〜第二十八幕〜 つばさの賭け







 しゅる……しゅるるる……
 《蛇使い》の言葉の後を追って、擦(こす)れ合う鱗の音が静寂の中に響いた。
 それと同時に――無数の蒼い光点が、周囲の闇に穿たれてゆく。
 幾百匹、幾千匹もの毒蛇たちの双眼。それはまるで、凶々しいプラネタリウムのようで。
 つばさはいまいちど、周囲に視線を巡らせた。
 闇に目が慣れたせいか、うっすらとではあるが辺りの様子が見てとれる。
 思ったよりもずっと広い、部屋の中だった。いや、部屋というよりも。
 ひとつのビルの中が、まるまる吹き抜けの空間になっているらしい。広さは学校の教室をひと回り大きくしたくらいなのに――はるか高い位置にのぞく天窓を、つばさの位置からも視界にとらえることができた。正体も用途も知れないコードや鎖が壁から壁を渡ってはいるものの、階を仕切る天井はひとつも見受けられない。
 元は倉庫のような場所だったのか、床には木材や鉄骨、壊れた椅子やテーブルが乱雑に積み上げられている。その上にはびっしりと、蒼い眼を光らせてこちらをうかがう蛇たちの姿が見えた。
 ――ここが……
 部屋のちょうど中央に突き出た鉄骨に、自分は後ろ手を括り付けられているのだ。
 ――ここが――秘密基地、なんだよね……
 つばさはうなだれて、奥歯を噛み締めた。
 《蛇使い》の根城には入りこめても、発信機がないのでは何の意味もない。自分に注意が欠けていたばっかりに、茜音さんたちの作戦を最悪の形で台無しにしてしまったのだ。
 ふがいなさに、鳩尾(みぞおち)の奥がずっしりと重く痛んだ。滲んだ涙が、いまにも瞳から溢れそうに――
「……おやおや、ずいぶんと大人しくなってしもうたものじゃのう、お嬢ちゃんや」
「――っ!」
 嘲りの色をまじえたその声に、つばさは精一杯に鋭いまなざしで《蛇使い》を睨んだ。
 すんっと洟をすすって、血が滲むほど強く唇を噛む。
 泣いちゃダメだ。泣かない。絶対に泣いてなんてやるもんか。
「そうそう、その目じゃよ。簡単に観念されてしまったのでは、いささか興が冷めるというものでな」
 つばさの視線を平然と受けとめて、《蛇使い》は歪んだ笑みを浮かべる。老人の視線がじんわりと侵蝕してくるような、不快な感覚がつばさの肌を粟立たせた。
「……わしはな、お嬢ちゃん」
 《蛇使い》は、おもむろに言葉を切り出す。
「わしの可愛い蛇たちには常日頃より、生餌を与えることにしておるのじゃよ。この子たちは聞き分けもよいゆえ、わしが説いて聞かせれば屠(ほふ)られた獣の肉も喰ろうてはくれるのじゃが――それでもわしはいささかの手間をかけて、鳥の雛や鼠の児を集めておる。
 ……何故だか、わかるかね?」
 老人の問いに、つばさは答えなかった。唐突すぎて答えがでてこないからでもあったのだが――それ以上に、彼が纏う凶々しい気配に圧されたがためだ。
 《蛇使い》は瞳を細めて、満足げに口を開いた。
「……喰われるその間際に生餌の発する声が、わしにとっては至上の音楽であるからじゃよ。あれを耳にしたならば、いかなる労もねぎらわれるというものじゃ。
 のう、駒形つばさちゃんや。
 お嬢ちゃんの身をわが手に収めるには、無粋な邪魔も入って思いのほかの苦難があった。ひとつ良い声で鳴いて、わしの心を慰めてくれぬものかな」
「――っ」
 つばさが一瞬口ごもってしまったのは、怪人の言葉に怯えたがためではない。
 胸の底に弾けた憤りに、頬がかあっと熱くなった。
「おかしなこと言わないでよ! 馬鹿っ!」
 言い争いの語彙が少なくて、言葉がでてこないのがもどかしくて仕方がなかった。案の定、《蛇使い》はにんまりと嗤いながらつばさの罵声を受け止める。
 このひとは。この黒衣の老人は――
 獲物を、苦しめることを。それ自体を、愉しみとしているのだ。何かの目的のために誰かを傷つけるのではなくって。最初から、傷つけることを目当てに。
「ぜ――ぜったいこのまんまじゃ終わらないんだからねっ! 今日はうまくいったって、いつかきっとバチがあたるんだからっ!」
 悔しかった。
 そんな人間に。そんな、歪んだ愉しみのために。千絵ちゃんが、病院のベッドの上で眠りにつかされているなんて。
 あたしはこうして囚われて、何をすることもできないなんて。
 つばさは、後ろに括られた腕に精一杯の力を込めた。だがもちろん、両手をいましめる縄は千切れてはくれない。
 合わさった手首のちょうど間に、固く大きな結び目が――
 ――……え?
 その刹那、つばさはちいさく身体を震わせた。
 思わず、ちらりと《蛇使い》の顔をうかがってしまう。
「バチ……か。いやいや、天の罰などというものはのう、この世にないのじゃよ。お嬢ちゃん」
 だが老人は、つばさの一瞬の変化には気付いた様子がない。天窓からのぞく空を不敵に仰いで、彼はゆっくりと言葉を続ける。
「わしは、もうずっと前……お嬢ちゃんのおうちの人が生まれるよりも昔から、こうして夜の中に身を置いておるよ。雛や鼠の児ばかりではない。世が騒がぬ程度に、人をこやつらの生き餌としたことも度々じゃ。
 それでも――わしはこうして生き長らえておる。罰などというものがあるのなら、見てみたいものじゃ。……どこの誰が、当ててくれるのかのう?」
「――――」
 怒声となって口をつきそうな怒りを、つばさはかろうじて喉元にとどめた。
 《蛇使い》の嗄れた高笑いが、這い交う蛇たちの鱗の音と重なって闇に響く。悪意そのものによって織り成された、歪(いびつ)な哄笑が。
 ――しっかり……しなくっちゃっ……
 仕草には出さずに、つばさは心の中でかぶりを振った。
 俯いている場合じゃない。怒っているだけじゃ、悔しがっているだけじゃダメだ。
 あたしのせいで、茜桟敷のみんながこの場所を突き止める術は絶たれてしまった。
 だから――
 今は、あたしだけなのだ。この怪老人の前に、立ちふさがることができるのは。
 床にひしめく毒蛇たち。そのただ中で狂ったように笑い続ける《蛇使い》を、つばさは息を潜めて睨(にら)みすえる。
 もしもあたしが、ここで諦めてしまったら。このままおとなしく、何処かへ連れ去られてしまったなら。
 間違いなく――千絵ちゃんを救うことはできない。
 目の前の黒衣の老人は、解毒剤を千絵ちゃんのもとに届けてはくれはしないだろう。
 彼にとっては自分は、最初から『獲物』でしかないのだ。交わした約束を守るべき相手などではなくって。
 ならば。
 ――あたしが……解毒剤持って帰るんだっ!
 ほんの何時間か前に、誓ったばかりじゃないか。千絵ちゃんを、必ず助けるんだって。
 捕まったくらいで。茜桟敷のみんなと離れてしまったくらいで。なにをがっくりうなだれているんだろう、あたしは。
 自分の手首を縛める縄の結び目に、つばさはいまいちど指を伸ばした。気取られぬように。まなざしは《蛇使い》をしっかりと見据えたままで。
 やはりそうだ。先ほど手が触れたときにもしやと思った通り――単純な小間(こま)結びにされているだけだった。
 ――これなら……できるかもっ……
 見世物小屋の舞台稽古をしている間、つばさは駒形座の芸人たちに簡単な持ち芸を教えてもらうことがあった。
 縛められた状態からの脱出、いわゆる『縄抜け』は様々な演目で使われる基本の技のひとつだ。もちろんものによってはタネも仕掛けもあるのだが――「結び目をさりげなく後ろ手にほどく」くらいであれば、手心なく縛られた縄でも不可能というわけではない。
 結び目からはみ出ている余りの縄に指をかけ、ゆっくりと揺すってみた。
「――――!」
 いける。
『縄抜け』なんて大層なものではなくて。この程度の縛りかたなら、普通にやれば簡単に解けるだろう。ちょっと揺すってみただけで、結びが緩みかけているではないか。
 息を殺して、つばさは結び目に人指し指をかけ――
「……おや、どうしたね。また静かになってしもうたのう」
 響いた《蛇使い》の声に、びくんっ! と身体を震わせた。
 ――……あううっ……!
 今のびっくりは、たぶん顔にもでてしまったと思う。
 気付かれてしまっただろうか? 怪しまれて後ろにでも回られたら、それで終わりなのだ。
 《蛇使い》は、にやりと片頬を歪めた。つばさの胸の奥で、心臓がきゅっと竦みあがる。
「……少々、怖がらせてすぎてしまったかな。
 なに、怯える事はないのじゃよ。お嬢ちゃんをこの子らの生餌にできるのなら、それは願ってもないことじゃが――お嬢ちゃんがおとなしくついてきてくれる以上、送り届けさせてもらうのがわしの勤めじゃからな」
 満悦の笑みとともに紡がれた《蛇使い》の言葉に、つばさはほっと胸をなで下ろした。なんとか、怪訝に思われはしなかったようだ。
 縄の結びの緩さといい――もしかすると、老人は油断をしているのかもしれない。ここまで連れてきた以上、あたしが逃げようとするなんてことは考えに入れていないのかもしれない。
 だとすれば……チャンスはきっとある。
 どうすればいいのだろう? 茜桟敷のメンバーだったら、どんなふうにこの場を切り抜けて逆転の機会をつかむだろう?
「……ね、ねえっ」
 うわずる声を必死で抑えて、つばさは口を開いた。
「ん? ……何じゃねお嬢ちゃん」
「お、教えてくれたっていいじゃんかっ。あたしを、どこに連れてくの? だ……誰がおじいさんに、あたしのこと連れてくるようにって言ったのっ?」
 頭をめぐらせて捻り出した問いを、《蛇使い》に投げかける。声がところどころひきつってしまうが、こればかりはどうしようもない。
「むぅ――」
 下顎に手をあてて、黒衣の老人は首を捻った。
 その隙に、つばさは慎重に後ろの手を動かす。結び目の端が解けるまで、あともうちょっとだ。
「あ――あたしの、『力』なんかが、どうしてそんなに大事なのっ?」
 問いを重ねる。強めた語調とは裏腹に、両方の膝は目で見てもわかるくらいがくがくと震えていた。
 ああ、ダメだ。どうしてこんなにぎこちなくなっちゃうんだろう? 気をそらすための問いかけなのに、これじゃぜんぜん逆効果だ。
 だが、《蛇使い》はいまだ訝しがる気配を見せない。
「お嬢ちゃんの望みじゃ、教えてあげたいところじゃがのう――」
 大仰な仕草で、彼は溜息をついてみせた。
「受けた依頼の中身のは、わしも口にすることは許されておらぬのじゃよ。
 ……もっとも、いずれにせよお嬢ちゃんももうすぐ知ることになるじゃろうて。この都市をいま一度無から織りなおすために、お嬢ちゃんの『力』がいかに必要となるかをな」
「そ……それって、《東京大魔術計画》っていうやつなんだよね?」
「ほう、茜音から既にそこまで聞かされておったか」
 《蛇使い》は感心したように、つばさの言葉に頷く。
 ちょうどその時だった。つばさの手の中で、結び目がはらりと解けたのは。
 ――……やったっ……!
 声と表情を殺して、胸の中だけでガッツポーズを決める。あとは、力を込めて両腕を広げれば縛めは解けるはずだった。
 ――でも……まだだよっ。まだっ!
 はやる気持ちを、つばさは必死で抑える。
 間違いなくこれは、最後のチャンスだ。絶対に、失敗するわけにはいかなかった。どのように使うにしても、一番のタイミングを選ばなくては。
 どうしよう? どうすればいいだろう? 何とかしてここから逃げるか、それとも――
「素晴らしいとは思わんかね。わしらを夜の底に押しやってきたこの気詰まりな都市が、わしらの『力』によって根底から崩れ去るのじゃ。夜の夢が現実となり、現実が夜の夢に呑み込まれる――世紀の大奇術に、お嬢ちゃんは立ち会える権利を得るわけじゃよ」
 《蛇使い》は、朗々たる調子で語り始める。
 つばさは答えなかった。いつの間にか口の中がからからに乾いて、言葉を紡ぎだすこともままならない。胸の奥で乱れ打つ心音が、目の前の怪老人に聞こえてしまうのではないか――そんな不安までこみあげてくる。
 どうしよう。いつ、どんなふうに動いたらいい?
「くくっ……わしも、心待ちにしておるのじゃ。この子らを、街に解き放つその日を。この笛をもって、滅びの旋律を吹き鳴らすその時をな――」
 熱に浮かされたかのようなまなざしで空を見据えて、老人は黒いコートの懐に手を差し入れた。天窓から射し込む星明かりに、取りいだされた金色の横笛が凶々しく煌く。
 瞬間――つばさは思わず、びくりと身体を震わせた。
 ――……あれだっ!
 見えた。
 動くべき時が。唯一の、その術が。
 数多の蛇を操る、魔性の音色。その源たる、《蛇使い》の金の笛。
 両の拳をぐぐっと握り締めて、つばさはほんの少しだけ膝を折り曲げる。
 蠢く蛇たちの海の向こうで、黒衣の老人が短い旋律を奏でた。
 ざざっ……という音とともに、幾千の蛇が一斉に鎌首をもたげる。まるで、王の前に忠誠を誓う兵士達のように。
「――目に見えるようじゃ。逃げ惑う人どもの群に、わが子らが勇ましく襲い掛かるその様が――」
 闇に響く、《蛇使い》の嗄れ声。
 ゆっくりと、つばさは自分の両脚に意識を集中する。
 ――……頼むよっ。
 あたしの、脚。あたしの中の、奇術の『力』。お願いだから。今だけだっていいから、うまく動いて。
 つばさは一瞬だけぎゅっと瞳を閉じ、そして開く。
「――夜の闇に隠れ、生餌を漁るにも世を忍んできた長き日々は、その時にこそ終わりを告げるのじゃ。もはや誰にも、わしらを止めることはできまいて――」
 《蛇使い》はつばさに背を向け、背後の蛇たちに向かって両腕を広げた。
 ――今だっ!
 渾身の力で、手首を捻る。縛めの縄がばらりと解け、つばさの手から滑り落ちた。
 もう、後戻りはできない。賭けのサイコロは振られたのだ。
 つばさは、思いっきり息を吸い込み――
「――思うがままに、噛み千切らせてやろう。くく――はははっ。男も女も赤子も老人も富豪も物乞いも、ひとりたりとて牙から逃れられはせん。恐怖と苦痛の悲鳴という無上の音楽で、この街を覆い尽くしてくれる――!」
「――させないよ、そんなことっ!」
 全身全霊を込めた一声で、《蛇使い》の独演に楔を打ち込んだ。
「……なにっ?」
 訝しげな表情で、こちらを振り返る《蛇使い》。自由になったつばさの両腕を目にして、彼の双眼は驚愕に凍りつく。
 刹那の硬直、一瞬のその隙をついて――つばさは力の限りに床を蹴った。
 跳躍。前方へ。立ち尽くす黒衣の老人の、右の腕。握られた、黄金色の横笛に向かって。
「――っゃあっ!」
 気合いの声とともに、つばさは一陣の風になる。
 床に蠢く蛇の群を一息に跳び越え、そして――
 《蛇使い》の真横をすり抜けざまに、金の魔笛を渾身の力で握りしめた!
「な――!?」
 老人が驚愕の叫びをあげたときには、つばさの身体はすでに彼の背後――数メートルの距離を隔てた宙空にある。
 たんっ!
 壁を両足で蹴って、勢いよく斜め上方へ跳躍。そのままくるりと宙返りを決めて、つばさは部屋の片隅に高く詰まれた資材の頂上へ軽やかに着地した。
 その、ステップの靴音を合図に――一瞬、ほんの一瞬、部屋の中には全き静寂の帳が落ちた。そう、あたかも、空間そのものが呆気にとられてしまったかのように。
「……っ、はぁ、はぁっ――」
 思い出したように荒い息をつきながら、つばさは己の手を見据える。手の中に握られた黄金色の笛を。
 《蛇使い》よりも、蛇たちよりも、いちばん驚いたのは動いたつばさのほうだったかもしれない。
 自分でも信じられないくらいに、完璧な軽業だった。
 いまの一瞬に、自身がどうやって手脚を動かしたのかすらも判らない。迸る『力』が宙に描きだしたラインを、無我夢中のまま辿って舞った――ただ、それだけだったのだ。
「――おのれ――」
 憤怒を震える嗄れ声が耳に入り、つばさは我に返った。
 と、その刹那――
 しゅる……るるっ! ……しゅるるるるっ!! しゃあああっ!!
 乾いた摩擦音が、辺りの闇を震わせる。
 蛇たちの、鱗の音。先程までのような、秘めやかな蠢動の気配とは違う。秩序を欠いた、幾百幾千もの荒々しい擦過音(さっかおん)の重なり。
 巡らせた、まなざしの先。コンクリートの床を覆う毒蛇の海が、でたらめに波立っているのが見えた。あるものは仲間の身体の上を這い登り、あるものは下に潜りこみ、またあるものは必死に手近な柱を這い登らんとして――
「おお――お前たちっ!」
 数秒前までの余裕に満ちた笑みはどこへやら、《蛇使い》は狼狽もあらわに足元の蛇たちを見回す。
「鎮まれ! 鎮まれ! わしの言うことを聞かぬか――!」
 だが蛇たちは、主の必死の声にも耳を貸す様子はない。《蛇使い》の脚にも、黒衣の裾にも、またたく間に数十匹が這い登り、絡み付いてゆく。
 眼下の狂乱から、つばさはいまいちど手元の笛に目を移した。
 やはり――蛇たちを操っていたのは、この黄金色の横笛だったのだ。丸腰となった黒衣の老人はいまや、指揮権を完全に失ってしまっていた。
「く――」
 配下であるはずの黒蛇たちに脚を止められ、《蛇使い》は悲痛な声を洩らす。
 しばしの間、無言で俯いて。それから彼は、ゆらぁっ……と、幽鬼のようにまなざしを巡らせる。
「――くっ……くくくっ――やってくれるのう、お嬢ちゃん」
 落ち窪んだ眼窩の奥に宿る、爛々たる光。泣き笑いのごとき掠れ声に狂おしい憎悪の色を感じとって、つばさは一瞬息を呑んだ。
「じゃが、可愛いお嬢ちゃんにそういうおいたは似合わんなぁ……
 ほれ、いい子じゃ――いい子じゃから、それをお返し」
 両の眼を、皿のようにかっと見開いたまま。《蛇使い》は口の端だけを、三日月の形につりあげた。
 数多の蛇を巻きつかせたまま、黒衣の老人はゆっくりと歩いてくる。つばさが立っている、資材の山の下を目指して。一歩。また一歩――
「う――」
 胸の奥で、心臓が乱れたリズムを刻む。肩が、膝が、歯が、いまにもばらばらになりそうなくらいに震えている。
 ぶんぶんとかぶりを振ってのしかかる恐れを振り払い、つばさは《蛇使い》の凶眼を真正面から睨み返した。
「う――動くなぁっ!!」
 叫ぶ。声の限りに。わだかまる闇を、凛と震わせて。
 二匹三匹と這い登ってくる蛇を爪先で必死に払いのけながら、つばさは黄金の笛を高く振り上げた。
「来ないでよっ! そ、それ以上こっち来たら、この笛、叩きつけて壊しちゃうんだからっ!!」






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