「Genesis Q」番外編
『冬の花』

Part III・IV


 2014年、春。
 入学式のその日もアスカはバスに乗っていた。 不機嫌を形にしたような表情で、そっぽを向いて流れる景色を見つめていた。 その隣にはシンジ。
 おろおろとした態度で、アスカに話しかけるチャンスを探しているように見える。バスがどこに行くかも知らない。
へそを曲げたアスカが停車中のバスに、衝動的に飛び乗ったのだ。シンジはしょうがなくその後を追って乗った。  どこまで乗っても定額のバス。
 まだ日は高く、乗客も少ない。
 眠気を誘う陽気とバスの振動。
 市街地を抜け、バスは郊外に向かって走り続ける。 いつの間にか乗客は二人だけになっていた。 不意にアスカが立ち上がった。
「え、アスカ・・・」
 アスカはシンジの声には答えず、ずんずんとバスの運転手に近寄っていった。 そして運転手に話しかけるアスカ。
 その様をバスの最後尾の座席から見つめるだけのシンジ。 無論声は聞こえない。
 不意にバスが路肩により、近くのバス停に滑り込んだ。 運転手がバス停の向こう側を指さして何か言っている。 アスカはペコリと頭を下げると、開いた降車用出口から降りる。その間シンジには一 瞥もしない。
 慌ててアスカを追うシンジ。
 かなり山に近い場所。
 バスから降りたシンジの第一印象はそれだった。 坂になった道をさらに登っていくアスカ。
 道自体は舗装されていたが、歩道と車道には段差もなく、車が二台すれ違えば道はいっぱいになってしまうだろう。
 道の両側は狭い水路を挟んですぐに木々が立ち並んでいる。 そんな道をどんどん登り続けるアスカ。
「ねー、どこまで行くのさ」
 シンジはどうにか声を掛けてみた。だが、アスカは振り返ることも立ち止まることもしない。
「ねー、アスカ、何怒ってるの。ねえったら」 アスカの背中にいくら話しかけても、彼女は振り向いてくれない。 「ねー、アスカ」
 歩調を速め、アスカの横にならぶシンジ。
「アスカ」
 その横顔を覗き込んだとき、
「喉乾いた」
 アスカが唐突に口を開いた。
「え、」
「あそこでおごって」
 アスカが指さす先には古びた自動販売機がぽつんと立っていた。 こんな山の中に誰が置いたのかはわからなかったが、まだ現役のそれからミルクティ ーとコーラを買い、アスカにはミルクティーを渡す。 「はい」 だがアスカは無言で受け取って、横道にそれていった。 その後を追うことしかできないシンジ。
 そして、横道が突然開けた。
 黄色い世界。
 山肌を埋め尽くす黄色い花の海。
 り一面に菜の花が咲き乱れていた。
「うわーーーーー」
 アスカが喜びと驚きの混ぜ合わさった声を上げる。 シンジは声もない。
 圧巻であった。
 どれほどの菜の花があるのかもわからない。 ただ一面が菜の花の黄色の色彩とすがすがしい香りに包まれていた。 遠くに第三新東京市の町並みも見える。
 山の中には所々ピンクの色彩をもつ箇所もあった。 おそらくは山桜であろうが、今はこの菜の花畑の方がはるかに美しい。 ぷしゅ、
 缶のプルタブを押し上げる音。
 シンジの横でアスカがミルクティーを一口飲んだ。 ゴクン。
「あのバスの運転手さんに聞いたの。この辺でお花見できるところはないですかって」 アスカはシンジの方は見ずに、そう話し始めた。 「そしたら桜じゃないけど、とっても綺麗なところがあるって教えてくれたんだ。き てよかったー」
 大きく体を伸ばすアスカ。
 その生気に富んだ微笑みはいつものアスカのものだ。 「感謝してよね。わたしのお陰でこんな穴場が見つかったんだから」 もう一口ミルクティーを飲み込んで、アスカはそう言った。 なんだか肩すかしを喰らったシンジは、曖昧に微笑んでから自分のコーラを開けた。 乾いた喉に刺激がここちいい。
 ごくごくごく、
 と何度も喉をならして、
「ぷはーーー」
 と息を吐き出す。
「オヤジ臭いよ、シンジ」
「そんなことないよ」
 そう言い合って笑った。
 すごく自然に笑えたような気がした。
 先ほどまでの変な空気はどこにも存在しなかった。 いつだってそうだ。ケンカしてもいつの間にか笑っている。 「ねえ、シンジ」
「うん?」
「ここを二人の秘密の場所にしよう」
「え、?」
「秘密の場所よ。いい、誰にも言っちゃダメだよ。絶対に」 アスカはシンジに詰め寄るように近寄った。「え、なんで?」
「今日の記念よ。それにここが見つかったのはわたしのお陰なのよ。わたしが秘密だ っていったら、秘密なの。わかった」
「・・・・・うん、まあ、いいけど」
「よし、決まり」
 アスカは会心の笑みで微笑んだ。
「じゃあ、来年はお弁当持って来よう。二人でね」 「そうだね、この場所忘れないようにしないとね」 シンジもそう笑い換えした。
 一陣の風がアスカの髪を撫で、数千本の菜の花を揺らした。 それは黄色い海の黄色い波に見えた。
 缶が空になり、お互いに空腹を感じるまで、二人はたわいもない会話と菜の花を楽し んだ。
 アスカの不機嫌がくれた突然のお花見は、二人が共有する記憶の中でも特に鮮烈で美 しいモノになった。


 この時は二人だけだった。
 そして、それがずっとつづくものだとアスカは信じていた。 そう、信じることが出来たのだ。
 何の疑問もなく、ごく自然に。
 あの日、綾波レイという名の転校生がシンジに激突するまでは・・・


 そして、2016年、冬。
 冷たい風が肌を切り裂くように吹き抜けていく。 アスカは一人でバスに乗り、一人でバスを降り、一人で歩いて、一人であの場所にいた。 あの美しかった黄色の海も今の季節は濃い灰色に覆われいる。 山肌を吹き上げてくる雪混じりの風は容赦なくアスカを叩いた。 寒い。
 吐く息は白く、赤いコートを着ていても体の芯まで冷えた。 何かを求めてここに来たわけではない。
 何かを期待していたわけでもない。
 気がつけばここに向かっていた。
 なぜかそうするべきだと思った。
 シンジがあの時のように追いかけてくれると思った、のかもしれない。 でも、一人だった。
 空は既に暗くなり始めていた。
 ひどく心細く、心の底まで寒かった。
 このままここにいたいと思った。
 誰かに見つけて欲しかった。
 寒い。
「寒いな・・・・」
 言葉はすぐに風にかき消され、白い息の固まりも霧散する。 なぜこんなところに来たのだろう。
 ここがきれいなのは春の間だけだ。
 今頃来ても、何もない。わかっているのに、わかっていたはずなのに・・・ 今の自分にはそれが似合っているような気もする。 一人っきりになるにはちょうどいい場所だと思える。 誰もいないのだから、ここにいよう。
 寒い、寒い、寒い。
「ばか・・・」
 つぶやいた。
 誰に向かってつぶやいたのだろう。
 シンジか。
 違う。シンジは昔のままだ。背も伸びて、少しだけ大人びてきたけど、変わらない。 優しさと暖かさを持っている。一緒にいる時間が少なくなっただけ。わたしの占有物 じゃないのはわかっている。
 レイか、ミズホか。
 それも違う。
 二人とも自分に正直なんだ。素直で純粋なだけだ。そのくせ傷つきやすくて、そのく せ・・・・やさしい。そういう二人だ。嫌いなわけがない。それなのに・・・ カヲルか。
 たぶん、それも違う。
 わかっているのだ。そう、わかっている。
 誰でもない、バカなのは自分だ。
 みんな大切な友達だ。
 誰も悪くない。
 シンジを独占したいという自分のわがまま、その為に友達を否定しようとする自分。 イヤになる。
 視界がゆがみ、涙が溢れた。
 自分勝手でわがままで、そしてイヤな子だ。 アスカは涙を拭った。
 寒い。
 一人でいることが寒かった。


「・・・・カーーーー」
 声が聞こえた。
 いや、風の音だろうか。
 幻聴にしては出来過ぎている。
 よりによってシンジの声に似ていたから。
「ア・・・カーー」
 まただ、少し声が近くになったような気がする。 気になって振り返った。
「アスカ!!!」
 シンジが立っていた。
 寒さのせいで頬も手も赤い。弾んだ息は彼がここまで走ってきたことを教えてくれた。 「ア、アスカ!」
 シンジは息も整えないままアスカに駆け寄った。 「なんで」
 アスカは呆然と近寄るシンジを見つめていた。目をそらせば、幻となって消えてしま いそうな気さえした。
「アスカ」
 シンジが抱きついた。
 触れた頬が冷たい。その一方で吐き出された息は熱い。 「アスカー・・・・・心配したんだよ」
 シンジはアスカに抱きついたまま苦しい呼吸の合間に言葉をつないだ。 「びっくり、したじゃないか・・・みんな・・心配して・・・・探し回ったん・・・ だよ」
 アスカはまだ呆然としていた。
 ここにシンジがいる理由がわからなかった。 一人になるためにここに来たのに。
「なんで、なんでここだってわかったの」
 シンジに聞くと言うよりは、見えない誰かに問いかけているような口調。 「なんでって、アスカの行きそうな場所だから、いろいろ考えたよ。いろいろ回って やっとここかもしれないって思って。来てみたんだ」 「いろいろ回ったの」
「ああ、3時間、町中を探し回ったんだから」 やっと息が落ち着いてきたシンジ。だが体は密着させたままだ。
「3時間・・・・も、なんで」
「なんでって、アスカがいないんだから心配するのは当たり前だろ」
「心配・・・してくれたの?」
「何言ってるんだよ。アスカ。しっかりしてよ」 ぎゅーーーーとシンジがアスカを抱きしめた。 シンジが伝わってきた。
 シンジの鼓動の速さがアスカの涙腺を刺激する。 「ごめん・・・」
 アスカはそう言った。
 シンジの鼓動、シンジの息づかい、シンジの体温、シンジの匂い、シンジのやさしさ 、シンジの一部になっている自分を感じる。 「ごめんね、シンジ」
 ポロッと涙が一滴だけこぼれた。
 何かが心を暖めてくれた。
 いつもの意地っ張りは出てこなかった。
 当たり前のように素直になれた。

 もう、寒くはなかった。


「みんなは、来なかったの」
 あの時の自動販売機で、今日はホットのココアを買った。 バス停でバスを待つ二人。
 かろうじてバス停には屋根と風避けがあったので風と雪はしのげた。 「うん、」
 アスカの質問にシンジはそう答えた。
 ココアの缶で両手を暖めている。
 「みんなには悪いことしちゃったね。後で謝らないと」 アスカはそう言って、シンジを内心でびっくりさせた。 いつものアスカじゃないみたいだ。
「みんなも心配してたんだよ。一緒に探してくれたんだから」
「・・・うん」
 こくんとうなずくアスカ。
「そして、謝ってた。レイもミズホもカヲル君も。アスカの気持ちも知らないで、無 神経だったって」
「そんなこと・・・・」
 アスカは両手の中のココアを一口飲んだ。
「そんなことないわ」
 アスカは努力して微笑んだ。
「わたしもなんだかおかしかったのよ。でももう大丈夫。うん、大丈夫だと思う」 そして、残ったココアをごくごくと飲み干す。 「うん、おいしい!」
 シンジはそのアスカの姿を笑いながら見ていた。 「なによ」
「うん、やっぱりアスカはその方がいいよ。さっきみたいに素直だとアスカじゃない みたいだ」
「なんですってー、わたしが素直になるのがおかしいっていうのー」
「そ、そうじゃないよ。でも、僕は元気なアスカの方が好きだなって・・・」 そこまで言ってシンジもアスカも凍り付いた。 言った方も言われた方も瞬間的に顔全体を真っ赤に染めた。
「ば、ばばばば、バカシンジ! なに言ってんのよ」 アスカはそっぽを向いてしまった。赤面した自分を見られたくなかったから。 その視界に近づいてくるバスが入った。
「バスが来たわ」
「う、うん」
 まだお互いに赤みを残したまま、二人は並んで立った。 そこで、もう一度アスカに疑問が浮かんだ。 「ねえ、なんでレイやミズホやカヲルは一緒じゃないの。いつもならどこにでもつい てくるのに」
 シンジは言われて、ちょっと視線を逸らした。 「うん、僕が断ったんだ。ここには一人で来るって」 シンジの耳はまだ赤い。
「へー、なんで」
 バスが方向指示機を点滅させるのが見えた。 「だって、ここは二人の秘密の場所じゃないか」 二人の前にバスが滑り込んだ。
 シンジは意識して笑っていた。
 アスカはもう一度真っ赤に赤面した。
 そしてわかった。
 自分がどれほどシンジに大切にされているかを。 アスカにはわかった。
 どれほど自分がシンジを好きなのかが。
 アスカは微笑んだ。

 うれしくてたまらなかった。


fin

【→ 後日談ドラマ】


原作
GAINAX

執筆
成重貴幸/Naryさん(Genesis Q)

企画・編集
綾瀬ヒロ(NERV 3rd Studio)


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感想は、素敵な小説を書いて下さったNaryさんへ。
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綾瀬 ヒロ(H.Ayase)
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