不死の酒、アムリタがアスラによって奪われた際、最高神の一人ヴィシュヌが、 モーニヒーという女性に変化しました。ヴィシュヌ神が女性に変化したのは、アスラへの色仕掛け攻撃にでたものです。そのあと、シヴァとの間に子ができてしまうエピソードもあり、かなりイってます。(木村祥子) |
屍鬼二十五話(原題忘れました)という話があります。聡明な王様が毎回屍鬼を背負い目的地に向かって歩くのですが、その旅に背負われた屍鬼が話をし、最後に話の結末に関連して王様に判断を求めます。それに対して王たるにふさわしい判断を繰り返し最後に目的地に着いてめでたしめでたし、という話なのですがその中の話の一つに「秘薬で男が女に変身する」というような題の話があります。 内容は、ある王女が象に教われているところを助けた青年が王女に恋をし、バラモン僧の助けを受けて秘薬(口に含んでいる間女性に変身する)で少女に変身し、僧は彼を伴って王宮に向かい、彼の(つまり少女の)結婚相手を迎えに行く間、彼を預かってほしいと申し出ます。これは承諾され、彼は侍女として王女の側につき、本懐をとげるわけですが(笑)。 その後、他国の王子が青年が変身した侍女に惚れて、彼はその王子と結婚する事になってしまいます(!)。 一方、バラモン僧は彼の結婚相手として自分の弟子を連れてきます。ところが、彼は他国の王子と結婚しているのでもう王宮にはいません。しかたなく、王様は王女をかわりの嫁として弟子に与えるのでした。 その後、王子のもとを抜け出してきた青年と弟子が、どちらが王女と結婚するかでもめます。それが、屍鬼の質問となるわけですが、この答えはやっぱりインド的でした。この話は邦訳されて何社かからか出版されています。 もうひとつ、マハ・ヴァラタのエピソードで、アルジュナという勇士が敵に「女達に混ざって女のように暮らせ」という呪いをかけられるシーンがあります。この後しばらくして現れる「中年の踊り子」が彼です。中年とは。。。 (掲示板より) |
ヘルマプロディートス [ギリシア神話] |
●性転換系では恐らく、もっともメジャーな神話(正確には、両性具有に関する神話である)。ヘルマプロディートスは、その名が表すとおり、伝令神ヘルメスと美の女神アフロディーテの息子だった。ところがある日、泉のニンフ、サルマキスが彼に恋をしてしまう。サルマキスはヘルマプロディートスに抱きつくが、ヘルマプロディートスは「ぼく、女には興味ないもんね」とばかり逃げてしまう。恋に狂ったサルマキスは神々に願う。「私と彼を永遠にひとつにして」と。願いは聞き届けられる(聞き届けるなよ、神々…)。水浴びをしていたヘルマプロディートスをサルマキスが抱擁し、逃れようとしたヘルマプロディートスは、自分がサルマキスと一体化して男女両性具有になってしまったことに気づくのだった。「こ、この胸のでっぱりはなんなの〜っ?!」と思わず叫んだかどうかまでは記述にないが。いずれにせよ、このことにショックを受けたヘルマプロディートスは、悔し紛れに呪いの言葉をはく。「以後、この泉に浸かった男は、男性としての機能を失い、女のようになってしまえ」。この願いは神々に聞き届けられ(だから聞き届けるなっつの)、「サルマキスの泉」は、そこに入った男を女性化させてしまう呪い的泉と化したのだった。この神話は、ギリシアの古い神話群というよりは、比較的後代の文明の爛熟期に生み出されたものである。ヘルマプロディートスの名は、そのまま英語の両性具有(hermaphrodite)の語源となっている。 |
カイニス/カイネイウス [ギリシア神話] |
●カイニスは、もともと女性として生を受けたが、神々の恩寵により、男性カイネイウスへと変身する。カイネイウスは、その死とともに再び、カイニスに戻るのだった。 |
テイレシアス [ギリシア神話] |
●ギリシア神話にたびたびその名が登場する偉大なテーバイの預言者。彼が女神アテナの不興を買って盲目にされた話は有名である。このテイレシアスが若かりしある日、山道を散策していると二匹の蛇がからみあっているのを見かけた。そこでテイレシアスは、何を思ったか、持っていた杖で蛇をべしっ、と叩いてみた。なにが楽しくてそんなことをしたのかは不明である。しかし、このなにかしら象徴的な行為によって、テイレシアスに摩訶不思議な力が働き、彼を女に変えてしまった(テイレシアスの性転換に関しては異説あり)。鏡に映るおのれの姿に「こ、これが僕……」と茫然自失したかどうかまでは例によって記述にはないが。女になったテイレシアスはやがて、女として恋をして、とある男性と結ばれ、子をなしている。年月が過ぎ、やがて彼(彼女)は再び、からみ合う二匹の蛇を見つけ、それを打つ。こうしてテイレシアスは再び男に戻ったのだった。テイレシアスは男としても結婚をし、子をもうけている。後に彼は、この数奇な経歴により、主神ゼウスとその妻ヘラの論争に巻き込まれることになる。ゼウスとヘラの論争の争点はズバリ、「セックスのとき、より気持ちいいのは男か女か」というもの。ゼウスは女だと主張し、ヘラは男の方だ、と言う。両者の言い分が平行線をたどったため、ついに証人として、男女両方で性の営みを経験しているテイレシアスに白羽の矢がたったのである。テイレシアスは内心、もっとほかに議論することはないんかいアンタらは、と思った(かもしれない)が、そのことについて問われると、こう答えた。「そりゃもう、女の方がだんぜんイイですよ。私が女になっていたとき味わったあの快感といったら…それはもう。男のときの十倍はよかったですわ」。ちなみに、このことでヘラの怒りをかって、彼は盲目にされたのだという説もある。 |
キュベレ [ギリシア神話] |
●元来は小アジアのフリュギア地方の女神。一説によるとこの女神は元来、男女両性を備え、別の名で呼ばれる強力な神であったという。この神は、他の神々を脅かしたので、あるときゼウスは一計を案じ、彼(彼女?)の寝ているすきに彼の男根を切り取り、去勢してしまった。このことにより、彼の力は半減し、もはや彼は両性具有神ではなく、ひとりの女神となったのだった。キュベレは、ギリシア神話におけるクロノスの妻レアと同一視されている。また、あるときキュベレは、羊飼いの美少年アッティスに恋をする。ところが、アッティスが自分以外の女といちゃついてるのを知り、彼に呪いをかけてしまう。かつて自分が去勢されたトラウマからか、呪いの内容は、美少年アッティスの正気を奪い、彼に自らを去勢させてしまうというものだった。アッティスが恍惚として打ち震えながら「アハッ…ハハッ……ボク、もうおちんちん、ないよ……ねぇ女神さま、これでいいんでしょ…?」とつぶやいたかどうかは記述にはない。その後、自分で呪いをかけておきながら、キュベレはこのことで嘆き悲しみ(神話の登場人物ってなんか分裂気味だよ…)、悲しみのあまり自分を祀る神官たち全員に「お前たちも自分のオチンチンを切り落とすのよっ!」と去勢を命じる。 |
シプロイテス [ギリシア神話] |
●狩人の美少年アクタイオンが、森の泉でたまたま処女神アルテミスの水浴にでくわしてしまい、裸を見られた女神の怒りによって鹿の姿に変えられ、自分の猟犬をけしかけられて惨殺されたエピソードは有名である。この話を読んで、覗こうと思って裸を覗いたんじゃないんだから、許してやれよ、と思った人も多いはずである。さて、アルテミスの裸を見たばかりにえらいことになってしまったのはアクタイオンだけではない。クレタ島のシプロイテスという若者は、彼女の水浴を覗いてしまったがために、処女神の呪いを受け、彼自身が娘に変えられる羽目となった。このエピソードに関しては資料が少なく、詳細はあまり分からない。一説によると、シプロイテスは、王もしくは王子だったとも言われているようである。以下、八重洲ビジョン。アルテミスがキッとシプロイテスを睨み付ける。シプロイテス「お、おれは、別にあんたの裸を見ようと思って見たわけじゃ…」。アルテミス「おだまりっ! 人間ふぜいが、このアルテミス様のヌードを拝んだ代価は高くってよ」。シ「100ゴールドくらい?」。ア「…フフッ、バカね。そんなんじゃないわ。あなたのカラダで払ってもらおうって言ってるのよ」。シ「えーっ、マジっすか? て、照れるなァ」。アルテミスの呪いが男にふりかかる。シ「う、うわーーーっ!!」。ア「おーーほほほっ」。シ「げえっ、な、なんでおれにオッパイが…それに妙に股間がスースーするし…」。ア「まぁ、すっかり可愛らしい娘になっちゃって。これからあんたは、一生女として生きてくのよ」。シ「そ、そんな…元に戻して下さいよぉ…」。ア「ダーメッ。じゃ、あたしはそろそろオリンポスに帰るから。今度機会があったらゆっくり『可愛がって』あげるわよ。じゃーね」。乙女に変えられたシプロイテスは、呆然と女神の後ろ姿を見送り、それから泉の水面に映る新しい自分の身体を眺めて途方にくれつつも、ちょっぴり嬉しかったりするのだった。完。 |
ロキ [北欧神話] |
●ロキは北欧神話最大のトリックスターで、アスガルドの神々の一員ながら、しばしば他の神々に悪戯をしかけ、時には災いをもたらす。というのも、ロキの出自は生粋の神族ではなく、邪悪な巨人族の血を引いているからである。神々の黄昏と呼ばれる善と悪の最終戦争“ラグナレク”を引き起こすのも彼だと語られている。しかし、多くの北欧神話のエピソードでは、ロキはむしろお茶目な悪戯者として描かれ、その悪戯によって結果的にアスガルドの神々を助けることも少なくない。あるとき、ロキは戦神トゥールを怒らせてしまい、メスの馬に変身して逃げる。ところがその後、変身したロキはオスの馬に犯されてしまい、子供を身ごもる羽目に陥る。またこんな話もある。あるとき、神々のうちで最も皆に愛されていた光と喜びの神バルドゥルが命を落としてしまう(これもロキの悪戯のせい)。冥府の女神ヘラは、世界中のすべての者がバルドゥルのために涙を流せば、彼を冥府から地上に戻すと約束する。バルドゥルの死を知った地上のすべての生き物はみな、涙を流し、あと一人というところまでいく。しかし、トルクメ洞窟という場所に住む巨人娘(giantess,通常、この文脈では女巨人と訳される…^^;)だけが涙を流さなかった。そのために結局、バルドゥルは地上に戻れない。そして、この巨人娘(一説には老女)は実はロキの化身だったのである。こんなとき、化けるなら何に化けても良さそうなものだが、わざわざ女性に化けたのはやはりロキの趣味だろうか。実際、ロキを一種の両性具有神として扱う研究者もいる。 |
イダー(イラー) [インド神話] |
●ヴァイヴァスヴァタ・マヌは男子の生まれることを願って神に犠牲を捧げたが、マヌケな供犠僧が祭祀の手順を間違えたため、生まれてきたのは女の子のイダー(あるいはイラー)だった。ミトラ神、ヴァルナ神の好意により、この子は男子に変えられ、スディユムナと名づけられた。しかし、スディユムナはその後、シヴァ神の呪いによって再び女性に変えられてしまう。彼女はブダという男と結婚し、プルーヴァラスを生む。さらにその後、ヴィシュヌ神の恩恵により彼女はもう一度スディユムナとなり、三人の息子の父親になったといわれている。 (参考文献『インド神話伝説事典』[菅沼晃 編・85・東京堂出版]) |
ナーラダ [インド神話] |
●『リグ・ヴェーダ』讃歌のうち幾つかの作者とされるインドの聖仙のひとり。その出生については多くの物語が伝えられるが、一説によれば彼はブラフマー神の額から生まれたとも言われる。ナーラダは神々の呪いを受け、ガンダルヴァとして生まれ変わったり、猿になったりと、幾度となく様々な転生を繰り返している。そして、テキストによれば「ある時、父のブラフマーがナーラダに女性として一生を終わるように呪いをかけたところ、反対にブラフマー神が自分自身の娘に恋心をいだくように呪いをかけたことがあった」とある。このテキストだとナーラダが実際に女になったのかについて、やや解釈に幅ができてしまうが、恐らくこれは、女にされたナーラダが、呪いによって、父ブラフマーが自分に恋をするよう仕向けたということだろう。性転換のうえ、直系近親相姦。インド神話のエロスは奥深い…。 (参考文献『インド神話伝説事典』[菅沼晃 編・85・東京堂出版]) |
インド神話こそは恐らく、世界中の神話のうちで最もトランスセクシャル的なモチーフに満ちあふれた性転換の宝庫である。破壊神シヴァがときによっては両性具有、あるいは女性としての姿をとることは有名である。あるいは、神々の英雄インドラ神が、聖仙ガウタマの妻アハリヤーと失楽園した代償として、体に千個の女陰をつけられた(後にそれは眼に変えられる)とか、去勢されて宦官にされた、などという話もある。もうひとつ、あまり記憶がたしかではないのだが、インドラ(だったかな…)がとある女性としとねを共にするにあたり、誰も二人の邪魔をしないように、「私たちの営みをのぞいたりした男は、たちまち女になってしまうよう呪いをかけておいたよ」みたいなことを言う場面がある。ただし、この呪いにひっかかった犠牲者がいたかは不明である。とにかく、ことインド神話に関してはこの手のエピソードにはことかかないようである。とはいえ、ギリシア神話などに比べるとどうしてもマイナーな分、一般的に手に入る文献が少ないし、文学作品等で引用される機会もあまりなく、調査しにくいジャンルである。…どなたか「私は専攻が印哲で、そういうのは詳しいよ」という方おられませんか? 「リグ・ヴェーダ」「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」およびプラーナ・各種叙事詩等々全チェック、などという偉業を達成された方、ぜひご連絡を(んな、無茶な…)。 |
テキスト | モチーフ |
ユダヤの伝承 | ●男の胎児が、子宮内で女に変えられる。 |
ニューヘブリディーズ諸島/エスキモー(ケープ・ヨーク) | ●十人の男性のうち一人が、魔術的な力によってその性別を変ずる。(ニューヘブリディーズってオーストラリア近辺? なんで、よりによって地球の南と北で同じモチーフが語られてるんでしょうね?) (Dixon, Rasmussen) |
アイルランド神話 | ●男性が女性に変えられ、子をもうける。 (Cross) |
アイルランド神話,デンマーク,エスキモーの伝承 | ●相手を誘惑するための性転換。 (Cross, ...) |
各地 | ●悪魔が女に姿を変え、男性を誘惑する。 |
インドの伝承 | ●女性が鳥に変身し、その間、自分の女性器官を少年に貸し与える。ところが、少年はそれを元に戻すことに失敗し、女性が人間に戻ったとき、彼女は男になっていた。(ということは、少年は女の子のまま…?) (Thompson, Balys) |
インドの伝承 | ●性別の変化を伴う生まれ変わり。([女→男]含む) (Thompson, Balys) |
インドの伝承 | ●ヤクシャ(夜叉)と性別を交換する。 |
インドの伝承 | ●なにかのペナルティとして、男性が少女(girl)に生まれ変わる。 (Thompson, Balys) |
Buin | ●山の精が、自身の性別を変化させる。 |
アイルランド神話 | ●毎年、異性に変身する。 (Cross) |
"Motif-Index of Folk Literature"(Thompson, Stith. Indiana: INDIANA UNIVERSITY PRESS, 1966) は、たまたま手近にあった文献で、世界各地の神話・伝承からあらゆる種類の象徴的モチーフを抽出し、インデックスの形に整理したものである。インデックスとしての特質上、個々のモチーフの具体的な部分については殆ど記述はない。具体的にそれがどういう話だったかは、引用した元の文献を参照しろ、というわけである。しかし、残念ながら、それらの文献はかなり古く、その上、英語あるいは独・仏語テキストだったりするので、一般的には非常に入手は困難である。以下、各神話ごとに、記載のあった参考文献を記すが、そのようなわけであくまでも「参考」程度の情報と考えてほしい。 ・著者名字_名前.著書題名.(地区・出版社,)刊行年度・ Dixon Roland B. "The Mythology of All Races IX" Boston,1966 Rasmussen Knud. "Myter og Sagn Fra Gronland" 1921-25 Thompson Stith, Balys. "Motif and Type Index of the Oral Tales of India" INDIANA UNIVERSITY PRESS, 1966? Cross Tom Prete. "Motif-Index of Early Irish Literature" INDIANA UNIVERSITY PRESS, 1952 これらの文献を利用するかどうかはともかくとして、もし上のモチーフ・リストに挙がっている話について具体的に御存知の方があれば、ぜひご一報下さい。 |
杜子春伝 | ●かの有名な芥川龍之介作『杜子春』の原典。人物設定や、ストーリーの導入部は芥川バージョンとほぼ同じである。仙人になろうとする杜子春が、老仙に弟子入りし、試練として「一言も口をきくな」と申し渡される。無言で留守番をする杜子春のもとに魑魅魍魎があらわれて彼の命を奪ってしまう。地獄でも無言を押し通す杜子春に獄卒たちは業を煮やし、杜子春の老いた父母を引き出してくる。…さて、このへんから、展開が違ってくる。鬼たちは老父母をいためつけて杜子春を喋らせようとする。芥川バージョンではここで杜子春が老いた母の優しい言葉に思わず声をあげてしまい、仙人修行はふいになる。ところが、オリジナル杜子春は、そんなことでは少しも動じない。かえって痛めつけられた老父母が杜子春の冷たい態度をなじったりする有様である。ついに口を開かない杜子春に、獄卒のひとりは「こんなにも黙りこくったままということは、こやつ、相当に陰の気が強い男に違いない」と訳の分からない理屈をひねり出す。ともあれ、この獄卒の提案により、杜子春は、陰の気に相応しいよう、女として転生させられることになる。杜子春は、身分の高い家の娘として生まれ変わる。生まれ変わっても杜子春は無言を貫き通し、口のきけない娘として成長する。口はきけないものの、年頃の娘に成長した杜子春は魅力的な容姿だったので、求婚者が殺到する。結局、杜子春は三高でその上性格まで良いハンサムな男と結婚する。ただし、もちろん初夜のときも杜子春は声を押し殺して無言を続けている。やがて杜子春は身ごもり、二人の赤ん坊が産まれる。杜子春たちは幸せな一家としてうまくいっているようにみえた。しかし、長いこと一緒にいるうちに、旦那は、妻である杜子春が一言も口をきいてくれないことに苛立ちを感じ始める。仕事上のストレスもあったかもしれない。ある日、旦那はささいな喧嘩から逆上して、二人の赤ん坊を柱に投げつけ、殺してしまう。我が子が殺されるのを目の当たりにして初めて、杜子春は「阿ッ!」と一声、叫ぶのである。その瞬間、全ては幻と消え、杜子春は元の大岩の上で夢から醒める。あとは、芥川バージョンと同じである。 以前に陳舜臣が『日本的中国的』というエッセイの中で、芥川杜子春と原典の違いを挙げ、中国では親を敬うのが当然だから、物語の中ではファンタジーとして、子に対する愛情が強調された。芥川はそれに気づいていたので、子供が重要視される日本文化に杜子春の物語を移植するに際して、逆に親に対する愛情を強調したのである、と書いていた。…それはいい。正しいかもしれない。しかし、芥川の最大の罪は、こんなにも魅力的な杜子春の性転換エピソードをバッサリと切り落としたことである。はじめてこの事実を知ったとき(小四)、私は芥川龍之介というひとりの文豪に対して殺意を抱いたものである。 |