鈴のような声音で少女は語りかける。男の死骸に向かって。
「だから、夜の住人に加えてはあげない。そうやって、惨めな死に様をさらすのがお似合いだわ。もっとも、あんたはそれでも充分おつりがくるほどにいい目を見たわよね」
少女──いや、女淫魔(サキュバス)はほっそりとした足を死骸の上に降ろした。
ボロッ……
干涸らびきった死骸は、あっけなく崩れて塵となっていく。
サキュバスはちろりと桜色の唇に赤い舌先を這わせた。
「……次は、もうちょっと美味しい生気を吸収したいわね」
※ ※ ※
「その……君に任せて大丈夫なのだね、アルベルト君」
「ええ、お任せ下さい。必ずや、忌まわしきアンチキリストをこの手で滅してごらんにいれます」
ヒンデミット神父は、かすかに漂うハーブの香りに気付いていた。
ここは、ザンクト・ペーター大聖堂の荘厳な礼拝堂の内である。
真夜中のこの時間、大聖堂の中に二つの人影があった。
ひとりは、ヒンデミット神父。初老の司祭である。
いまひとり、アルベルトと呼ばれた青年は神学生の格好をしていた。
まだ、二十歳そこそこだろうか。若者らしく、いっぺんの贅肉もないスマートな体型をしている。
「持っていきたまえ。聖水によって清められたダガーだ」
神父は、アルベルトに象牙の鞘に収められた短刀を手渡した。
「ありがとうございます、神父。それと、例のものも用意していただけましたよね?」
「…ああ」
いくぶん、戸惑い気味に神父は頷く。
「それでは、あとは僕の仕事です。明日の早朝にまたこの場所でお会いいたしましょう」
神父は十字を切った。
「主よ…御心が行われますように、天におけるように地の上にも。この者を悪の手からお守り下さい」
「そして、土は土に、灰は灰に、塵は塵に還るべし」
アルベルトは返す。
神父に一礼して、アルベルトはほの暗い聖堂から歩み去っていった。
その場に残ったヒンデミット神父は、無言でもう一度、十字を切った。
※ ※ ※
アルベルトは荒廃しきった館で、ひとりの少女と対峙していた。
この館にはとある貴族が住んでいたのだが、数年前から館にいたはずの人間は誰一人として外に姿を見せていない。
アルベルトは、銀製の十字架を掲げて、一歩少女に近付いた。
少女の姿をしているが、相手は人間ではない。
彼女は、夜の住人なのだ。夜の闇を徘徊し、人間を堕落させてその生気を糧とする、神と人間の敵、呪われたアンチキリスト──。
少女は、夜の住人の中でも特に淫魔と称される存在だった。男の淫魔をインキュバスと呼び、女淫魔をサキュバスと呼ぶ。いずれも、その美しい外見で人間を誘惑し、姦淫の罪を犯させ、堕落させようとする。
サキュバスは、値踏みするようにアルベルトを見た。
冷たい瞳だ。どんなに人の姿を真似ていても、その瞳は人とは異質なものだった。彼女の本質は、永遠に神の恩寵にあずかれぬ呪われた化け物なのだ。
くいっ、とサキュバスは唇の端を吊り上げた。
尖った犬歯がのぞく。
「あらあら。どんな高名なエクソシストが派遣されてきたのかと思えば」
サキュバスは嘲りの表情を浮かべて言った。
「まさか神学生の坊やが送り込まれてくるとはね。ヴァチカンもいよいよ人材不足かしら?」
「僕は貴方のようなアンチキリストと戦うための訓練を受けています。見た目で判断すると、痛い目に遭いますよ」
「フフフ。威勢のいい坊やね。気に入ったわ」
アルベルトは再び、慎重に一歩を踏み出した。
サキュバスは心なしかわずかにたじろいだように見えた。
「なによ? 問答無用ってわけ? ねえ、せっかくだから少し話でもしない? わざわざお越しいただいたんですもの。紅茶くらい出すわよ」
「………………」
「あたしは確かにアンチキリストだけど、無闇に人を襲ったりはしていないわ」
「邪悪な者の言葉に耳を傾ける気にはなれませんね」
と、サキュバスの表情が翳った。
肩をすくめると、サキュバスは窓辺に移動して、窓台に浅く腰掛けた。
「あたしが生気を奪ってきたのは、金で女を買う恥知らずな男、レイプの常習犯、裏通りにたむろしてるジャンキー……そんな救われない人間ばっかりよ。あたしは、いわば社会のゴミ掃除をしてるようなものじゃないかしら?」
窓からさす銀色の月光が少女のシルエットをくっきりと浮かび上がらせる。
「お黙りなさい」
静かにアルベルトは反論する。
「どんな人間でも、悔い改めれば神の御元にゆけるのです。それなのに貴方は、彼らの魂が悔い改める機会を永遠に奪ってしまった。許されることではありません」
サキュバスは寂しげに目を伏せた。
「ねえ……それじゃあ、あたしたちは何なの? なぜ人間は救われるのに、あたしたち夜の住人は、永遠に呪われた定めを課せられているの? 神は人間に試練を与えるためにあたしたちアンチキリストを創り出した。あまりにも──あまりにも、あたしたちは哀れな存在じゃない!」
アルベルトは少女の意外な独白に戸惑った。
そして、少女が涙を浮かべているのに気付いた。
「長いこと夜の世界で生きてきたわ。でも、もう疲れちゃった。……ねえ、あたしの告解を聞いてくれない? あんたも神父の卵なんでしょ? 夜の住人が懺悔をしたら、神様は聞いて下さるのかしらね?」
そう言って少女は窓台からすとんと降りると、アルベルトの足元に跪いた。
「あたしの犯した罪を告白するわ。あたしは罪を犯しました。それは────あなたを欺いた『偽証』の大罪ね!!」
ビュッと風を切る音がした。
人間離れした素早さでサキュバスが伸び上がったのだ。
アルベルトが反応するよりも早く、サキュバスの鋭い爪がアルベルトの心臓に伸びる。
ガキッ!
「ぎゃああああああ!!」
怪鳥のような悲鳴をあげたのは、サキュバスのほうだった。
サキュバスの手から、白い煙がのぼっていた。
アルベルトは、神学校の制服の下から、聖別された短刀を取り出した。
短刀の鞘は割れていた。短刀の刃が、サキュバスの不意打ちを防いだのだ。
「主よ、御加護に感謝いたします。ヒンデミット神父、あなたは私の命の恩人ですよ」
きっ、とアルベルトはサキュバスを睨み据える。
「イン・ノミネ・ジェズ・クリスト、ディカス・ミキ・ノメン・トゥス」
ラテン語の詠唱が響く。
「くっ……黙れッ!!」
さきほどと打って変わった凄まじい形相で、サキュバスは威嚇する。
「イン・ノミネ・ジェズ・クリスト、ディカス・ミキ・ノメン・トゥス(キリストの名において、汝の名を名乗るべし)」
自信に満ちて、アルベルトは唱える。
それに屈服したかのように、サキュバスは呟いた。
「ローズマリー……あたしの名はローズマリーよ……」
「いつから、この地に棲み着いたのです」
「二百年前に……ブリテン島から渡ってきたわ……」
聖句による呪縛の効果に、アルベルトは満足げに頷いた。
そして、短刀を手に構えた。
ローマ典礼儀式書の一節を口にのぼらせて、アルベルトはローズマリーの前に立つ。
「汝を滅ぼさん。いとも汚れし霊よ。すべての悪の力よ、地獄からの濫入者たちよ、すべての悪霊たちの群れよ、イエス・キリストの御名において、汝を滅ぼさん!」
ローズマリーは目を見開いたまま、微動だにしない。聖なる祈りの句が、ローズマリーから抵抗する力を奪っているのに違いない。
アルベルトはローズマリーの胸にダガーの先を当てた。
そのまま、渾身の力を込めて、ダガーの柄を押す。
「……クスクス」
ローズマリーのいかにも可笑しそうな笑い声に、アルベルトは愕然となった。
だしぬけに、ダガーを持った手に疼痛が走る。
「!」
ほとんど反射的に、アルベルトはダガーを手放していた。
足元に落ちたダガーは、まるで溶鉱炉に放り込まれたように赤熱していた。
「悪魔祓いごっこは楽しかったかしら、坊や?」
「くっ、化け物め……!!」
十字架を掲げようとして、アルベルトは身体の自由が効かないことに気付いた。指一本、動かせない。
「アハハハハ。かーわいい。必死になっちゃってさ」
と、ローズマリーはアルベルトの努力を鼻で笑う。
「あんたはね、最初にあたしの瞳に見つめられた瞬間から、あたしの操り人形になってたのよ。クスクス、坊やていどの霊力であたしをどうにかできるなんて、本気で信じてたのかしら? いままで、あたしは名の知れたエクソシストどもをダース単位で喰らっているのよ」
何かを言い返そうにも、すでに舌までがアルベルトの意志から切り離されていた。
「あたしの手にかかって堕ちていけることを感謝なさい」
ローズマリーは、パチンと指を鳴らした。
その合図に、アルベルトの体は意志に反して、ローズマリーの前に跪いた。
ローズマリーが勝ち誇った顔でアルベルトを見下ろしている。
つい、とローズマリーがアルベルトの前に手を出す。
アルベルトは、その手をとって己の口吻に近づけた。
やめろ、という叫びは声にならない。
アルベルトは、操られるまま、ローズマリーの白い手に接吻をした。
「その忌々しい十字架を捨てなさい」
「ハイ……」
手が勝手に動き、銀の十字架を背後に放り捨ててしまう。
「暑苦しい上着も脱いだ方がいいわね」
言われるがままにアルベルトの体は反応する。
意志は拒絶しても、手は滞りなく動いて、神学校の黒い上着を脱ぎ捨ててしまう。
「フフ…健康的な体をしているのね。神学校では姦淫は禁じられてるのでしょう? 若くて健康な男の子にとっては、それってとっても残酷なことよね?」
いたぶるように、妙に優しい声音でローズマリーは語りかける。
「──それとも、こっそりとオナンの罪を犯しているのかしら? 答えて、正直にね」
「………………ハイ」
「あら、そう。そうなの?」
ひとしきり、ローズマリーはクスクスと笑う。
「恥ずかしがることなんてないわ。それが自然なんだもの。人間の体は欲望に忠実に創られてるんだから。人間は生まれつき、罪深い存在なのよ。認めなさい」
「………………」
ローズマリーが背中に手を回してごそごそやると、彼女のまとっていたドレスがはらりと地に落ちた。
ドレスの下には、何ひとつ着けていない。
ほっそりと白い裸身が、淡い月の光にさらされた。
「……あたしを抱きたいでしょう?」
ローズマリーは燐光を宿した瞳をアルベルトに向ける。
その瞬間、アルベルトの内部でカッと欲望の炎が燃え上がった。
口の中がカラカラに干上がり、体の芯に苦痛にも近い官能の疼きを感じた。
「信仰を捨てなさい。そうすれば、あたしを抱かせてあげる」
ぼうっと、頭に霞がかかっていくような感覚があった。
「誓いなさい。私は私の神を捨てます、って。そうすれば、あんたの欲望は満たされるわ」
肉の欲望に身を任せるの。
それが、人間にとって最大の幸せなのだから。
ローズマリーの声が直接頭の中に響きわたった。
かすかに残る理性が、はかない抵抗を試みる。
誘いに乗ってはいけない。
アルベルトの堕落はすなわちローズマリーの勝利を意味するのだから。
だがその抵抗も、圧倒的なドロドロとした欲望の奔流の前に脆くも押し流されていった。
「どうしたの? 誓いの言葉は?」
「……誓います」
「続けて」
「私は、私の神を、………………捨てます」
闇の聖母は、残酷な喜悦に身を震わせたようだった。
「おいで、坊や」
ぎくしゃくと、アルベルトは立ち上がる。
焦点の定まらない目つきのまま、アルベルトはローズマリーに触れ、そして両手で少女の裸身をかき抱いた。
「……待った」
事の寸前で、ローズマリーはアルベルトを押し止めた。
木偶のように立ち尽くすアルベルト。
「肌を触れ合わせて分かったわ。坊やったら、なんて美味しそうな生気を持ってるのかしら」
ローズマリーは愛おしそうにアルベルトの固い胸を触った。
「久しぶりだわ、これだけ上質の生気の持ち主は。一度に吸い尽くして干涸らびさせるなんて、勿体なくてできない。喜びなさい、坊や。坊やは特別に、あたしのサーヴァントにしてあげる。夜の住人の仲間になるのよ、坊やは。それで、毎日あたしにその甘い生気を差し出すの」
ローズマリーは、動きを止めたままのアルベルトにそっと顔を近づける。
「──坊やの唇を味あわせて」
命じられるまま、アルベルトは瑞々しい唇に、己の唇を重ね合わせた。
それは、サキュバスが堕落した人間を夜の住人に引き入れるための儀式だった。
刃物のように鋭い快感がアルベルトの脊椎を駆け上がっていく。
直後、変化が訪れた。
男の欲望を体現していた体の一部分が、かき消えたのだ。
行き場をなくした欲望がむなしく体内を駆け巡り、アルベルトは抑圧された呻きを洩らした。
その声は、いつものアルベルトの声質と違っていた。まるで、誰かがアルベルトの声帯をガラスで作り替えてしまったかのようだった。
驚くべき変態はそれに留まらない。
全身の骨格が急速にその形を変えていった。
より細く。より華奢に。
後ろ髪を束ねていた紐が切れ、豊かに量を増した髪が肩にかかる。
アルベルトは体の変容を知り、内心悲鳴をあげていた。
だが、いかにアルベルトが変化を拒もうとしても、ローズマリーの支配を受け入れた肉体は、アルベルトを裏切ってメタモルフォーゼを続けていくのだった。
ローズマリーはアルベルトの抱擁から離れ、一歩さがった。
ローズマリーは、恍惚とした面もちでアルベルトの変容を見守る。
「抗っても無駄よ。あんたはすでに、あたしに隷属を誓ってしまったんだから」
「あ・あ・あ……」
「クスッ。いい声。ゾクゾクするわ」
もともと端正な顔立ちが、少し幼さを残した少女のものへと造作を変えていく。ローズマリーとキスをした唇は、ローズマリーのそれを写し取ったように桜色に色付く。
打ちのめされたアルベルトが瞬きをすると、長い睫毛が微かな音を立てた。
「うん。あたしに似て、美人になったわね。嬉しいでしょ?」
「いやだ……こんな姿には…なりたく……」
シャツの前面に回された腕の下で、小ぶりな二つの乳房が持ち上がる。その異様な感覚に、アルベルトは息を呑んだ。
何度味わっても、決して慣れることのできないほどの異様な身体感覚だ。
全ての変化が停止したとき、そこにはローズマリーの姉妹とも思える美少女が出現していた。
「可愛いわ、あたしのサーヴァントちゃん」
ローズマリーは、生まれ変わった美少女の頬を手の平で愛撫する。
「くっ……ローズマリー様……ああっ……」
少女の声は、天使のように透明なソプラノだった。
「きょうはお前の初夜よ。あたしにその極上の生気を味あわせてよね」
ローズマリーは、少女の柔らかな首筋に牙を押し当てる。
少女は、快感をむりやり押し殺したようなくぐもった悲鳴をあげた。
つうっと少女の乳色の肌に血が流れる。
ローズマリーは、真っ赤な舌を突き出して少女の血をすすった。
小刻みに少女の全身が震える。
「はぁはぁ……美味しいですか、ローズマリー様?」
「ええ。お前の生気は最高だわ、サーヴァントちゃ…ん……」
サッとローズマリーの顔色が変わった。
ローズマリーはやおら床に這いつくばると、血を吐き出した。
そうして、苦しそうに喉をかきむしりだす。
「なんだ、これは? ──貴様の血は、一体?!」
先ほどまで、されるがままに血を吸われていた美少女は、一転して不敵に笑い、腕組みをしていた。
「ある種の野生のハーブは、夜の住人に対して有効な攻撃手段となりうる。夜の住人はそれらの香草のエキスを強く忌避する。ヴァンパイア除けのお守りとして大蒜の名があげられたりするのは、この知識が分かりやすい形で巷間に流布したものだ」
澄んだソプラノが響きわたる。
「うちの一族には、有効なハーブを調合して血液の流れに潜ませる技術が伝わっていてな」
「な・に・も・の・だ、お・ま・え・は?」
喉を焼かれたサキュバスが、本性も露わに牙を剥き出した。
だが、負けるとも劣らない鋭い犬歯をさらして、美少女は勝ち気な高笑いをした。
美少女はおそれげもなくサキュバスに近付く。
そして、いつのまに拾っていたのか、神父から渡された短刀を、今度こそ深々とサキュバスの胸に突き立てた。
おぞましい咆吼が夜の静寂に放たれた。
「俺様の正体だと?」
と、瀕死のサキュバスを踏みにじる美少女。
「俺様の名は、アルベルトだ。アルベルト・フォン・バイロン」
「……ナイトメア・ハンターの……バイロン一族…か……」
ボロリ、とサキュバスの右腕が腐り落ちる。
「土は土に、灰は灰に、塵は塵に還るべし」
一瞬、サキュバスが恨みがましい目を向けた。
だが、すぐにサキュバスの体は雨に打たれた泥人形のように跡形もなく崩れていった。
床の上にドス黒い汚泥だけを残して、サキュバスは滅ぼされた。
「ま、今回も楽勝な依頼だったぜ」
サキュバスの最期を確認すると、美少女の姿になったアルベルトはさっさとその場を後にした。
※ ※ ※
翌、早朝。
再び、ザンクト・ペーター大聖堂にて。
「成功報酬分の五〇万マルク、たしかに確認したぜ」
歯を見せて笑う美少女に、ヒンデミット神父は信じられぬといった様子で首を振った。
「君は本当に、アルベルト君なのですか?」
「ああ? そうだよ。事前に言っておいただろ。ちょっとばかりナリが違って帰ってくるかもしれないって!」
「しかし……」
「そんなことより、俺様の着替えは?」
神父は、傍らのベンチの上に置いてある紙袋を指さした。
「ハハッ、ありがたいな。さすがに俺様も、こんな格好で街うろつくのは気が引けるからな」
アルベルトの今の服装はといえば、サイズの合わないシャツに、裾を折って腰のところで無理矢理きつく結んだズボンというものだ。
アルベルトはその場で紙袋に入っていた服に着替え始めた。
神父の前で、大胆に服を脱ぎ捨てていく。
ヒルベルト神父はあわててそっぽを向いた。
「汝、姦淫することなかれ、汝、姦淫することなかれ……」
などと、神父はごにょごにょ呟いている。
下着も含めて完全に着替えたアルベルトは、体のラインを強調するような派手目のスーツとタイトスカートに身を包んでいた。
「どうだ、神父? 女の俺様もそこそこイケてるだろ?」
と、アルベルトは神父の腕を取り、わざとらしく自分の胸に押し当てる。
ムニュ。
「……アーメン」
神父は空いたほうの手で十字を切った。
その反応にアルベルトはククク、と笑いを洩らす。
「さてと、」
アルベルトがきびすを返すと、背後から神父が尋ねてきた。
「この後はどうされますので?」
「なに。サキュバスは滅ぼしたから、この体もしばらくすりゃ、元に戻る。それまでは、今回の報酬で南の島に行って思う存分バカンスを楽しむさ。適当な男を誘惑して貢がせるのもいいし、水着の姉ちゃんと仲良くなって女同士でスキンシップってのも捨てがたいしな。人生はバラ色だぜ、神父さん! アハハハハハハハ!」
いろいろ神の教えに反してるっぽい台詞を、聞かなかったことにする神父だった。
美少女アルベルトは勝ち気な高笑いを残して朝靄のけぶる街に消えていった。
とにもかくにも、アンチキリストは滅び、街には平和な朝がやってきたのだ。
ヒンデミット神父はその喜びを噛みしめ、主に感謝の祈りを捧げるのだった。
──アーメン。
その後、ヒンデミット神父のもとに届いた一通のエアメール。
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