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ジロー・チェンジ!! 導入部



【あらすじ】

 ごく普通の生活を送っていた善光寺ジローは、ある日、自分が人造人間だったことを知らされる。ジローの父親、善光寺博士は、D.A.L.K. と呼ばれる超国家的機関に所属する研究者だったのだ。
 衝撃を受けたジローは、博士を問いただすため、自宅に向かったが……



【第一話】

 ジローは、勢いよく自宅のドアを開け放つ。鍵はかかっていない。
 居間を走り抜けて博士の研究室に駆け込む。
 リノリウムの床が真っ赤な血の池と化している。
「父さんっ!」
 ジローは悲鳴をあげる。床に突っ伏した善光寺博士は微動だにしない。
 そのときジローは気づく。
 研究室に、もうひとりの人間がいる。
 ジローより年下だ。
 やっと高校一年くらい。あるいは、中学生か。
 あどけない顔が、惨劇の現場にひどく不釣り合いだ。
 大型の計測機器にもたれて少年は、ジローの様子を観察していたのだ。
 少年が口を開く。
「君が、ジローだろう?」
「……お前は、誰だ?!」
 少年は、ぱっと笑顔を浮かべる。瞳にはひどく冷たい光を宿したまま。
「誰だ、はないだろう。自分の弟に向かって、さ」
「弟……?」
「ぼくは、サブロー。兄さんを迎えにきたんだよ」
 謎めいたことを口にする少年。サブローというその名前には聞き覚えがあった。けれど、ジローには思い出せない。どこで聞いた名前だったか……
 サブローの手には、赤くてヌラヌラした塊が載っている。
 その塊の正体に気づいたとき、ジローは激しい眩暈に襲われた。
 それは、人の脳だった。
 震えながら、床の父親に目をやる。
 間違いない。
 サブローが手にしているのは、善光寺博士の……
 サブローは、指を二本立てた。
「ぼくが、DALK に与えられた任務は二つ……」
 ジローは声すら出せない。喉がはりついてしまったようになっている。
「……任務のひとつは、DALK を裏切った善光寺博士の破壊。そして、もうひとつは、ジロー兄さん。君を回収すること」
 善光寺博士の脳を片手に持ったまま、サブローが近寄ってくる。
 ピシャピシャ、と床の血溜まりをはねあげる音がする。
 そのときになって、ジローの体内が熱く沸騰した。
 ジローは、悲鳴とも雄叫びともつかない声をあげて、少年に掴みかかる。
「さわぐなよ……ジロー兄・さ・ん」
 ジローの手は虚しく空を切る。
 代わりにサブローの小さな拳がジローの腹をとらえる。
 信じられないくらいに重い一撃だった。
 ジローは呻いて、後ずさる。
「あれ? だいぶ手加減したつもりだったのになぁ」
「くそっ……バケモノ……」
「バケモノ?」
 サブローがアハハ、とおかしそうに笑う。
「兄さんは、人間として育てられたんだってね。何も知らされてなかったんだ?」
「知るか……よっ!!」
 デスクの上にあった電話器を投げつける。が、サブローは、ひょいと頭をさげただけでそれをかわしてしまう。
「本当に何も知らないんだ。たとえば、ぼくが戦闘用に造られた人造人間だということとか……」
 グン、とサブローが迫る。
 一瞬にしてジローとの間をつめたサブローは、片手でジローの腕をとらえて、背中側にひねる。
「ぐああっ!!」
「兄さんには、戦闘機能は実装されてないんだよね。だから、こんなにひ弱だ」
「ちくしょう、離せ!!」
 ジローは渾身の力で腕をふりほどこうとする。
 すると、サブローはあっさり手を離した。
「いまDALK が欲しいのは、ジロー兄さんを生み出したポリモルフ結晶融合細胞の技術だ」
 目の前の少年が語りかける。兄さん、という言葉に背筋が凍り付きそうになる。
 ジローは、恐怖にかられて少年に背を向けた。
 そのまま、やみくもに走り出す。
 とにかく、その場から逃げ出したかった。
 どこか遠い闇から響くような声がした。

 ──いつまで遊んでいる、サブロー

 かすかな笛の音が流れ出す。
 ジローはあがくように走ろうとする。それなのに、床が粘着質となって足裏をとらえてしまったかのように、まるで足がいうことをきかない。
「ちぇっ、ギィルのやつ、余計なことを!」
 すぐそばで、サブローが悪態をついた。
 同時に、笛の音が高く鳴り響いた。
 聞いたこともない、魔的な戦慄だった。
 全身の細胞が冒されるような不快なメロディ。
 悪魔の笛の音が、ジローの全身を金縛りにした。
「このメロディ……そうか、これがジロー兄さんのポリモルフを促すイグニションなんだね」
 傍観者のような口振りでサブローは言う。
 そのときになって、ジローは身体の異変に気づいた。いやでも気づかされた。
 まるでこぼれおちるように髪の毛が、身体の線にそって急速に成長した。
「ハァハァ……」
 悲鳴をあげようとしても、出てくるのはかすれた喘ぎ声だけだった。
 死鳥のように笛がなる。
 すると、ひきつれた喉にじわりとした感触がはしり、直後に声がもれ出た。
「たすけ…て……」
 その声は、自分の声ではなかった。かぼそい、小さな子供のような声だった。
 さらに、魔笛が空気を震わせる。
 意思とは関係なく四肢が伸びきり、体組織が不随意にうごめいた。
「オレのからだが……」
 自分のからだが自分のものでなくなっていく恐怖にジローは直面した。
 全身の骨が軋んでその形をかえ、肉がねじれていく。不思議と痛みは感じなかった。それが、一層恐ろしかった。
 むりやり型にはめられでもしたかのように、腰がほそくしぼられた。
 少しだけ背丈が縮み、手足は少女か人形のように華奢なものに変わっていく。
 それに合わせて、学生服にまで変化がおよんだ。
 スラックスの生地が生き物のように動いて足をはいあがってくる。露出した脚は、いつのまにか繊細でやわらかな曲線にかたどられたものになっている。
 服の生地が意志をもったかのように蠢き、自ら形を変えていく。
 スラックスだった生地は、膝の上でふくれあがり、つぼみがほころぶようにパッと開いた。それは、プリーツをほどこされたスカートへと変化していった。
 学生服の襟は横に倒れ、その質感を変化させていき、ついには、えんじ色をしたセーラーの襟へと成り果てる。
「あ、あああああ……」
 長く伸びた髪はひとりでに絡み合い、少女らしい髪型をつくっていく。
 ジローは目を疑うばかりだった。
 悪夢のような光景だった。
 けれど、全身に響く異様な感触が、これは現実なのだと告げている。
 笛が新たな旋律をかなでるたびに、ジローのからだは少女のそれへと置き換わっていくのだった。
 サブローが正面にまわって、ジローを見上げる。
「へぇ……見事なもんだね。これが兄さんの持つポリモルフ活写機能なんだ」
「何の……ことだ……」
「フフッ、もう声まですっかり変わってる。面白いなぁ」
 サブローが、片手をのばす。
 その指の先に、ジローの胸があった。
 鎖骨のあたりに指が触れる。
 鎖骨のまるいカーブはすでに少年のものではなくなっている。
「さっきボクのこととをバケモノって呼んだよね? お笑いだね。ジロー兄さんのほうが、よほどバケモノじゃないか。こんなふうに、男から女にかわったりする人間がいると思うのかい?」
「オレは……人間だ……」
 サブローは、無言で肩をすくめる。
 笛の音がとぎれた。
 ジローの身体は、最後の変化を終えていた。
 呪縛から解放され、ジローは力なく床にうずくまった。
 その姿は、完全にひとりの少女と化している。
 誰かの声が命じる。

 ──さぁ、いまのうちにジローを捕獲するのだ!!

 サブローは、その年齢の少年が決して浮かべないような、皮肉な笑いをたたえる。
「ボクにつまらない指図をするなよ。ボクは、ボクが面白いと思ったことしかしないんだ」

 ──キサマ、DALK を裏切る気か?

「別に。そんな気はないよ。……いまはね」
 ぺろり、とサブローは手にした塊に舌の先を這わす。
「ジローの回収は請け負った。だけど、いつまでという期限は聞いてないよ」

 ──この愚かモノめ……

 そのとき、研究室にあった装置のひとつが突然火を吹く。
 連鎖的に機器が爆発を始める。
「なに?!」
 サブローは、部屋を見回す。
 コンピューターのモニターに、明かりが灯り、映像ファイルが再生される。
「ジロー……」
 映像の中で、善光寺博士が語りかける。
「これを聞いているとき、私はすでに奴らに殺されていることだろう……ジロー、逃げるのだ。私はいつかこんな日がくるかもしれないと思って、このファイルを用意していた。私の生命活動が停止したとき、スイッチが入るようにしてあったのだ。ジロー、お前を狙う組織の名はDALK。お前が人として生きたいのなら、DALKとの戦いは避けられないのだ、ジロー。……ギィルに気をつけろ。彼は、かつて私の共同研究者だったが、おのれの野心のために私の命とお前の身体を狙っている。ギィルの持つ笛は、お前のボディに内蔵された制身回路を狂わせてしまう。ジェミニ・ファイルを手に入れるのだ、ジロー。そして、サブローはお前の……」
 破壊音が響いた。
 サブローが素手でモニターを叩き割ったのだ。
 少女の姿になったジローが、震える膝をおさえながら立ち上がる。
 サブローが手を伸ばすが、天井からはがれ落ちてきた配管がそれをはばむ。
 ジローは、駆け出した。
(父さん……オレ、これからどうなっちまうんだよ──!!)
 研究室から飛び出し、外を目指す。
 居間の鏡に映る自分の姿は、さきほどまでの変化が現実だったことを否応なく突きつけてくる。
 立ち止まる暇はない。
 研究室に続いて居間にも、いや屋敷全体に火が燃え移っていた。朱色の炎がチラチラと踊っている。
 ジローは無我夢中で走った。



「あーあ。捕まえそこなった」
 サブローは他人事のようにつぶやく。
「自分のしたことが分かっているのか、サブロー」
 ドクター・ギィルは憮然とつぶやくが、サブローは意に介する風もない。
「心配するなよ。ジローは逃れられやしないよ。なんたって、ボクと兄さんは兄弟の絆ってやつで結ばれているんだから。……おっと、いまは兄さんじゃなくて、姉さん、かな」
「なにを気楽な……」
「うるさいよ、ギィル。善光寺博士の脳は無事手に入ったんだ。なにも、あせることはないだろう?」



 どこをどう駆け抜けてきたのか、自分でもわからなかった。
 気がつくと、ジローは町外れの公園にさしかかっていた。
「父さん……」
 無意識にこぼれた声は、頼りないほどに細い声だ。
 足を運ぶ度にスカートの布地が意地悪く腿に絡まってくる。
 視界のはしにうつる人影にジローは気づく。
 なんという偶然か、それはジローの同級生の少女、須美さやかだった。
「……痛くないの?」
 ジローの姿を見たさやかが、ゆっくりと歩み寄る。
 さやかはジローの前で立ち止まると、ジローのからだをじろじろと覗いた。
「軽度の擦過傷。あと、煤汚れがひどい。傷口を消毒したほうがいいわよ」
 さやかに言われて、ジローははじめて怪我や汚れのことを知った。それどころではなかったのである。
「さやか」
「………………」
 不意に名前を呼ばれて、さやかはじっとジローの目を見つめ返した。
 ジローだと分かっていないのだ。
 ジローは、後ろを振り向いた。
 追ってくる者はいない。……いまは。
「オレといっしょにいると……キケン、だ」
 クラリ、と眩暈に襲われてジローは手近な木の幹に手をつく。
 眩暈はおさまるどころかひどくなり、意識が遠のきだした。外傷以上にジローのからだにはダメージがきていたのである。
 ずるずると力なくしゃがみこんだジローをさやかが見おろす。
「…………私の家に寄ってく? うち、病院だから」
 首を振ろうとして、力が入らなかった。
 そのまま、ジローはくずおれた。


 次に目が醒めたとき、ジローはベッドの上にいた。
 つんとする消毒液の匂いが空気に充満している。
 白々と明るい電灯のともる病院の天井が目に入った。
 あわてて上半身を起こす。すると、ベッドの横の椅子に腰掛けていた須美さやかと目が合った。
 ジローはあわてて自分のからだを見おろす。両手を引き寄せて、目の前に持ってくる。 人形のように細くて白い指だ。
 寝てる間にセーラーの上着は脱がされて、枕元にたたんでおかれていた。
 胸には、つけた覚えのないブラがつけられていた。白いブラが、小さなふくらみの上を覆っている。
「そうか……夢じゃないんだな」
 つぶやいた声は、ソプラノだった。
 さやかが無言で見つめている。
 いつまばたきをしているか分からない深い色の瞳で、じっとジローのことを見つめている。
 ジローは一瞬目を合わせて、すぐにそらした。壁の時計がさす時刻は、夜の九時だった。あのサブローという少年と出会ったときから、五時間以上も経っていることになる。
 ジローはため息をついた。さやかは、まだジローのことを見ている。
「……あの、」
 ジローが口を開いたとたん、さやかはそれを遮って喋った。
「私の名前を呼んだでしょ。どうして、分かったの?」
 それまで薄い靄につつまれたようにはっきりしなかった思考が急速にまとまっていった。
 さやかの家は病院を経営しているのだ。気を失ったジローをここに運び込んでくれたのはさやから他ならないのだろう。
「ありがとう、さやか」
「いいけど。名前の件は?」
「ごめん……なんて説明していいのか……」
 また、さやかの大粒の瞳がじっと見据える。
 ジローはからだをよじった。いまのからだは、ひどく頼りなく感じられた。
「善光寺ジロー」
 不意に、さやかが口走った。ジローは飛び上がりそうになった。
「どうして、オレのことを?!」
 夢中でさやかにつめよる。
「どうして、オレがジローだって分かったんだ! こんな姿になってるっていうのに!!」
「別に」
 そっけなく、さやかは答える。少しも動じたところがない。
「私は、これに書いてあった名前を読んだだけ」
 そう言ってさやかが取り出したのは、ジローの生徒手帳だった。「変身」する前までは学生服のポケットに突っ込んであった代物だ。「変身」後もどこかに挟まっていたらしい。
「あなたこそ、なんで善光寺のことを?」
 問い返されて、ジローは頭をかかえた。
「それは……絶対に信じてくれないと思うけど、オレが──」
「善光寺君だ、とか?」
「……もし、そう言ったらどうする?」
「…………」
 さやかは、ほんの少しだけ首を傾げた。そして言う。
「一概に否定はしないよ」
 さやかの指が、ジローの手首のあたりをさした。
 そこは、ジローが倒れたときに出血していたところだ。
 そこにあった傷口は、きれいさっぱり消えていた。
「血液検査をしてもらったの。その結果、人間の体液とは微妙に成分が違うって」
 さやかの言葉にジローは、金槌で頭を叩かれたような衝撃を味わった。
 かつて、善光寺博士は、ジローが学校でいかなる種類の身体検査を受けることも禁じていた。それは、こういうことだったのだ。
「で?」
「えっと……」
「君はほんとうに善光寺君なわけ?」
 すこし迷ってから、ジローは静かにうなずいた。



【二話〜四話ダイジェスト】

 翌日から須美に居候することになったジロー。
 さやかの両親と兄は、温かくジローを迎えてくれたのだ。さやかの父は、ジローがさやかの友人だというだけで、居候を許してくれた。さやかの父親と兄の二人は、ジローのからだに秘密があることを知っていたが、ジローが落ち着くまでそのことは追求するつもりはないと言っていた。
 夕食を終えたジローは、風呂に入ることになった。
 着たきりになっていたセーラー服を、おそるおそる脱いでいく。
 手渡されたデパートの紙袋には、替えの服と下着が入っているとのことだった。さやかの母が気をきかせてくれたのである。
 脱衣場の鏡には、見知らぬ髪の長い少女の姿が映し出されていた。よく見ると、もとの姿の面影は残っている。特に、顔立ちなどは、あまり大きく変化していない。けれど違和感はないようだ。つぎはぎという感じはない。頭から爪先まで、女の子だ。ちょっと大人しめの印象を与える女の子である。
 事件から一昼夜が過ぎて、ジローも少しは落ち着いて物を考えられるようになってきた。
 はっきりと分かるのは、ジローが人造人間だということである。
 傷の治り方も異常だった。
 なにより、あの不気味な笛の音に反応して、ジローの身体は変化してしまった。父の遺言が頭をかすめる。
“ギィルの笛の音は、お前のボディに内蔵された制身回路を狂わせる”
 その結果が、いまの姿なのだ。
 いつになったら、或いは、どうしたら元に戻れるのか皆目見当がつかない。
 上着を脱ぎ捨てると、姿見の少女も当然、半裸のあられもない姿になっていた。
 ジローはあわてて目を逸らす。
 一瞬で心拍数がはねあがった。
 胸に手をあてると、小さく立ち上がったふくらみが掌をかすめた。
「うひゃっ」
 と、思わず情けない悲鳴をあげてしまう。
 ジローは天井を向いたまま、下着を乱暴に投げ捨てた。それらの布きれも、もとはといえば「変身」のとき着ていた男物の下着が構造変化を起こしたものである。
「くそうっ、なんで自分のカラダにどきまぎしなきゃなんねぇんだよっ」
 少女の声で悪態をつきながら、ジローは浴場に足を踏み入れた。
 そして、浴槽にゆっくりと身を沈めると、はじめて一息ついた。
「オレ、これからどうしよう……」
 がちゃ、と脱衣場の入り口が開けられる。
 磨りガラスの向こうに人影があらわれる。
「おいっ?」
 と思うまもなく、浴室に誰かが入ってきた。
 湯船の中をざざっと後ずさるジロー。
 入ってきたのは、さやかだった。
「おや……まだ入ってたんだ」
「みみみ、見りゃ分かるだろ、そんなこと!!」
「考え事してたから、気づかなかった」
 そんなことを言いながら、さやかは後ろ手で浴室のドアを閉める。
「ば、ばかやろっ、そんな大胆な……あ、いや、オレはもう出るから! その、オレは見てないからな!!」
「別に」
 とさやかは言う。
 別に気にしないから、という意味らしい。
 脱衣場に駆け込もうとしたジローだったが、濡れたタイルに足を滑らせてバランスを崩してしまう。
「うわわっ……!!」
 たおれかかったジローを支えてくれたのはさやかだった。
「気をつけてね」
 とだけそっけなく言うと、さやかの手が離れた。
 顔をあげると、湯気でかすんだ視界にさやかの綺麗な裸身が映った。
 何事もなかったかのように、身体を洗い始めている。
「……キャー、とか、エッチ、とか言わないのか?」
 さやかが振り向く。
「女の子どうしで?」
「オレは、男だってば。中身は善光寺ジローだぜ」
「その姿じゃ、キケンは感じないわよ」
 さやかは手招きしてみせた。
「背中流してあげる」
「い、いいって、そんな!」
 逃げようとしたジローだったが、さやかに掴まれて強引に引き戻されてしまう。力では、さやかのほうが上だった。
「これがジローのタオルだから。柄を覚えておいてね」
 さやかが石鹸で泡だったタオルをつかい、背中を流してくれた。
「うわっ?!」
 やがて背中だけでなく、身体の前面にまでタオルが及ぶ。やわらかく包み込むような洗い方だった。
「ふわっ、あううっ……」
 くすぐったい感触にうわずった声がもれてしまう。
「女の子のからだはね、こうやって丁寧にそうっと洗うんだよ」
 耳元でさやかが言った。
 あ、そうか、とジローは思う。
 からだの洗い方ひとつとっても、男と女では違っているものなのだ。
 さやかは、突然「女の子」になってしまい戸惑っているジローを気遣ってくれたのだ。ジローはさやかの心遣いに思い至った。
「次は、オレがさやかの背中を、」
「エッチ」
「な、なんで今さら?!」
 さやかは、おかしそうに笑いを忍ばせる。ジローの下心は見透かされていたようだった。

 風呂から出ると、次なる試練が待ち受けていた。
 女物の下着である。
 「変身」のときと違って、今度は自分の意志で服を着ていかないといけない。
 紙袋の中から新品のパンツを引っぱり出す。
 男物の下着と比べて、信じられないくらいに小さな布地である。小さなリボンがついているほうが前面らしい。
「なんで、オレが……」
 情けない気分で小さな穴に脚を通していく。
 布地がぴったりと密着する感じが、異様に思えた。
 次に、紙袋からジーンズを引っぱり出す。女物のジーンズだが、スカートなどでなかっただけ幸いだった。どうやら、さやかが気を使ってくれたようである。
 ジーンズをはいて、白い無地のブラウスを着ようとしたところで、さやかに止められた。
 さやかは、紙袋の中に残っていた布きれを指さした。
「ううっ……やっぱり着るのか?」
 こくっ、とさやかはうなずく。
 ジローは泣きそうな気分で、ブラジャーを引っぱり出した。
 まるで変態の下着フェチにでもなったみたいだった。
「やっぱ、やめとく」
 男の沽券にかかわるような気がして、ジローはブラを放りだし、そのままブラウスを着込んだ。
 ところが、そうすると、ちょっと動くたびに胸の先端が摩擦にさらされて不快なことこのうえなかった。むず痒いやらくすぐったいやらで、気が散ってしようがない。胸のふくらみは慎ましいサイズなのでこうしてるとほとんど胸のラインは表にあらわれないのだが、それと引き換えにするには、不快感が強すぎた。
 さやかが、無造作に胸のあたりを掌でこすってきた。
「あううっ」
 馴染みのない感触なだけに、少女になったばかりのジローには刺激が強すぎたのである。ジローはしぶしぶ降参した。
「……だから、言ったのに」
 さやかは、てきぱきとブラウスをはぎとってしまった。
 ジローはさやかの実演を横目で見ながら、見よう見まねでブラジャーを自分の胸に装着した。こぶりな胸の隆起を手で寄せてカップの中のすわりのよい位置に移動させる。つくづく女のからだというものが不思議な構造していると思わされる。
 ブラの上から服を着ると、さっきよりもバストのラインがくっきりと浮かび上がってみえた。
 姿見を振り返ってみると、ジーンズ姿のちょっとボーイッシュで愛くるしい少女がいた。
 ブラウスのボタンをとめていないので、上気した胸の谷間がほんのりとのぞいている。
「うわっ……」
 高校生男子にとっては、とんでもなく刺激的な光景だった。風呂場でのヌードよりも、エッチである。
 それだけの刺激にさらされながら、からだの妙な部位が反応してしまうことはなかった。ただ心臓がどきどきと鼓動を早めるだけである。
「そうか……いまは、ついてないんだっけか」
「……エッチ」
 ぼそっと、さやかがつぶやく。
「?!」
 唐突に、ジローは身体を震わせた。
 体中の細胞が一斉に叛乱を起こしたみたいだった。
 自分の意志のコントロールから離れて、身体が勝手にその構造を組み替えていくあの奇妙な感覚が甦った。
「ジロー君!」
 異変にきづいたさやかが叫ぶ。
「う…うああああ……!!」
 手足がすらりと伸び、それをささえる固い筋肉が発達していく。
 やわらかく受け身の構造から、攻撃的で力強い構造へと変化していく。
 それに合わせて、着ていた服もメタモルフォージスを始めた。
 布地が蠢いたかと思うと、ブラウスはワイシャツに、ブラは布地が伸張して黒のタンクトップへと変わっていった。

 身体のねじれる感覚から解放されたとき、ジローはジローに戻っていた。
 目を丸くして、さやかがそれを見つめていた。
 ジローは、自分の体と、いまだ下着姿のさやかとを何度か見比べた。
 ようやくジローは言葉を口にする。
「ハハッ……戻っちまった」
「エッチ」
 ジローの視線から胸をかばうようにして、さやかは言った。



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